白と茶の毛の長い大きな猫が台所に入って来た。優雅な足どりでテーブルに近づいてくる。サックス夫人が抱き上げて膝に乗せた。
「Nara って名をつけたの」
4年前に日本を旅行した時、奈良がやはり気に入ったらしい。
お気に入りの日本の古都の名を愛猫のペルシャ猫に付けたのか?
日本文化が軽んじられたようで渉は自尊心にチクリと刺すような痛みを感じたが、猫に付けて可愛がってるのだから、まあ大目に見てあげようか。かなり高い教養を持つサックス夫人でさえ日本文化の比重がペットの猫程度のものなのかと失望も感じる渉だった。
「書道と墨絵はまだやってらっしゃるんですか?」
渉は東京で墨と硯と筆のセットを買ったサックス夫妻を思い出して訊いた。
「絵は卒業よ。あの頃はルーブル美術学校に通ってたの。いまは音楽に集中してるわ。ああ、そうだ。来週、グルネル通りの教会でコンサートを開くから、あなたも聴きにいらっしやい。それまで毎日ウチで練習するから、ちょっと賑やかになるわね」
後で判ったことだが、サックス家は音楽一家だった。
サックス氏は子供の時からヴァイオリン。夫人は声楽。長男のベルトランはフルートで、その為にストラスブールに住んで勉強している。次男のフィリップは美術だが末っ子のデイデイエはピアノを弾く。それもジャズが好きなんだという。
長女だけが弁護士志望で法学部だという。
「二三日のうちに、あなたに良いお友達をご紹介するわ。電話をくれることになってるから。日本語を勉強してる女学生なの。
それと、アンリ夫妻とブリュネ夫妻もあなたに会いたがってるわよ。
たぶん、つぎの日曜あたりに、どちらかがあなたを招待すると思う。またお知らせするから、それまでパリをゆっくり見物ください。昼間、出かけて連絡がつかない時はメモをドアに貼りつけとくわね」
(つづく)
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