フロンドの乱 その9 3兄弟の戦い | 雷神トールのブログ

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西欧のキリスト教国ではクリスマスに「クレッシュ」と呼ばれるキリスト誕生の情景を飾る。「キリスト生誕群像」などと訳されているが、馬小屋のマリアとキリストの人形を馬や羊と一緒に飾る。クレッシュには揺り篭、秣桶、さらに今では託児所の意味がある。各家庭で飾る小さなのもあれば教会内に飾る大きなのもある。クレッシュに登場するのが、キリスト降誕に際しベツレヘムへ礼拝に来た「東方三博士 les Rois mages 」。この mage はマギといい、元はペルシャのゾロアスター教の僧侶を指した。それから占星術師にもなった。

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クレッシュは正月を迎え年が明けても飾られている。フランスの年末年始の祭日はクリスマスの25日と1月1日のみだが、17世紀には「東方三博士の祭日」があった。祭日こそ無くなったが現在もその名残が残っている。お正月に「ガレット」と呼ばれるパイを家族や友達を呼んで食べる風習がある。丸く平たいパイを切り分けて皆で食べる。パイにはフェーヴという(昔はソラマメを入れたのだろう)人形や動物や様々の形の陶器の小物が入っている。自分の分け前のパイにフェーヴが入っていれば男だったら王様に女だったら女王になる。冠を貰ってパートナーを選ぶ。その後、歌を唄って騒ぐ。この風習が昔の「東方三博士のお祭り」の名残だなんてことは、フロンドの乱を調べていて初めて知った。


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さて、その「東方三博士のお祭り」の間に宮廷は簡単な遷都をしてしまった。ルイ14世生誕の城、サンジェルマン・アン・レイに大コンデ公に護衛されアンヌ太后、ルイ14世、マザランが引っ越してしまった。

噂はその夜のうちにパリじゅうに広まり、パリの住人は不安に怯えた。王様の庇護のもとにパリに暮らしている。その王様がいなくなった。この時代、中世の領主と住民の保護被保護の関係が人々の意識に残っていた。宮廷はもちろん、フロンド派の武装蜂起の危険を一掃するための武力鎮圧をやり易くする為、パリ西郊に避難したのだった。

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鎮圧軍の指揮官は北方で数々の戦勝を挙げスペイン・オーストリア連合軍を打ち破りフランスの勝利を決定的にした名将大コンデ公。ところで、面白いのは、フロンド派は高等法院の裁判官が中心だから戦争には素人。ひとりだけ判事の中に戦争経験者がいたが、軍隊の指揮などできるわけがない。そこでフロンド派が司令官に担ぎ出したのが、大コンデ公の実弟コンチ公なのだった。

コンチ公は、アーマン・ド・ブルボン=コンチといい、コンデ王子ブルボン・アンリ2世とシャルロット・マルグリット・ド・モンモランシーの間に生れた3人の子のひとり。長男がルイ2世=ブルボン・コンデ(大コンデ公)、その次男で、妹にロングヴィル公爵夫人がいる。

この妹の婿、ロングヴィル公爵はパリで義兄の大コンデとコンチ公が戦っていると聞くとコンチ救援に駆け付け、結局はこの兄弟は三人とも国家反逆罪で捕えられてしまう。

最初はルイ14世とマザランに忠誠を示し王党派の指揮官としてパリを鎮圧した大コンデ公は、その間、血を分けた弟への同情か、むしろマザランの権謀術数に剛毅な武将らしく嫌悪を抱いたか、とにかくパリの蜂起を鎮圧し1949年3月11日に「レウイユの講和( Paix de Rueil )」という平和協定を宮廷と高等法院との間に結ばせ、フロンドの乱の第一フェーズ、「法服貴族のフロンド」を終結させる。そして、フロンド派によって監獄から救出された後、今度は自らがフロンド派の首領となり、宮廷、特にマザランに対し叛旗を翻すのである。

(つづく)

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