一九六一年十月X日
モジリアニの女への熱い愛が伝わってくるような絵だった。
美の女神へ身も心も捧げたこの画家が僕は好きだ。モジリアニは裸の女を好んで描き、女への熱い情念をイコンに定着しようとして、三十代で結核にかかりアルコールも手伝って行き倒れとなった。彼を愛し、お腹に子を宿していた二十歳そこそこのジャンヌは絶望のあまり窓から飛び降り自殺をした。画家の才能を見抜いていた画商は、モジリアニが道に倒れるのを見届けると、ジャンヌのところへ駆けつけて、そしらぬ顔で二束三文で絵のすべてを買った。最愛の伴侶が倒れたのも知らず、喜びにむせび泣くジャンヌ。だが、親にも結婚を反対され、独りでは生きて行けないジャンヌは、すぐに画家の後を追う。世間に認められず画業の半ばにして倒れたロマンチックな画家の生涯を絵に描いたような人生だった。そういう画家を僕は同情と憐ぴんと芸術に対する純粋な思いに殉じた画家として尊敬もし愛しもする。この画家が、死後これだけ多くの人々に愛されているのは、生前それだけの芸術的に独自なスタイルを作り上げていたからだと思う。彼の絵は、単にセンチメンタルなだけではない。その深い情念を含んだ色彩と、明瞭で親しみやすい形、品があり高貴な線など、人々の共感を呼ぶフォルムと色と線とを創り上げていたからだ。
中学時代からの同級生、田川君がなにげなく賢二の傍へ寄ってきて囁いた。田川君は昔から女言葉で話すのだ。
「第二外国語のフランス語の授業とってもいいわよ。生徒が五人しかいなくて、先生もとっても丁寧にみてくれる。いまはボードレールを読んでるの。キミも出てみたら?」
田川君からそう誘いを受けて賢二はフランス語を始めることにした。その年の夏、飯田橋にある東京日仏学院の夏期講座を受けに通った。葉巻をくゆらせた髯もじゃの先生や、年寄りの婦人に混じって、賢二のクラスを受け持ったのは、まだ大学を卒業したばかりで日本へ観光に来た、夏の間の小遣い稼ぎにフランス語会話を教えるといったうら若い女性だった。彼女は金髪で目が蒼く愛嬌ある女性だった。テキストはモージェを使って、ムッシュウ・ヴァンサンは夏休みヴィアリッツの海岸へ行きます、というような内容だったが。賢二は始めての外国人との会話に胸を弾ませ、とりわけその若い先生に虜になったようだった。ダニエルというその女性は夏休みが終わるとさっさとフランスへ帰っていった。
「ボクはモジリアニのように行き倒れになってもいい。パリへ行って放浪画家になるんだ」と賢二が言い出したのは、その秋のことだった。
(つづく)
ポチッと応援ありがとうございます↓
連載の励みになります。