五月晴れのパリ 2 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

サックス夫妻は、1970年の大阪万博に夏休みの観光を兼ねて来た、30人ほどのフランス人グループの中に居た。大手の旅行会社の通訳募集の広告を見て、フランス語を実地に使って見たかった渉が応募したところ、下請けの名も無い旅行代理店に派遣された。万博で急増する観光客を当て込んだ零細代理店が、通訳もガイドの資格も問わずに搔き集めた中の一人が渉だった。一抹の胡散臭さは、自分でも最初からずっと、渉は持ち続けていて、サックス家のドアの呼び鈴を押した時も付きまとっていたのだった。

通訳が初めての渉のフランス語の表現能力は初級会話の域を出てなかったし、それ以上に、旅行代理店が立てたスケジュールがいかにも杜撰だった。東京から一日バスで走って伊勢神宮に着いた時は日没に近く社殿には入れなかった。フランス人の中には怒りだす人もいた。日光、箱根、伊勢神宮、京都、奈良を観た後、大阪の万博を観たのだが、観光よりも移動でバスに乗っている時間の方が長かった。

渉が口煩いフランス人に働きを認められ、少しは感謝されたのは、大阪万博の後、広島を訪れる予定が台風で列車のダイアが乱れ、予定を変更しなければならない時だった。渉は添乗員以上に奔走して神戸から広島へ瀬戸内海を渡る船の乗船チケットを手配した。フランスの添乗員のブリュネ氏はことのほか喜んでくれた。

サックス夫人は地味で控えめな性格を伺わせる中年夫人で、長めの髪をいつも後ろで束ね、顔が少し「猿の惑星」に登場するお猿に似て鼻の下から顎にかけての口蓋部分が丸く突出て口の両端に縦皺が刻まれた、フランスの東部、アルザス地方に良く見かけるタイプの女性だった。

観光が終わった最後の日の午後、銀座でショッピングをしたが、サックス夫妻は前から予定していたらしく書道の毛筆セットと硯を三越で買った。夫人の後ろでサックス氏が右手の親指と人差し指をすり合わせ、札を勘定する仕草でおどけて見せた。「結構な出費だよ」というゼスチュアだった。サックス夫人は、その頃パリで、ある日本女性に就いて書道を習っていた。御主人は顎ひげを蓄えた恰幅の良い、ゆったりと余裕のある振る舞いをする人で、一目で金持ちと判るが、決して傲慢さを見せたり、ブルジョワ臭さを見せたりせず、育ちの良い家柄を感じさせ、渉は好感を持った。

その控え目な物腰は、もしかすると、サックス氏の髭もじゃの口髭の間に垣間見える、上唇のいわゆる「みつくち」のせいかもしれなかった。サックス氏が話すと、幾つかの子音が母音に吞みこまれ不明瞭な発音になる。

一方のサックス夫人は、やや甲高い女性的な声で、いつも微笑を湛えながら控えめな言葉を周囲の人と交わしていた。奈良の法隆寺を訪れた時、大抵のフランス人は満足した様子を見せた。とりわけサックス夫人が、なにやら瞑想に耽る様子で俯いて歩いていたのが渉の印象に残った。

その後、渉に渡航費の貯金が出来るまでの何年かの間、サックス夫人と文通を続けたのだったが、夫人の手紙は飾らない勢いがあり、平易で率直な言葉で綴られ、やや傾いた書体には、夫人が手紙を受け取るや素早く返事を認める習慣を身に付け、人との交際に慣れた高い知能と教養を具えた人柄が偲ばれ、渉は受け取るたびに敬意を抱いたものだった。

 (つづく)

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