私小説風エッセイ その③ | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

スト派の活動家学生の主張は大学総長との団交で「全学共闘会議」議長として代表として立ったO君の演説に明らかだった。ところで全共闘という言葉はこの時すでに使われていたと記憶する。

O君の主張は、
文部省が提案した「人造り計画」などの白書は、大学を産業社会、企業が管理しやすく使いやすいサラリーマンを大量に養成するためのベルトコンベア式の工場に化すものである。この路線を実行するために庶民の家庭に負担を掛け授業料を値上げするのは許せないというものだった。

文学部にいるめのおは産業社会からはすでにドロップアウトしていたので、企業が管理しやすいサラリーマンに
学生がマスプロ大学で養成されてゆくと自ら規定する表現がおかしかったが、他の学部の学生は一流企業に就職することを考え、カリキュラムなんかにその路線を露骨に感じるのかもしれないと考え直した。

「期待される人間像」は1965年1月11日に中央教育審議会が出した答申「後期中等教育の拡充整備について」の別記として発表された文書で、「当面する日本人の課題」として、「正しい愛国心をもつこと」「象徴(天皇)に敬愛の念をもつこと」などを謳っていた。愛国心を強調するところに、教育の戦前回帰を懸念する声も強く出た。とりわけ、政府が国民の価値観や教育に干渉することが問題になった。今日もなお、「期待される人間像」は中学・高校の卒業式に国旗を掲揚し国歌を斉唱することを義務づけこれに反対する教師を処分するなど、日本の各地で問題を生んでいる。

1965年2月7日、アメリカ政府は北ベトナム爆撃を開始した。本格的なベトナム戦争の始まりだった。これに対し日本の大衆レベルでは、「ベトナムに平和を!市民文化団体連合」を設立した。小田実ら文化人の指導による組織で、
ベ平連と略称され、反組織・脱イデオロギーと、政党との接点を極端に避けた市民主義が「売り」だった。べ平連は 1965.4.24にデモを行った。

めのおは、同級になった原と、入学早々の日、体育館脇の土手で桜を見ながらベトナム反戦デモに行こうと決め、日比谷の集結地へ行った。宣伝カーの屋根に乗った小田実と開高健が、外国製と一眼で分かる
ジャケットを着て交代に喋った。原は、大学卒業後宝塚に入社し舞台監督を務めたが、男役の女優と結婚し男の子が出来て早々に水泳で長距離を泳ぎ心筋梗塞で死んでしまった


いまおもうに、全共闘のO議長が取り上げた「人造り計画」は、高度経済成長を遂げつつあった戦後日本経済を、それまでと同じ方向に、さらに強力に推し進め大国日本を目指すことと、先進社会が必要とする管理能力、いうなれば、フォード・テーラーシステムに相応しい合理的、効率的思考と行動ができる人間を養成するためのプログラムであり、活動家は、そのような日本の社会の将来像、世界観に反対してストを組織したのだった。

  (つづく)

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