「レオン・ブルムが首相の時代は反戦平和だったんでしょう。それがどうして……」
「ナチス・ドイツに破れたかだね……。マジノ線は古臭い中世の要塞みたいに守る一方だったから
だよ。ナチのパンサー戦車隊は機動力そのもので、通過できないと信じられたアルデンヌの森を
突破してフランスへなだれ込んだ。フランス政府はパリを捨てて逃げた。パリは『無防備地区』宣
言をして、ナチス・ドイツは無血入城した。無防備地区宣言は、ハーグ陸戦条約で定められた、戦
時に都市の流血を防ぐための降伏宣言だよ。でも、敵に抵抗せず引き渡したことで、あとでヴィ
シー政府のペタン元帥とタヴェル首相が国家への裏切りとして裁かれるんだ。パリでユダヤ人が
黄色いダヴィデの星を付けさせられたのはナチスに占領されてからだよ」
「僕には、ナチスがユダヤ民族の絶滅に走ったのがどうしても理解出来ないんです」
「人種差別と民族的偏見は、昔からあったよ。アジメはパリへ来て東洋人への偏見を感じたこと
はないかい?」
ラウルは気の毒そうな眼を啓に注いだ。
「そりゃありますよ。大統領が日本の首相をトランジスタのセールスマンと呼んだり」
「ははは。ドゴールはアメリカの言いなりになる日本の政治家を確かに軽蔑してたね。東洋人につ
いて、あるフランス人が書いた批評があるんだが、聞きたいかね?」
ラウルが啓の気をそそるように笑いかけながら聞くので啓は誘いに乗った。
「ええ。聞きたいです」
「黄色人種は凡庸で、実用性を好み、秩序を尊び、ある程度の自由の価値を知ってるが、夢想し
たり、理論化することを好まない。それほど深淵、崇高でないものは理解でき、自ら発明はしない
が、自分に役立つものなら、価値を認めて取り入れる……って」
「そんな……僕は、夢想が好きですよ。トランジスタとそれにテレビのアンテナを発明したのは日
本人だ」
「そうだね。これを書いたのはゴビノーって十九世紀のフランスの伯爵だよ」
「ゴビノーの思想がナチスに影響を与えたんですか?」
「第一次大戦に敗れて法外な賠償金を課せられ、打ちひしがれていたドイツ民族が、アーリア民
族は優秀だって人種イデオロギーに鼓舞され立ち直ろうとしたんだね。熱烈な民族主義者だった
ワーグナーはゴビノーが好きだったし、ワグナーの娘婿のチェンバレンはドイツに帰化し、ゴビノー
を曲解して人種差別思想を宣伝したんだ」
「東洋人の夢想や理論は言葉を理解しなければわからないですね。自ら発明しないって批評も産
業革命を先にやった西洋の偏見です。フランスみたいに地理的条件に恵まれた国民には、地震と
台風にいつも襲われてる東洋人の苦労は理解できないだろうな。スコットランドには地震はないん
ですか?」
啓はゴビノーを批判してから、ラウルとアンナの故郷に話題を振った。
「となりのアイスランドには火山がいっぱいある。いまでも時々大爆発を起こす」
「それでフランスに逃げて来たんですか?」
「スコットランドは、英仏百年戦争の時代、イングランドと対立していて、フランスと同盟を結んでた
んだ。ジャンヌダルクがオルレアンを解放した時も、スコットランド軍が活躍したよ。マリー・スチュ
アートはスコットランド出身だしね」
(つづく)