小説の手法について考えること | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

小説の作者が複数の登場人物の内面に自由に出入りし、あたかも「神様」のように人物を操ったりするのは不誠実である、と20世紀の後半に文学の世界で論じられた。

フランスで言えば、アンドレ・ジイドに始まり、戦後実存主義文学と哲学で神様のように崇められてきた(実際は市井の哲学者だった)サルトルがカトリック作家のモーリアックを批判した論争が有名だ。

同時代のカミユとサルトルは論争し、アルジェリア生れで僻みっぽかった(?パリっ子のサルトルと違って感受性が強く人見しりしたんだと思う)カミユは南仏の田舎に引っ込み、朋友サルトルと袂を分かってしまった。

サルトルはカミユあての短文で「君の方が文章がうまいと評判だが・・・」とカミユの哲学的思考のアラ、粗雑なところを批判しながらも、文章家としてはスペインのセルバンテスなどの伝統を引き継いだカミユの文体の美しさは認めていたようである。

カミユが一躍戦後文学の旗手として世界的にもてはやされるようになったデビユー作「異邦人」は、一人称小説。「ボク」とか「ワタシ」とかの一人称主語は日本語の翻訳では出て来なくてすべて「語り」で進められる。

「今日ママンが死んだ。もしかすると昨日だったかもしれない。」

AUJOURD'HUI, Maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas.

この有名な言葉で始まる「異邦人」は、全体がこうした主人公ムルソーの語るふつうの話し言葉で成っている。このふたつのセンテンスでこの小説のすべてが要約されてしまっている。ムルソーの母親の死に無関心で投げやりな生き方が末尾の「ジュヌセッパ」で要約されている。

上の通り原文では「 je 」という一人称主語が使われている。
日本語訳(窪田啓作の名訳)では「かもしれない」でそのニュアンスを出している。

小説は詩と違って、言葉で作るには違いないが、言葉の背後に在る現実、人生を作者がどう見ているかを伝えるために書くといっても良い。

「詩」は言葉自体が目的だが、小説は言葉は手段に過ぎないと言っても過言でない。
だが、そうは言っても、言葉を使う限り、言葉の喚起するイメージ、そして音、つまり言葉、文体、文章としての音楽的な響きも重要なのだ。

上のフランス語、読める方は声に出して読んでみてください。
まるで俳句の「五・七・五」の韻を踏んでいるようではないか。声に出して快い。

カミユは若くして自動車事故で死んでしまったが、長編小説「ペスト」を残した。
「ペスト」は複数の登場人物が出てくる全体小説である。

ペストを書くにあたってカミユは伝統的な三人称小説の手法を使った。

Les curieux événements qui font le sujet de cette chronique se sont produits en 194., à Oran.

「この小説の主題をなす奇妙な事件は194X年オランで起こった」
事件が「起こった」というのを自然現象のように、再帰動詞の se produire を使ったとこなど「異邦人」とはうって変わり客観的描写に徹している。

ペストにみえるカミユの古典への回帰を、現代に固執するサルトルは「中世に戻るのか」と批判した。

サルトルは「自由への道」という題の長編小説を長期に渡って書き続けたが、ついに完結せず途中で放棄した。この小説で採用した手法は、一つの章では「語り手がひとり」。その語り手が見る光景であり、内面の心理、思考はその人物に限り書き、他の登場人物は外面的な行動(ビヘイヴィア)しか書いてはならぬという規則を守った。

じっさい、我々は他人の心に分け入ってその人物に成りきることなどできない。想像力によって慮るのみである。心理を推しはかったり、同情したりはできる。複数の登場人物がいるとき、ある瞬間にはカズの心理と思考を書き、次の行で、恋人のジャンヌ・マリーの心にあることを書くとしたら、それは人間として不可能なことをあたかも可能なように書く、作家としては越権行為だというのである。

伝統小説、日本の時代物小説には、作者がそれをやってもいいという「言わずもがなの決めごと」がある。作者は個人の手紙や日記や色んな資料を漁り読んだ上で読者に登場人物になりすまして「お竜は火から助け出してくれた龍馬をすっかり好きになった」と書き、次の行で龍馬は「この女なかなかいい器量をしてるな」と思ったと平気で書くのである。

コンヴェンショナルな書き方はそれなりに良くできている。作者と読者は、言わずもがなの了解のもとに、別に「公爵夫人は城の出口でオーレリーの逞しい肩を想った」と書いたって一向に構わない。

書き手はむろん公爵夫人なんかではない、と読者は知っている。作者が想像して書いてると暗黙の了解ができていればそれでいいのだ。

小説を手法の面で追及して行くと、伝統的手法は使えなくなり、新たな手法を編み出さねばならない。そうすると、マルセル・プルーストのように永遠に作家の内面へ降りたってゆき一生かかっても話が終わらないことになる。

言葉に対しての感覚が人一倍優れていれば、ジェームス・ジョイスのような冒険もできる。だが、めのうは言葉の発達が中学まで遅れ、言葉の感覚は並み以下なので伝統的手法で我慢するしかない。

つまり純文学という言葉と手法面での実験と創作は諦め、散文の本質である、言葉を手段として背後にある、人生と社会の実相を映し出すことが出来れば目的達成と思う事にする。

日本は私小説の伝統があって、「私は」とか「オレは」と一人称で書いた方が真実味が出る。そう感じる読者が多いと思う。

この小説では「そうした方が効果が狙える」と思った場合にのみ、イザベルや和秋やジャンヌ・マリーの書いた回想記なり日記なり手記からの引用とすることにした。

ただ、事件が主体となる歴史小説には、また違った語り口がある。森鴎外の歴史物を全部読んだわけではないが、あの引きしまった文体はやはり魅力がありお手本とするに相応しい。

そこで、これ以降、この小説を続けるにあたって、いちいち「イザベルの手記からの引用」など断るのを止めて、父親武彦を筆者としたい。手法を意識するあまり、まことしやかなウソをこしらえてまで手記だの回想記だのを作る必要はないと思う。

事件の十数年後、父親の武彦が関係者から入手した資料を読んだうえで、全体のストーリーを物語るという形にしたい。むろん細部で武彦がその場に居合わせなくて、だれからも話を聴くチャンスがない場合のみ、フィクションとしてその章の主人公の一人称の語りを入れることにしたい。