災害派遣協力のお願い | Final Touch

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猫とお花と音楽と。そして時々おいしいものを。

先日、こんなメールが来た。

 

 

 

 

プラチナナース、とは看護師資格がある60歳以上の現在無職の人、のことを指す。

 

今回の震災のニュース、私は、医療関係者としての目ではなく、被災者の目で見ていた。

自分が被災者の立場ならどうするか、とか、備えは十分か、等。

 

支援する側の立場では、まったく考えたことがなかった。

私にできるのは、金銭的支援しかないと、日赤を通じて募金もした。

 

 

コロナの時、同じような募集があり、3年間深夜勤までしてコロナ関連業務に従事した。

終バスに間に合うかどうかの、残業の日が続いた。

従事する職場によっては、良くわからないクレーマー(税制度の事や政府・首相への批判とか)に怒鳴られることも度々あり、そんな日は疲れて帰ってきても全く眠れず、エチゾラムのお世話になることも多かった。

(今でも思い出してはドキドキすることがあるし、日本人は民度が高いとか言った政治家は信じられないと思ってる)

が、コロナ派遣ナースはまさしく使い捨て看護師であり、こういったケアなんてことは全くなかった。派遣先でクラスターが発生しても、「派遣が持ち込んだんじゃないの」と言われることはあっても情報共有されることはなかった。

そしてそれを相談するところもなかった。きつくて休みたい、と思っても、間に入っている派遣会社から嫌味を言われるのはわかっているので、言えなかった。

 

 

 

 

もし、もしも、私が災害派遣に応募したとして、二次災害のリスクのほうが高いだろうと思う。

コロナ関連業務の時も、卒業後一度も実務経験のないまま、60近くなって応募してきた人とか大勢いて、正直、看護師資格さえあれば誰でも良い、的な考え方に、大いに疑問を抱いたものだった。実際、重大インシデントもあった。

 

 

災害現場で活躍できるような人(できれば外科系の経験があって、個々のリスクを予め予測し情報の取捨選択をし、医師等とスムーズに連携できるような能力)として最も望まれるような看護師は、おそらくすでに最前線の病院や企業で管理職をやっているか、それに準ずる人たち、もしくは子育て中の人たちになるんだろう。

たとえ、2泊3日とはいえども、家族があれば軽々に受けることは難しい。

まして、余震の可能性を考えると、かなりのハイリスクな状況なのであるから、夫や子供(幼ければなおさら)の事を考えたら、受ける人は少ないのだろう(赤十字などの特別な使命のある病院に従事していれば別だが)。

 

そういう意味では…、プラチナナースが便利(笑)なのかもしれないが。

 

給与も「出ると思うけど未定」といったような「あなたの博愛精神に期待しております」的な要請は、するべきではないと思うし、ちょっと卑怯だよねとも思ってしまう。

 

私や、私の友人の看護師のように「コロナ業務で神経がすり減って、もうちょっとと看護師はやりたくない」ということにもなるんだろう。

 

国は、看護師を含め、医療従事者の職場環境、諸々の支援体制(常日頃からの教育訓練を含めて)準備しておくべきなのだと思う。

 

それでも、メールを削除した時…昭和の看護教育によくあった「博愛主義的な何か」が、チクッと痛んだ。

 

以下は、看護学校で覚えさせられた「ナイチンゲール誓詞」の一部である。

 

 

 

我が生涯を清く過ごし、我が任務を忠実に尽くさんこと

 

我は我が力の限り、我が任務(つとめ)の標準(しるし)を高くせんことをつとむべし

 

われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧(ささ)げん