当別町営軌道は、現在の札沼線(学園都市線)の石狩当別駅から、
青山ダムの手前にあった大袋停留所までの31.3kmを結んでいた簡易軌道です。
1949年(昭和24年)、当別停留所~青山中央停留所間が開業。
1952年(昭和27年)、大袋停留所までの全線が開通。
1954年(昭和29年)9月26日に発生した洞爺丸台風の影響により営業休止。
路線は当別川沿いで橋梁も多かったことから大被害を受け、
復旧の見込みが立たず、1956年(昭和31年)に全線廃止。
書類上の正式な廃止は、1958年(昭和33年)となっています。
停留所は、
当別 - 六軒町 - 茂平沢橋 - 弁華別 - 砂利揚場 - 青山橋 - 共有地 -
中山の沢 - 沼の沢 - 青山中央 - 六号 - 一番川 - 花田前 - 吉田前 - 大袋
の15箇所。
しかし現在も残っている停留所跡は皆無で、
わずかに橋脚跡が残るのみとなっています。
廃止されてから50年以上も経過していることを考えると、
何も残っていないことは、まあうなずけます。
駅マニアである私(つちぶた)が何故
駅跡も残っていない廃線跡に出かけたかというと、
近々、一部の橋脚が「当別ダム」の完成によって沈んでしまう、
と知ったからです。
実際はもっと早くダムが完成して、既に沈んでいたはずなのですが、
工事の遅れが出ているのか、2012年6月現在、まだダムは完成にいたっていません。
しかし2012年(いつかは結局分からなかった)には完成予定とのことなので、
見に行けるとしたらこれがラストチャンス。
そんなわけで、2012年6月16日に当別町営軌道跡を目指し、出かけてきました。
まずは当別町営軌道の起点となっていた、石狩当別駅に到着。
写真は石狩当別駅舎の北口で、
この辺りに当別町営軌道・当別停留所があったらしい。
今回の話とは関係ないですが、
札沼線の駅構内を見ると、電化された際に建設された架線柱が並んでいる様が見えます。
架線が追加されただけで沿線の雰囲気は随分違ったように見えます。
石狩当別駅北口駅前風景。
現在は当別町総合体育館と白樺公園が広がっています。
かつてはこの辺りにヤードと駅が設けられていたらしい。
町中を北上し、民家もだんだんと減ってきたあたりで、
弁華別小学校が見えてきました。
正面の壁には「120周年」と書かれています。
木造校舎ファン垂涎の(?)歴史的建造物です。
弁華別小学校の裏手。
この辺りに弁華別停留所があったらしいのですが、
さっぱり分かりません。
道道28号をさらに北上すると、建設中の当別ダムが見えてきます。
完成間近といったところでしょうか。
写真は裏側の駐車スペースから撮影したもので、
正面側ではまだ忙しそうに工事をしていました。
ダムを過ぎて、ダム湖を横断する橋を渡り、
さらに北上すると、左手に7連コンクリート橋脚が見えてきました。
明らかに「これからダム湖に沈みますよ」、という殺伐とした風景に恐ろしさを感じます。
7連コンクリート橋脚ズーム。
遠すぎてちょっとよく見えませんが、
確かに7つの橋脚が不自然に並んでいます。
ダム工事が始まる前は橋脚のある対岸に降りることが可能だったようですが、
現在は対岸への道路が閉鎖されていて、近づくことができませんでした。
ダムが完成したら、旧国鉄士幌線のタウシュベツ川橋梁のように、
沈んだり現れたりするのでしょうか。
更に北上すると、青山奥橋の横に橋脚跡を発見。
何本か倒れているように見えます。
その倒れた橋脚の対岸にも、草木に埋もれて橋脚がチラリと見えます。
緑が生い茂り過ぎて、道路からでは何本有るのか分からない。
何とか近づけないものかと思ったら、
人一人歩ける程度の脇道があったので進みます。
横から見た橋脚。
どうやら3本立っているらしい。
コンクリートの上にも草が茂っています。
いかにも廃線跡といった雰囲気です。
獣道を進んで迂回すると、川辺に出ることが出来ました。
川を横切っているのが道道28号の青山奥橋です。
川に倒れた橋脚。
こういう廃線跡を見るとつい、
「美しい・・・」と思ってしまいます。
川に倒れた橋脚の対岸を見ると、
こちらも倒れていました。
川から道路へ戻っている途中、キツネに遭遇。
一瞬ラッキーと思いつつも、
エキノコックス症が怖い私はすぐに逃げます。
終点、大袋停留所の直前に残る橋梁に向かいます。
道道28号から橋へ向かう砂利道。
大袋へ渡る道路橋。
とても車が渡れるようには見えないけれど・・・。
横から見た、大袋へ渡る道路橋。
廃止から50年を過ぎた今でも活用されていることに驚かされます。
(写真・文/つちぶた)
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