想像した。空が急に暗くなり遠くで雷鳴が轟き始めた。
啓はアンナの部屋で愛を告白する光景を妄想した。
今晩が最後の晩だ。アンナに愛を打ち明けるとすれば今夜しかない。画材を投げ出し、椅
子に腰かけているアンナの脚許に跪き、恋を告白する。その光景を思い浮かべた。だが次
の瞬間、そんなことは俺には出来ないと夢想を打ち消すもう一人の啓が頭を擡げた。その啓
は、口ごもり、醜態を見せている啓を嘲笑的な眼で見降ろしていた。醜く口を開け、意味不
明の言葉を発し、なにかを伝えようともがいている男。アンナは気味悪がり、怖がって啓か
ら逃げてしまう。助けを呼ぶアンナ。もうアンナとの関係はお終いだ。
情熱をぶつければ、きっと解ってくれる。抱きしめて、押し倒してしまえば……もう一人の
啓がまたも主張した。本心を打ち明ければアンナも受け入れてくれる筈だ。勇気をふるい起
せ……。もし、アンナが拒絶したら。大声で救いを求めたら? ……もう一人の啓が不安に
怯えた顔を覗かせた。せっかく生まれた友情を、壊してしまうではないか。ふたりの啓が闘
う心の中の嵐は、外の嵐と共演して続いた。
やがて啓は起き上がりアンナの肖像画と画材を持ち廊下へ出た。夜空に、ガラス窓を透し
て稲光がなんども廊下を青白く照らした。
*** ***
アンナの部屋の扉をノックすると、部屋の中でアンナが立ちあがる気配がし、扉に向って
来る足音が聞こえた。すぐに扉が開いてアンナの微笑む顔が現れた。
アンナは啓にベッドの上に腰を降ろすよう勧め、自分は一つしかない椅子に腰かけた。
「私の肖像画見せて」
啓はカルトンに挟んで持って来た絵を見せた。
「いいじゃない。実物より綺麗に描きすぎてる」
「そんなことないけど。顔の部分、眼と鼻と口が、想像じゃどうしても描けなくて」
「あたし、ここでポーズするからデッサン続けなさいな」
啓はベッドの上に水彩の道具を並べ、ジャムの空きビンに洗面台から水を取って入れ準
備をしながら話を続けた。
「いつかアンナのお祖母さんがモジリアニが描いた絵のモデルだったかもしれないって話を
してくれたよね。あの絵と今、君が椅子に座った形が似てるよ」
「この絵のことね」
アンナはベッドの枕元の小机に置いてあった画集を取り上げた。
「ハジメが好きなモジリアニの画集、持って来たんだ。この絵ね」
アンナが開いたページに黒服に黒髪のお河童頭の若い女性が黒い椅子に腰かけた絵が
あった。『前髪を切り揃えた若い女』のタイトルの下にストックホルム近代美術館蔵と一九一
七~一九一九と記してあった。啓はその年代を見て言った。
「最近、モジリアニの世に知られてないデッサンを見たんだ。ロロザの家でね。そのデッサン
はこの絵と同じ頃描かれたんだ。ロロザが言ってた」
(つづく)