これより23年も前の1891年にアンドレ・ジッドは「ナルシス論」を書き、ヴァレリーはジッドに出会う2か月前にモンペリエの植物園にある「ナルキッサの霊を慰めるための墓」を見て詩「ナルシス語る」の初稿を書いた。
ヴァレリーは植物園のこのナルキッサと呼ばれた英国少女の墓を訪れることを愛し、そこに刻まれた上の言葉を「ナルシス語る」の詩篇にエピグラフとして掲げた。
ナルキッサと呼ばれた英国少女は本名をエリザといい、18世紀の英国詩人ヤングの娘だった。結核を病み保養のために父親がモンペリエに移住した甲斐もなくこの地で死んだ。プロテスタントのヤング一家はカトリックのこの地に墓は作れなかったが、約半世紀後にこの場所に人々は少女の白骨を発見した。地元の人が憐れんで少女の墓を作り、そこに「ナルキッサの霊を慰めるために」と銘を刻んだ。
ピエール・ルイスが主催した同人誌「ラ・コンク」にヴァレリーの「ナルシス語る」が掲載されたのは1891年3月のことだった。
ヴァレリーはジッドと初めて会った日に、植物園に誘い、この墓に案内した。前回ちょっと触れた「友情の森」という題のヴァレリーの同性愛を歌った詩に出て来る森はこの植物園のことだと言われる。
ヴァレリーはジイドと知り合ったばかりだったが、「ナルシス語る」の初稿を送り、ジイドは丁寧な批評を返した。ジイドの「ナルシス論」は「象徴派の理論」の副題を付され、ピエール・ルイスの水仙の花の絵が添えられて91年の11月に出版された。
ギリシャ神話に登場するナルシス(ナルキッソス)は美しい青年で女性からも男性からも愛されていた。エコーというニンフの求愛を拒んだ罰として水に映った自分の姿に恋するという呪いを受けた。自分で自分を恋する思いはどうしても遂げることが出来ず、やつれ果ててついに水仙(ナルシス narcissus )になってしまった。
エコーはゼウスがヘラの監視から逃れるのを歌とお喋りで助けたためにヘラの怒りを買い、自分では口が利けず、他人の言葉を繰り返すことだけを許されていた。ナルキッソスを愛したエコーは何を言われても彼の言葉を繰り返すしかなかったので
ナルキッソスは「退屈なやつ」と振ってしまった。エコーは悲しみのあまり姿を失い、ただ声だけが残って「木霊」になった。木霊のことをエコーと呼ぶのはこのためである。
ネメシスはナルキッソスの行いを神への侮辱と取り、罰として「他人を愛せず、ただ自分だけを愛する」ようにしてしまう。ある日ナルキッソスは水に映る美少年を見て恋に陥った。自分で自分に恋する少年。思いが遂げられずやせ衰えて死んだとか、水に映る少年に接吻しようとして池に落ちて死んだとか。とにかく少年が死んだ後に水仙の花が咲いた。
ナルシスを主題にした絵を幾つか。上はカラヴァッジョのナルシス↑
Brulov というのが画家の名前かわからないが、美しいナルシソス↓
多分19世紀か20世紀初頭の画家の手になるナルシス↓
ずっと時代が下って、ダリの「ナルシスの変貌」↓
(つづく)



