めのおの失われた時 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

 3年前帰京した折りに故郷の西大久保を訪ねた。付近一帯は「コリアン・シテー」に変貌してしまって、まったく面影はなかった。公園だけが残っていた。金網に取り囲まれ夜は出入りが出来ないようになっていた。

 今は失われ、当時の住人の記憶の中にだけ残る、あの土地に暮らした日々のことを書いておくのは、町が人間の暮らしとともに変わり、それに連れて、人の心も変わるひとつの証しになるだろうから、まんざら郷愁と懐古趣味だけのことではないと思う。

 公園とめのおのウチとの間には、田中さんと蛭間さん、菅さんの三世帯が住んでいた。田中のお爺さんは、昔大工さんで、ときどき、八つ手の木の下で、前掛けをして、踏み台のような低い椅子に腰かけ、木を相手にノミで細工をしていた。頭には毛が無く、真っ白い眉毛がヒサシのように長く突き出て、お伽噺の翁を見るようでめのおの胆を抜いた。

 娘の「くー」ちゃんは、めのおより七歳も年上で、すでに成熟した女性の風貌を湛えていた。戦時中は学童疎開で信州に暮らし、おやつに歯磨き粉を舐めたなどと語ってくれた。

 その隣の蛭間さんと菅(スガ)さんは二世帯が一軒の家に住んでいた。蛭間さんはお婆ちゃん独りで、たぶん菅さんの奥さんの姉さんだったのだろう。「蛭間のお婆ちゃん」は痩せぎすで、老いを感じさせぬ陽気で世話好きな女性で、いつも話し相手を求めては近所を徘徊している風があった。後家のお婆ちゃんは、目が悪く、いつも黄色い「眼ヤニ」を溜めた片方の目をしょぼしょぼさせながら活発に口を動かすのがなんとなく風狂な印象を与えた。

 蛭間のお婆ちゃんは、めのおの父方の祖母が危篤におち入った時に学校まで呼びに来てくれた。めのおが小学四年生の時のことで、授業中に教室に飛び込んできて「たいへんよ。おばあちゃんが死ぬのよ!」と叫んだ。めのおが茫然としていると先生が「すぐ帰りなさい」と指示し、お婆ちゃんはその足で兄のいる教室へ向った。

 菅さんには多喜夫くんと菊代ちゃんがいた。多喜夫君はめのおの二つ下、菊代ちゃんはいちばん下の妹と同じ学年だった。多喜夫君は、かかとを先に挙げて歩く癖があり、ひょいひょいと伸びあがりながら、リズムをつけて歩くのだった。

 菅さんちがいちはやくテレビを買い、めのおの妹ふたりは、毎晩夕飯の時間までテレビを観せてもらいに通っていた。壊れた板塀の隙間からめのおは妹を呼びに行ったものだ。

 北側の「平塚」の家とも「柾・マサキ」の垣根の隙間から往き来していた。
平塚さんの敷地はめのおの家の倍ほどあり、「貞よっさん」と「まさよっさん」の兄弟がそれぞれ所帯を構えて二軒の家に住んでいた。

 いったい、めのおの両親は東京大空襲で焼け出されるまでは、同じ西大久保でも明治通りからちょっと引っ込んだ、今より東に住んでいて兄はそこで生まれ、大通りを軍隊が通ると「ヘイタイさん!ヘイタイさん!」と叫びながら走って出て行ったと母が良く語った。

 平塚さんは千住に住んでいたが焼け出されて、リヤカーに家財道具一切を積んで、同郷のよしみで隣に引っ越してきたのだと言う。めのおの父は焼け野原のトタンと焼けぼっくいを拾い集め、平塚の若い衆、「さだよっさん」と「まさよっさん」の力を借りて掘立小屋を建てた。めのおはところどころ焼け焦げのある柱に梁が丸出し、隙間だらけで冬には雪が降りこんでくるような黒いトタン屋根の家に中学2年まで住んだ。

 東京大空襲で焼け野原になった後、いったいどうやって今の土地を手に入れたのか?めのおは世の経済のことが少し判る様になってから疑問に思い、父親に訊ねた。平塚兄弟だって、家財道具を積んだリヤカーをほいほいと引っ張ってきて、勝手に空き地に住み着いたわけではあるまいに。

 親父は「東京都から割り当てられたんだよ」とだけ答えてくれた。この辺の事情をもう少し調べてみたいと思っている。
 
 貞よっさんは郵便局に勤務し、まさよっさんは東京ガスの罐焚きだった。夜勤が多く、お天気の日には昼ごろ起き出し、少しむくんだ青白い顔を縁側に曝すのが見えた。

 貞よっさんは釣りが好きで、めのおもいちど、多摩川に「やまべ」釣りに連れて行ってもらったことがある。川底の石を剥がして裏に隠れている「川虫」をハリに刺し流し釣りで釣るのだが、その日は一匹も釣れなかった。和泉多摩川から京王線の分倍河原まで遡り、途中出会った釣り人にヒルがいいと教えられ貞よっさんが試してやっと一匹釣れただけだった。

 貞よっさんに、めのおは随分お世話になった。姫路へ貞義っさんが帰る時、4歳のめのおは連れて行って貰った。まだ蒸気機関車の時代で東京から姫路まで二十時間ほども掛かった。手土産に親は裏の庭の菜園で採れた大きなトマトを五つ持たせたが、めのおが道中ぜんぶ食べてしまった。着いた夜、大腸カタルで熱が出て、医者は今夜の峠を越せば大丈夫だが、ひょっとすると命に関わると言ったそうだ。

 平塚とは地続きの親しいつき合いをしていたから、公園と全龍寺の墓地との境に生えている「けやき」に登りたくなると、よく貞っさんの家の裏から近道をした。

 まさよっさんのお嫁さんの「マサコ」さんは下町のきっぷが身についた、丸顔の、いつもきさくでほがらかな女性だった。いつぞや、めのおの母親が姑のいじめに堪忍袋の緒を切らせて泣き喚いた時に、垣根を潜り抜けて仲裁に入ってくれたのである。


 (つづく)

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