そもそも、このちょっぴりシリーズを始めたのは「おらが村」サンファルジョーの、この時代の城主だった、ルイ・ミシェル・ルペルチエがフランス史上最年少(19才)で高等法院の裁判官となり、さらに国民公会の議員に21歳で選ばれ、ルイ16世の審問に立ち会い、票決に際し「良心の命じるところにより国王処刑に賛成票を投じ」、それが故にかつての国王護衛官パリスによって暗殺された悲劇を振り返ってみたかったからでした。
早くから死刑廃止を唱えていた若き司法官ルイ・ミシェルが国王の処刑だけは別と考え、「良心に従って ウイ」を投る確信を抱いた。
その理由は何か? ルイ16世はそれほど悪い王様だったのか? 国民公会が、国王を「人類の敵」、「国家の裏切者」と断罪した、そこに挙げられた罪状はどんなものだったのか?
国民公会におけるルイ16世の審問↑
ルイ16世の審問は、9月21日に王政の廃止が満場一致で議決された後、11月20日にチュイルリー宮殿のルイ16世の部屋に隠し戸棚が見つかり、そこに隠された700点以上の秘密書類が、国王の国民への裏切りを証拠立てる物として明らかにされたため、国民公会が「ルイ16世審問」を決めて行われた。
ルイ16世はもはやその名も「ルイ・カペー」と呼ばれ、「あなた」と普通の市民と同じ呼びかたをされた。
1792年12月11日から翌年1月にかけて「ルイ・カペー」は国民公会に引き出され審問を受けた。
罪状として挙げられた主な項目は11ある。
1.三部会開催を妨害した。自由の弾圧。
2.パリ市民に軍隊を差し向け、バスチーユ陥落まで引揚げさせず弾圧を続けた。
3.立憲議会での約束を守らず、封建制の廃止を遅らせ、三色帽章が踏みにじられ るのを見捨て、1789年10月5日と6日を誘発させた。
4.連合祭りの際に、誓約し、ついでミラボーを介して立憲議会の懐柔を図った。
5.憲法を受諾したと示す外交官宛ての手紙のコピーを示し、立憲議会を騙し、王家一族の逃亡を準備し多大の人民の金を浪費した。
6.フランスに君主制を復活するため、プロシヤ王と、レオポルド2世と協定を結んだ。
7.ブイエ侯爵と外国へ移民した者へ莫大な額の金を送った。
8.1792年8月10日の民衆蜂起に弾圧を指示した。
9.穀類と砂糖、コーヒーを貯蔵するよう命令した。
10.2万人の連盟軍編成を計画した政令に拒否権を発動した。
11.1791年7月17日、シャン・ド・マルスにおける銃殺事件の責任者である。
国民公会はルイ16世の弁護を許可した。12月26日には、ロマン・ド・セーズが弁護人として弁舌をふるった。
めのおは、上の罪状と弁護人の弁論を後日検討したいと思う。
とまれ、国王処刑に賛成か反対か? 票決がなされた。1973年1月20日のことである。票決は議員ひとりひとり名前を呼びあげられ、ウイ(賛成)か ノン(反対)か声を出して表明した。
結果は、745議席(票)のうち、ルイ16世の処刑に賛成が387票。反対が360票だった。
387の賛成票のうち26票は「執行猶予つき賛成票」だった。387票から執行猶予付きを除くと、なんと
賛成361票、反対360票。 たった1票の差!!!で ルイ16世の処刑が確定された!!!
上訴は認められず即時執行に移された。1792年1月21日早朝、国王ルイ16世は革命広場(現コンコルド広場)の処刑台でギロチンに首を刎ねられた。処刑台へ上った時、国王は広場を埋めていた群衆に何かを訴えたが、太鼓の音に遮られ聴きとることが出来なかった。
英国人は言う。「国王を国外追放にすれば、宮廷人は付いて行けず、そこで王政は絶えるが、処刑すると宮廷人は家族を保護し復讐を企てるので必ず王政が復活する。名誉革命で処刑されたチャールズ1世が良い例ではないか」
フランス革命は、この後、血で血を洗う、恐怖政治の時代に突入する。ダントンもロベスピエールも、国民公会の議員の大半が互いに敵を有罪に陥れギロチンに送る殺し合いが始まった。
混乱を収拾し、国民国家と徴兵制を敷き、周辺国家への革命の輸出とフランス
帝国を築いたナポレオンが実権を握るまで……。
おらが村のルイ・ミシェル・ルペルチエは国王処刑に賛成票を投じた晩、パレ・ロワイヤルで、元国王の護衛でゴリゴリの王党派フィリップ・ニコラ・マリ・ド・パリスによって暗殺されてしまう。
パリスは王の護衛だったが国王失権で失業し、国民公会の議員で、国王に近い親戚筋でありながら国王処刑に賛成票を投じたフィリップ・オルレアン公を暗殺しようとパレ・ロワイヤルに赴いたが、オルレアン公に近づけず、偶然そこにいたルペルチエを剣で刺し殺した。
その後、パリスはパレ・ロワイヤルの香水店経営の愛人宅に3日程潜んでロンドンへ逃げる日を待っていたが、ひとりの「ウサギ商人」がパリスの革命を口汚く罵る言葉を聞き咎め、身元がバレてしまった。逮捕に先んじて自らピストルを頭に発射し自殺した。
この事件と、その後の経緯については、また近いうちに投稿したいと思っております。
さて、これから下はめのおの個人的事情です。
もう一つのブログに連載した小説「アンナへの贈物」が電子出版されることになり、これから年末にかけて鋭意改稿しなければなりません。
ブログ投稿の初稿は出来が悪いので全面的に書き改めます。
めのおにとり初めての商業出版なので、全力を集中したく、しばらくの間、投稿をお休みさせて頂きます。
皆様のブログへの訪問は推敲の途中でも、続けさせて頂きます。
この大革命の記事は思いがけず沢山の皆様からコメントを頂きましたので、落ち付き次第続きを投稿したいと思っております。ご声援ありがとうございました。
