連載小説 「異土に焦がれて」 45 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

「あの壁にかけてあるのはだれの絵?ソーニア・ドロネーかしら?」

 タルトを食べ終わって、コーヒーが出る頃、先ほどの主婦がダニエルに聞いた。


「あれは、あたしが持ってる唯一の財産なのよ。ユダヤ人は所有欲が強いっていわれるけど、そ

んなことはないよ。世界を放浪して歩くとき、いざって時に、貴金属が身を護ってくれるからね。先

祖から受け継いだ知恵なんだ」


 ダニエルが短い首を振り振り言った。


「ドイツに占領された時代に、ユダヤ人の財産が没収されたことがあったでしょう」


 先ほどの主婦がまた言った。


「アリアニザシオンだわよ」


 ダニエルが苦々しげに答え、ラウルが受けて説明役を買って出た。


「一八八二年に世界反ユダヤ連盟が結成された。ユダヤ人が世界を支配してるから支配権を奪い

返せと反ユダヤ主義者たちは主張したんだ」 


 ラウルは細長い顔に愛嬌のある口許をとがらせ黒い眼を上目遣いに啓を見た。


「アジメは『シオンの賢者の議定書』って本のこと知ってるかな? 二十世紀初めに出回って、ユ

ダヤの秘密権力が世界征服を計画してる証拠になる本って騒がれた。ロシアの秘密警察が民衆

の不満を皇帝からユダヤ人に向ける為に捏造したって説が有力だがね。ボルシェヴィキ革命を成

功させたレーニンもユダヤ系だったしトロツキーはユダヤ人だ。ヒトラーは『シオンの賢者の議定

書』の熱狂的な信奉者だった。それにアメリカのヘンリー・フォードもこの本の信奉者だったんだ

よ。フォードは自分が経営してる新聞にこの文書を連載させ、『国際ユダヤ人』って題で出版して

五十万部も売ったよ」 


 ラウルは出版社の社長らしく、椅子に背中を預けこの本にまつわる歴史を披露した。


「ふうん。ヘンリー・フォードがですか……」


 啓はアメリカ人はみんなユダヤびいきだと思い込んでいた。


「ヘンリー・フォードはナチスが政党結成した直後、外国人として初めて資金援助したんだ。ヒト

ラーはフォードを尊敬して自宅の居間に彼の写真を掲げ、来客に『国際ユダヤ人』をプレゼントして

いた。フォードの思想を取り入れて、ヒトラーはフォルクスワーゲン・ビートルを作らせたりアウト

バーンを作らせたりで失業者が六百万人もいたドイツを復興させたのも事実だよ」


「フォードがユダヤ嫌いだったなんて知らなかった。そうか! だから、チャップリンが『モダンタイ

ムス』でフォードの流れ作業を揶揄したんですね」


 啓は長い間、わだかまっていた靄が晴れ、さっぱりした気分になった。


「ひとつ面白いことがある。ドイツではユダヤ人の迫害が始まったが、ドイツと枢軸関係を結ぶ前

の日本には、満州国経営の困難をユダヤ資本を導入することで解決しようと主張した人たちがい

た。『河豚計画』っておかしな名前で呼ばれている。『日ユ同祖論』つまり日本人とユダヤ人は同

じ先祖から出たって論もあった。アジメには興味深い論だろ」


 ラウルは啓に片眼でウインクすると、さらに続けた。


「フランスには一八七〇年に成立した『クレミュー法』ってユダヤ人に対する誹謗中傷を禁止する

法律があった。ところがヴィシー政府は『クレミュー法』の無効を宣言して反ユダヤ主義運動を合

法化してしまった。ヴィシー政権はナチスに強制されてクレミュー法の無効を宣言したんじゃなく

て、自発的に反ユダヤ主義を奨励したんだよ。ドレフュス事件があったとおりもともとフランスには

反ユダヤ主義があった。軍とイエズス会はその温床だしペタンも反ユダヤだったからね。ピエー

ル・タヴェルは一九四一年に『ユダヤ人の財産没収』を宣言して、アリアニザシオンをやった。ユダ

ヤ人の財産を没収しアーリア民族に所有権を移そうって運動だよ」


「他民族の私有財産を没収しちゃったんですか! ラファイエットの私有財産は神聖にして侵すべ

からざるものって人権宣言はどうなっちゃったんでしょうね」


 啓はソルボンヌの文明講座で習ったばかりのことを引き合いに出した。


 ラウルはいちど深く頷いてから続けた。


「『水晶の夜』と似たような、ユダヤ人商店の軒並みの破壊と虐殺だよ。没収された財産は控えも

無く行方不明になり、大抵は、没収に当った役人の拾得物になったんだ」


「所有とは窃盗であるって言葉を地で行ったんですね」


「アリアニザシオンを遂行したタヴェルはナチのSS将校たちとの会合で得意になってぶったん

だ。『反ユダヤ主義の行動という点では、われわれフランスの方が諸君ナチス・ドイツよりも先輩

である』って」


  (つづく)


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