その湖畔にNは数年前独りで来たという。
「夜明けにあの山が闇の中で青から赤、だんだんと岩の白い色に変ってゆくのを見てて、荘厳な感じに撃たれてな。創世記を思い出した」
Nは十数年ぶりに再会し、彼の一戸建の家で土産のサンテミリオンを傾けながら夜食を共にした時、「おれ、クリスチャンになったんや」と信仰を選んだことを告白した。
高校の時のNはめのおにとっての読書の先輩だった。倉田百三の「青春を如何に生きるか」とか「愛と認識との出発」などを読めと薦めてくれたから、彼がクリスチャンを選んだと聞いて、めのおも自分なりの答えを出したいと思った。
それ以来、すでに20年近くが経ってしまい、未だに答えを出せていないのですが、ちょびちょびと進んではいるんです。
めのおには世界観、というと大げさだけど、高校で「唯物論と唯心論とどちらが真理か?」という認識論の命題を自分に課したので、どうしても宗教に対しても、アプローチの仕方がそこからになってしまう。
有名な「ヨハネの福音書」はこう書き出されている。
「初めに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は初めに神と共にあった。すべてのものはこれによってできた。
①できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。光は闇の中に輝いている。
②そして、やみはこれに勝たなかった。」(日本聖書協会発行、 1954年改訳版)
これをフランス語の聖書と比べてみよう。プレイヤッド叢書のなかの聖書から引用します(Evangile selon Jean, Nouveau Testament, Pleiade1971)
①Tout a existé par elle et rien de ce qui existe n'a existé sans elle.
② La lumière brille dans les ténébres et les ténébres ne l'ont pas trouvée.
ここでも既に日本語訳との違いがわかる。②「やみはこれに勝たなかった」は「光は闇の中に輝き、闇はそれ(光)を見出さ(あるいは手に入れ)なかった。また①の中ほどにある仏語の RIENラテン語では NIL(Nihil)という言葉が解釈をまっぷたつに分けるのだが、それはまた後に。
この光と闇、善と悪をめぐって12世紀から13世紀にかけて南仏を中心に広まった「カタリ派」と、これを異端とし「皆殺しにせよ」と命令したローマ法王の許にフランス軍が出動し全滅させた「アルビ十字軍」が起こった。
世界は「善」なる唯一神の創造になるものか? それとも初めから「善」と「悪」との二つの対立する原理により作られたものなのか?
この世の不正や汚濁、悪を前にして善良な市民は正義はどこにあるのか? 正義を代表するはずの教会や聖職者が腐敗した姿をさらす。この時代の南仏ではローマカトリックが正統だし、マルチン・ルターが出たドイツもそうなのだが、正統に反旗を翻し、これこそが正しい道だと新しい信仰を抱く人々が出現する。
「カタリ派」はキリスト教だが、プロテスタントの前駆とも、また東方ペルシャの「ゾロアスター教」、マニケウスを始祖とする「マニ教」との類似性が指摘されている。それと、忘れてならないのが紀元2世紀ごろ地中海沿岸に現れた基督教の一派「グノーシス派」との類似性なのだ。
めのおが「カタリ派」に興味を持って調べた時に、初めて「グノーシス」という言葉を知った。上の諸宗派は(プロテスタントは別として)すべて二元論の立場をとり、それが故にローマから異端と断罪されている。
「グノーシス」という言葉は、最初、基督教神学のテクニカルターム(専門用語)だったのだが、だんだんと一般に広まるにつれその意味も拡大していった。もとはギリシャ語の「認識」という意味。グノーシス派は詳しく調べると色々あるようで、まだ入口に居るめのおには語れないが、初期の代表者とされるプトレマイオス(大天文学者とは別人)の体系構築には、もうひとつ「ソフィア」というおなじ「知る」意味のギリシャ語とそのアレゴリーたる女性「ソフィー」が重要な役目を果たす。
今知った範囲でグノーシス派の世界観を雑駁を恐れずに単純化すると、「この世を創った神の上に、もうひとつ至高なる神がいる。ユダヤ教(旧約聖書)の神が創った世界は汚濁に満ち、悪しき世界で、至高神がおわすその上の世界からイエス・キリストがこの世に出てきて宣教した。人間は世界と同じ汚濁にまみれた被造物だが、ただひとつ、人間の中には『至高なる神』につながる、ごく一部の善性が含まれていて、それを見出すことが救済なのだ」となる。
20世紀は全体主義の時代だった。スターリンの全体主義、ナチスの全体主義、超国家主義に支配された日本の全体主義、毛沢東の全体主義。
その全体主義の20世紀がわれわれに負の遺産として残したのは、
①核兵器と原子力に代表されるテクノロジーと環境破壊の問題
②アウシュヴィッツに代表される人種差別と、宗教、生活習慣の違いを容認しない原理主義によるテロと戦争の脅威
こうした20世紀を激動とともに身をもって生きた思想家がいることを最近知った。「グノーシス」の研究家として知られるハンス・ヨナス。1903年にドイツで生まれ1993年にニューヨークで没した。彼がハイデガーの元で博士論文を準備中に同じ境遇のハンナ・アーレントと知り合い、その後生涯を通じて友情を保ったということも。ハンナアーレントはゆっきー女史が教えてくれた思想家だし、グノーシス研究家というのがめのおの注意を引いた。
ヨナスの著作はまだ読んでおらず、これからの読書が楽しみだが、ネットで調べたことだけでも取り敢えず書いておこう。彼のもう一つの業績は「技術時代における倫理の探求。規範としての責任性」という著作に集約される。
「人類の存続は、我々の世界である地球とその未来への配慮に対する努力に依存している」
「汝の行いの結果が、人間の純粋生命の永遠と調和するように行為せよ」
このふたつだけでもすごく良い言葉を残した人だなとさらに読みたくなる。これからのめのおの探求の方向が見えたように思う。
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明日からこのブログに小説を連載します。「小説」のカテゴリーを選びながら、ずっと小説の投稿をしてなかったものですから。もうひとつのブログ「ココログ」に既に連載したものですが、書き直したので、大きく変わっています。
一人でも多くの方に読んでいただきたいとの願いから改訂版を投稿するものですが、約一カ月、場合により、それより早く中断することもありえます。といいますのもこの小説は近く i Phone 用に出版されるからです。出版と同時にこのブログの小説は削除します。
ただしブログには「ノーカット」版を投稿します。一日2回、約一ヵ月間の連載になると思います。よろしくご訪問願います。
