昨夜から急に寒くなった。スチーム暖房だけでは寒いので暖炉に火を入れた。火を見ていると人間は瞑想に誘われる。
17世紀にヨーロッパでいちばん栄えていた国はオランダだった。
オランダの東インド会社は民間企業の連合体だったが政府がこれを公認し支援した。日本は鎖国していたけれども長崎の出島でオランダとだけは貿易を続けていた。
インドネシアを中心に鉱物資源や香料をヨーロッパに運んだ。アムステルダムは貿易港として栄えた。ヨーロッパ中から技術者、画家、知識人がオランダに集まった。レンブラントを生んだのもこの時代だ。
17世紀はあらゆる面で近代が眼ざめた時代だった。フランスからもこの時代の文化的中心オランダへ行った思想家、哲学者がいる。ルネ・デカルト。
デカルトはハーグに滞在中、暖炉の火を見ながら瞑想しているうちに有名な
「われ思う、ゆえにわれあり」という定立を思い至ったといわれている。これこそヨーロッパ近代の開幕を告げる自我の高らかな宣言だった。ヨーロッパ人、とりわけフランス人が自己中心的、なにごとも、まず自分からでなければ始まらないのも、このデカルトの定立を学校で教えるからだ。
デカルトはこの言葉だけ取ると、自己中心思想の開祖みたいに思われがちだが、別のところでは「良識はこの世でもっとも公平に分配されたものである」とも言っている。
デカルトの本業は数学者で、解析幾何学を創始した。今日われわれがWeb ページ上に画像やテキストを位置決めできるのもデカルトのお影である。
同時代人で、デカルトと常に対照的に引き合いに出され、フランスの二大精神的潮流の一方の淵源であるパスカルは、「人間は考える葦である」という言葉で有名だけれど、卑近なところで我々現代人の生活にも影響を及ぼしている。ひとつは手動の計算器の発明。十進法のメカばかりの計算機でデジタル計算機が出現する前までは、横浜の税関などでも使っていた。
ブレーズ・パスカルはコンピューターの生みの親なのだ。
もうひとつの発明は「乗りあいバス(馬車)」。金持ちだけでなく庶民も馬車を利用できるようにしたのだ。
パスカルは「パンセ」をキリスト教の中でも最も厳しい原理主義的な宗派ジャンセニスムの護教のために書いた。
一方のデカルトは精神とか魂とか眼に見えないものは証明不可能だから、まず眼に見え、分割したり測ったりできる物質世界を考察の対象にしようと主張した。近代科学の発祥がこのデカルトの合理主義にあると言われる所以だ。
後代の哲学者がデカルトの考えを推し進め、一方は合理的唯物論となり、他方は超越的自我の存在を唱えたカントへと繋がっている。
西洋の近代思想は19世紀まで、デカルトのこの命題を巡って発展した。だが、第一次大戦が勃発するなど、近代の科学的合理主義が人類の存在そのものを危うくするに及んで、西洋近代自体を疑う思想家たちが現れ始めた。
第一次大戦よりもっと前に彗星のように出現し、すぐに詩作を放棄してしまった天才詩人アルチュール・ランボーはフロイドやユングや構造主義や民俗学が発達するはるか前に、自意識というものが「私」ではなく、私をとりまく他人の意識によって成り立っていることを書いた。
「オレが考えるんじゃない。他人がオレのことを考えてるんだ」と。
人間は純粋な自我よりも、より強く社会的な自我に支配されている。ものを考えたり書いたりすることは、他人、つまり社会的な自我の作用で、そのため眠れなくなるほど人は他人が自分をどう見ているかが気になるのだ・・・いや、そもそも言葉というものが社会的な道具なのだから。
デカルトやパスカルの時代(日本の江戸時代初期)には通信手段は手紙しかなかった。馬や船に乗って運ぶか、飛脚が運んだ。
こんにち通信技術の発達で光の速さで一瞬にして自分の意思を、考えを人に伝え、一瞬の後に返事を貰うことが出来る。
人間は極めて本能的な深層の部分でお互いに繋がりあっている。ネットワークはこの繋がりを組織という人間独自の仕組みでより明確化したものだ。
現代のビジネスはインターネット抜きにはありえない。
ネットビジネスに成功するための第一歩は「考える葦」であり, 「思う」ことを抜きにはあり得ない人間の存在を、「もっとも公平に分かち与えられた良識」に基づいて理解し合い互いに尊重し合うことから始まる。