ゼノンの逆説 | 雷神トールのブログ

雷神トールのブログ

トリウム発電について考える

筆者は一度だけ、現場でタイムスタディーをやり、PTS法、を使った組立ラインの改善プロジェクトに参加した経験がある。
その時、作業を観察し時間をストップウォッチで測り、動作を分析し、無駄を排除し、それぞれの細分化した動作にWF の時間を割り当てた後、もう一度、ひとまとまりの連続した作業手順に組み立て直すのだが、それぞれの動作の合計時間、いわば机に座り紙の上で計算で出した標準作業時間が、動いているラインで実際に作業して貰った時間より、ともすると長くなったという予期に反した結果が出ることがあった。

筆者は、そのことにひどく興味を持ち、時間や運動を分析して扱うことと、人間が肉体と気を使って、動きながら行う一連の作業、つまり現実の運動のダイナミックスとでは、どこかに違いがあると気づいたのだった。

そして、この問題意識は、西洋では遠く古代ギリシャから、東洋では「心身一如」という言葉として昔から考えられてきたということに思い当たった。

フランスの田舎暮らし-flesh948


みなさんは、①「飛んでいる矢は停まっている」。②「アキレスは亀を追い越せない」というゼノンのパラドックスをご存じだと思う。紀元前450年頃、ギリシャのエレア派の哲学者が唱えた逆説は、それぞれ以下の論理で成り立っている。

フランスの田舎暮らし-zenon107


①「飛んでいる矢も各瞬間には一定の位置をしめている。一定の位置を占めているものは、その瞬間停まっている。
矢の始点から終点までの時間は、その間の瞬間から合成される。したがって、飛んでいる矢は停まっている」

②「亀より後の位置から、俊足のアキレスが出発する。アキレスが亀を追い越すには、まず亀の出発点に到達しなければならない。そのとき、いくら足の遅い亀でも、少し先に進んでいる。以下同様にして、アキレスは常に亀の居た位置に到達してからでなければ先を行く亀を追い越せない。アキレスと亀を隔てる距離、直線的空間が分割できるとするならば、この分割は無限に可能な筈だから、有限の時間に無限の点に触れることはできない。よって、アキレスは亀を追い越せない。」

フランスの田舎暮らし-achilettortu200


2500年の間、いろいろな哲学者が、この逆説をめぐって頭をひねってきた。この一見、間違っていないように思える論理が現実と大きくかけ離れているのは、前提や論理のどこかに誤りが隠されているからだろうと、懸命になって、ゼノンの詭弁を見抜こうとした。

さて、このブログの読者のみなさんは、ゼノンのこの逆説のどこに間違えがあって、われわれが日常経験している知覚と認識のあいだに違いができるとお考えでしょうか?

 ランキングに参加しています

ポチッと応援ありがとうございます↓


にほんブログ村 小説ブログ ノンフィクションへ
にほんブログ村