船中八策の竜馬 | 雷神トールのブログ

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トリウム発電について考える

NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が人気を集めている。
筆者が青春の頃は司馬遼太郎の「竜馬がゆく」がやはり大河ドラマで放映された。
北大路欣也扮する竜馬が鬱屈していた青年にどれほど励ましと勇気を与えてくれたことか。日本を飛び出したのも、竜馬の「国抜け」を見習ったと言っても過言ではない。

維新の英傑のなかで龍馬ほど人間くさく魅力を湛えた人はいない。英雄伝説となったのも、ひとつは若くして暗殺され悲劇的な死を遂げたこともあるが、その行動力、合理性と同時に歴史と世界情勢への洞察力に富んだ情の深い判断力がこの男の魅力となって若い人を惹きつけて離さない。


龍馬の魅力は幾つもあるが、主な点を列挙すると次の様になる。

1)寝小便垂れだった子供が江戸へ上り、千葉道場一の北辰一刀流の達人になったこと。

2)その剣の達人が国へ帰るたびに、「これからはこれじゃ」と最初は懐からピストルを出し、次に「万国公法」を出した。好奇心が強く、眼を広く海外へ向けていたこと。

3)高知の実家が半分は「才谷」という商家で半分は坂本という郷士(侍)だったこと。これにより平民としての平等意識と商人の現実性、合理性を身に付けながらも国事に奔走する侍の魂を持っていたこと。

4)坂本家は明智光秀の末裔という説もある。

5)国抜け後は、江戸、京都、、長州、長崎とほとんど昼夜ぶっ続けで歩いて往き来した。その行動力は超人的。

6)姉の影響か女性に優しかった。「お竜」を火の中に飛び込んで助けだした。

7)長崎に作った「亀山社中」は紋(エンブレム)に土佐藩の三つ葉柏を使ったが、後に岩崎弥太郎が柏の代わりに菱を使い、これが名だたる政商、財閥の基となった。

8)商人としての龍馬はアメリカから中古の銃を輸入し薩長に売り、これによって倒幕側に軍事的優位を齎した。現実主義、合理主義を実行した。

9)薩長連合の仲人役を果たした。倒幕が実現した元を作った。

10)そして、筆者がなにより龍馬を讃えたいのは「船中八策」である。日本が近代国家として出発するにあたり、自分の手で憲法を作った。作り得たことは誇りにしなければならない。

「万機公論に決すべし」。なんと格調の高い言葉だろうか。漢文でなければこういう格調は出ない。龍馬が船中で書き残した「船中八策」が明治憲法の基となった。欽定憲法であろうと、帝国憲法と呼ばれようと、自分たちで憲法を作った。

ここまで書けばお察し下さる方も多いだろう。現行の日本国憲法が「押しつけ」だから自分とは無関係とか、理想と現実、建前と本音が、こんなにもかけ離れたままの憲法を抱いている国は独立国と見做されない。現状とあまりにかけ離れた憲法を掲げることは無責任にも通じる。

だから、すぐに平和憲法を改正せよと言ってるわけではない。理念として理想を掲げる一方で現実に起こりうる国際紛争への対応と防備の仕方、自国と近隣諸国との外交の在り方を視野に入れ、どんなふうに責任を持つか、をきちんと詠った憲法を自分たちで作らねばならない。そうでないかぎり国際社会から一人前の国として認められない。

憲法第9条に関し、「九条を守る会」で老齢をおして行動された敬愛すべき加藤周一さんも井上ひさしさんも還らぬ人となった。これからの私は彼らの意志を継ぎ、憲法第9条がいかなる状況において、いかなる思想のもとに作られたかを探ってゆかねばならない。

1928年、パリで、フランスの アリスチッド・ブリアン外務大臣とアメリカのケッログ国務長官の提唱で「パリ不戦条約」が交わされた。日本はその最初の署名国のひとつだった。

このパリ不戦条約の第1条こそ、現行日本国憲法第9条と一言一句違わない文言で平和思想が詠われている。

「国際紛争の解決の手段として、いかなる場合も武力を行使することを放棄する」

この条約がソ連も含め世界60カ国の国によって署名された頃には、第二次大戦の戦雲があちこちで立ち始めていた。日本は満州でこの条約に違反する武力行使をしたと国際世論から非難され、国際連盟を脱退し、中国で泥沼の戦争を続け、やがて英、蘭、米とほとんど世界中の国を相手取って無謀な戦争に突入していった。