連載小説 「異土に焦がれて」 54 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

 経綸大学の理事長は、啓に、総長が書きあげた小論文の翻訳を依頼した。名誉博士号申請に

形だけでも論文提出が必要なのだ。啓はその日から<現代資本主義の変容=資本と経営の分

離>という題の論文の翻訳に取り組んだ。

 最高学府の総長が、学位や称号を金で買い取る。親から集めた入学金や授業料を、社会的名

誉や、世間の評判を高らしめ、箔をつけるために、名誉博士号を金で買う。啓は生活費を稼ぐた

め、仕方なく、彼らの言う事を聴き、通訳でも翻訳でもやるが、いつかは、心の底に潜んでいる理

想、普通の子供が持つ正義感、若者の倫理感が自己主張する時がくるだろうという予感に襲わ

れた。

                         

 六月のある日、ロロザは見せたい絵があるからウチに来なさいと啓を招待した。

「君にとってまたとないチャンスだ。大きく金儲けができるぞ。チャンスを作ってやると約束したろ。

ロロザは約束を守る男だ」

 ロロザは胸を張り鼻の穴を広げて息を吐いた。

 紙片にメモした住所を頼りにパリ西郊、ヌイイのマロニエの並木道を歩き、山林欅に囲まれた閑

静な一郭にロロザの家を見つけた時、啓の眼に映ったのは林の奥の灰色の部厚なコンクリートの

壁だった。その壁を見て驚きとともに啓が思い浮かべたのはナチスがノルマンデイーに造った堡

塁、砲弾が炸裂してもびくともしないトーチカだった。ロロザが収集した絵を収納した倉庫は軍事

施設に似ていた。

 ロロザは火災や戦争や、ことによったら核爆発にも耐えるような堅固このうえない美術品の保管

庫を住居の一郭にこしらえ、常時、収集品と寝起きをともにしているのだ。絵描きのはしくれで命

についで絵を大事に思う啓にはそのいかつい軍事施設に似た保管庫の姿は感動的だった。その

感動は啓が若い頃罹っていた核戦争恐怖症と関連している。いつか大都市が核兵器で破壊され

人類が滅びの道を辿る。それが現代の世界状況なら絵を描いたところで空しい。人間としてやる

べきは核兵器廃絶に向けての運動で、それはすべてに優先する。ひとたび核戦争が起こったら、

どんな傑作も、どんな美術品も一瞬のうちに消え去ってしまう。この堅固な防舎に保護された絵は

核爆発に耐え、生き残るかもしれないとロロザの家の門をくぐりながら啓は考えた。

 その晩、ロロザ邸に招かれたのは、ソルボンヌ大学の総長、前衛彫刻家のサキ・ド・サンファイ

ユの妹で作家のミキ
・ド・サンファイユ、数人のジャーナリストとファッション界のひと。そしてロロザ

に啓を紹介してくれたタヴェルだった。タヴェルだけが遅れて来た。食卓で啓は女流作家の隣に

座る栄誉を得た。この彫刻家・作家姉妹とロロザはアルゼンチン生まれの同郷というだけでなく、

親戚関係にあるのだそうだ。


  (つづく)

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