俊一は高校に入ると「芸術新潮」を購読するようになったが、賢二は「子供の科学」とか、ときどきは「科学朝日」なんかを買って読んだりしていた。まったくの科学少年だったのだ。
昆虫とか植物とか魚とか、外界の物に関する知識はあるが、自分の感情とか心の思いとかを言葉で表現するのは不得手だった。
中学二年の頃までの賢二は、模型工作が好きで、竹ヒゴと紙とゴムでプロペラ飛行機を作って飛ばしたり、冬が近づくと竹を割って骨を作り障子紙を貼って簡単な凧を作って上げては楽しんでいた。
賢二の作った凧はバランスが良く、遠くまで上がり、ありったけの糸をつないで豆粒ほど小さくなったまま、長時間空中にいて、よほど急に風が変わったりしないかぎり落ちなかった。紙飛行機や凧のほかに模型の船や飛行機のキットを小遣いで買ってきては、セメダインで組み立て、紙やすりで磨いたあとラッカーを塗るというようなことをいかにも楽しそうにやっていた。
中学二年の頃から母親が賢二を模擬試験に通わせるようになり、こういう楽しみに耽る時間もなくなったようだった。
いつかはもっとやりたいという願望は残っていたはずだ。高校へ入りたての頃なら一息つけて、模型工作クラブというのもあったから、やろうと思えば出来た筈だ。しかし賢二は手先を使って物を作り悦に入る、この趣味には戻らなかった。
俊一が高三になり賢二が高校に入った年、お袋が本屋に薦められるままに世界文学全集を購読し、その第一回配本にカミユの「異邦人・ペスト」が届いた。俊一がまず読んで賢二に渡したのがきっかけで、つぎつぎと届けられる小説を弟は麻薬に耽る
ように読んでいった。いままでとは違う世界を発見したのだろう。夜中を過ぎても、二段ベッドの上にもちこんだ電気スタンドの灯りで読み続け、それでなくても受験を控えて神経がいらだっていた俊一は、しばしばたまりかねて「早くねろよ」と上に向かって叫ばねばならなかった。
(つづく)
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