母には妹がいます。
わたしから見ると叔母にあたります。
母と叔母は
遠く離れて暮らしているけれど、
とても仲がいいです
叔母は時々、
入院中の母の様子を知りたくて
電話してきます
先日も電話してきました。
「おかあさんの具合、どうですか?」
「7月からお腹にわるい菌がいて、体調わるかったんですけど。お腹のわるい菌がいなくなったので、この前会った時よりは調子よさそうでした」
「ちょっとずつよくなってるんやろ?」
『ちょっとずつよくなっている』
と言うのは、
ちがう気がする
『ちょっとずつよくなる』というのは、
最終的に入院前の状態に戻ることを
期待しているニュアンスを感じる…。
「えっと、お腹のわるい菌のせいで経管栄養も摂れなくて、点滴で栄養摂っていたのが経管栄養に戻っているので。吐いたりとかはもうないです」
「ちょっとずつよくなってるんやろ?」
これは
「そんなこと聞いてんじゃない」
ってことですよね。
一旦悪化した病状の件は
どうでもよさそうですね
一旦悪化した件に関しては、
よくなっています
しかし、
入院全体に関することについては
『ちょっとずつよくなっている』
とは言いづらい
かと言って
悪くなってるわけではない。
そういう意味では
ちょっとずつよくなっている…?
「よくなったと思ったら悪くなったりですね…」
やっぱり
「ちょっとずつよくなってる」
なんて言えないよ
母は調子が安定してきて、
スピーチカニューレを使って
話す練習を始めた矢先。
嘔吐して意識不明に
なってしまいました。
すでに危機は脱しました。
でも、
ちょっとずつよくなっているとは
やっぱり言えない。
わたしの中で、
「母が話す練習を始めた」と聞いた時
かなり期待を
抱いてしまったんですよね。
「よくなってるんだ」
「ゆっくりだけどよくなってる!」
そうやって期待してたら、
母の具合が悪くなった。
また期待して
悪くなるのが怖いのです
「ちょっとずつよくなってるんやろ?」
繰り返される同じ質問。
叔母はZoom面会で
母と顔を合わせています。
経管栄養を入れていて、
人工呼吸器装着で
声を出せない母を見ても
「ちょっとずつよくなっている」
と信じているのか。
母はこちらの言ってることは理解してる。
うなずいたりはしてくれる。
「入院したての頃は、支える力の強い車いすじゃないと座ることができなかったんですけど、だんだん自分の力で座る姿勢を保てるようにはなっているみたいなので、最初に比べたらよくなっているとは思いますけど」
「ちょっとずつよくなってるんやな?」
この流れ
もう「はい」って言わないと
許してもらえない
本当なら母を大切に思うもの同士
不安や悲しみを
分かち合ってほしいけれど
叔母は
現実を受けとめられないというか
よくなるという希望を
持ち続けたいみたいです。

入院中の母が嘔吐した時の話
よくなった時の話