物語はポーランドの宣教師たちが長崎に上陸するところから始まる。
宣教師の中には「コルベ神父」という顔色の悪い、いつも疲れた表情をしている人がいる。ワルシャワのユダヤ人居住区(ゲットー)から来た人だった。
主人公のサチ子は先祖が浦上の「四番崩れ」を経験した代々カトリックの家に生まれ、大浦天主堂に礼拝を欠かさない敬虔なクリスチャン。
アメリカ人のウオーカー家へ遊びに行き、同じくらいの年のヴァンちゃんとジムと友達になり、ウオーカー夫人が弾くピアノに合わせ「椅子とり遊び」をして遊ぶ。
わんぱくでいたずら好きを絵にかいたような色の黒い少年、修平も遊びに来て、椅子取りに最後にサチ子と修平のふたりが残るが、修平は、みんなの眼にとまらないよう素早くサチ子のお尻を撫で、素知らぬ顔で椅子をサチ子に譲る。
こんな風に幸福な少年時代が過ぎ、やがて日本が戦争に突入してゆく時代が来る。
修平は勉学のために東京へ出て、信濃町の学生寮から、ときどき下手な字でサチ子に手紙を書くが、サチ子が修平を愛してるほどに思ってはいない。ただの幼友達と信じている。
しかし、やがて学生も戦争に動員され修平は海軍航空隊の特習生として戦闘機の操縦を習う。死を目前にして修平もサチ子を愛してると自覚する。
小説は、サチ子と修平の物語と並行し、日本を去りポーランドへ帰ったコルベ神父がアウシュヴィッツへ連れて行かれ、絶望的な環境の中、囚人たちが神の愛などと甘ったるい言葉など空疎な絵空事だと唾を吐く、そんな極限状況のなかで強制労働をさせられている日々を描く。
脱走者がでたらそのグループから20人が代償に処刑されるという規則がついに実行される日が来た。「妻と…子供に会いたい」と処刑される囚人が唸るように叫ぶ。そのときコルベ神父が「私を身代わりに」と驚くナチス将校へ申し出る。拷問室の隣に餓死室、窒息室があり、囚人はそこへ入れられて、死を待つ。6日経っても死なないのを見て、将校は医者に注射をさせ最後まで生き残っていたコルベ神父も殺す。
修平の悩みは「汝、殺すなかれ」と教わってきた聖書の言葉と、戦争へ駆り出され敵をひとりでも多く殺さねばならない国家の命令との間でどうすればいいのか? 教会は何もしないし、牧師さんも解らないとしか答えてくれない。
遠藤周作は「沈黙」で、キリシタン弾圧のあまりに過酷な現実に棄教してしまう宣教師を描いた。
「この世界を創造された善なる神がおられるなら、どうして私や敬虔な信者が救いを求めるのにお答えくださらず沈黙なさったままなのですか? 」という信仰者の悲痛な魂の叫びを書いた。
「女の一生」を読んでいても、たびたび次のような問いを発したくなる場面が出てくる。
「なぜ神は、悪が、身の毛がよだつような悪業の限りを尽くし、人間の愛など微塵も顧みず虚無と化してしまう悪魔の行いを、ほしいままににしておかれるのですか? 世界は善なる神によって統御されている筈ではないですか? 」
そういう素朴な問いかけを、信者も読者も、発せざるを得ない。
修平の疑問を作者は小説の中で箇条書きにしている。
1.私たち人間を殺すことを強制する権利が国家にどうしてあるのか?
2.戦争で人を殺すことをなぜ教会は認めないのか?
3.戦場で相手を殺さなければならぬ時、基督教徒はどうしたらよいのか?
「米国人の基督教徒と日本人の基督教徒が、たがいに自分たちのほうが聖戦を行っているのだと主張して、殺しあっている--こんな矛盾があるでしょうか?」
修平は徴兵を逃れるために自分で自分の人差し指を切り落とそうと試みるが、やはりできない。醤油を飲んで徴兵を逃れた(詩人金子光春は自分の息子に醤油を飲ませて徴兵を免れさせた)という話を聞いたことがあるが修平はそんなことがうまく行くとは信じられない。仕方なく徴兵検査を受け合格する。
戦闘機の操縦が出来るようになった修平は最後、それより他に道はないと「神風特攻隊」に志願して死ぬことを選ぶ。サチ子に宛てた遺書。
「人、ひとりの生命と人生をこの世から抹殺することは、まがりなりにも基督教徒だった私には耐えがたいのです。だから誰かを殺す以上、私もやっぱり死んだ方がいい。そのほかに解決はない。」
修平とサチ子の幼友達のアメリカ人ジミーは、2発目の原爆を積んだ爆撃機に搭乗している。小倉を爆撃地点として原爆を目視投下せよと命令を受けていたB29のチームは八幡製鉄所が炎上し煙で視野が利かないため急遽長崎へ攻撃目標を変更する。サチ子は防空壕に居たため、死なずに済んだ。
それから30数年後。サチ子は善良でまじめな夫と浪人中の息子、高校生の娘と平和な家庭生活を送っている。だが子供たちとの間には溝を感じる。「息子の恒夫と娘の春江からみると、サチ子はナウなものをほとんど知らぬ時代遅れの母親の一人にすぎない。」と作者は書く。
「わたしから見ると、あんたたち、国籍のない外国人みたいだわ。風俗、習慣、考え方の違う外人だと考えて腹をたてないようにしているの」
「女の一生」が新聞に連載されたのは昭和55年から57年にかけてだから、随分昔のことになる。第三の新人遠藤さんは昭和世代が当時も今も抱いている感情を代弁してくれた。
教会へ行かなくなった恒夫は母に向かって言う。「どうして、母さんがまだ信じる気持ちを持っているのか、わからないなあ。もし神様がいるのなら、どうして長崎の信者をたくさん原爆で殺したのさ」
「じゃあ、あんたたち、たとえばアウシュヴィッツの出来事も神様がなさったことだと思うの? あそこでもたくさんの信者が殺されたけど。原爆だって同じじゃない?」
サチ子は反駁した。「それは無実の神様に罪を背負わせることよ」

