ペンダサンはこの点についてまず、旧約聖書の「ミカ書」から始めている。(以下要約)。お百姓のミカさんは、実に驚くべき進歩的な意見を口にした。すなわ ち①富者(地主・資本家)が貧者(労働者・農民)を搾取するのは罪である。②故に、この搾取した富によって築かれたエルサレムの神殿は罪の成果であるか ら、ヤハウエ(神)自身がこれを打ち壊すであろう、と。(実際エルサレムの宮殿は一度崩壊した)
神殿を増築し、美しく飾るということは、一心に神を拝し、神を賛美し、神に仕える行為である。そして、この行為を一心に、全く私心なく、心をこめてすればするほど、それが神の意志に反してくるということである。一種の弁証法なのだ。
(中略)
ミカの弁証法の最も奥底にあるものは、人間には真の義すなわち絶対的無謬はありえないということだろう。真の義はただ神にのみあるのであって、人間はたとえ一心不乱に神を讃え、神の戒命を守り、神に従っていても、そうする行為自体の中に誤りを含む、という考え方である。
従って、全員一致して正しいとすることは、全員が一致して誤っていることになる筈で、たとえわずかでも異論を称える者があるなら、その異論との対比の上 で、比較的、絶対的正義に近いこと(すなわち無謬に近いこと)が証明される。従って、少数の異論のある多数者の意見は比較的正しいと信じて良い。
全員が一致してしまえば、その正統性を検証する方法がない。誤りでないことを証明する方法がないから、無効なのである。
サンヘドリン(Sanhedrin )というのはイエス時代のユダヤの国会兼最高裁判所のようなもので70人(議長を入れれば71人)で構成されていた。サンヘドリンには明確な規定があった。すなわち、
「全員一致の議決(もしくは判決)は無効とする」と。(以上、要約終わり)
サンヘドリン(最高法院)はイエス逮捕を決定し、ローマから死刑を禁止されていたためイエスをピラトに引き渡し死刑にしたと言われている。そしてこの判決は全員一致だった。つまりイエス逮捕と死刑に処すためのピラトへ引き渡したこの決定は無効だった、というのが後の世の人の説くところで、なんとも複雑な話ではないか。
ペンダサンのこの部分を読んでめのおが思ったのは先日このブログにも書いたアメリカ映画「12人の怒れる男」のことだった。
