惜しくも失われた駅舎(Ⅲ) [道外編] 直江津駅 | 鉄道駅の魅力~癒しの絶景駅、戦慄の秘境駅、味わい深い木造駅舎と無人駅

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木造駅舎、秘境駅、風光明媚な絶景駅など、魅力的な鉄道駅を紹介するブログ。日本全国3000駅以上を下車した「つちぶた」が駅の魅力を紹介。また、鉄道の歴史やエピソードを道内在住の鉄道博士「黒羽君成」が担当。

前回までの北海道の駅舎群のご紹介は一段落、
機会をみてまた是非させていただこうと思います。

今回ご紹介する駅は、
裏日本縦貫線きっての要衝、
直江津駅です。


旧駅は、ハッキリ・クッキリの駅名標。
比較的大小さまざまな大きさの柄が並ぶハーフティンバー。
雪国らしく、急勾配の三角屋根。

遠目に見ると、一見お菓子の国の家にも似て、
また車寄せの暖色系のフードにさそわれて、
楽しい気分で駅舎に吸い寄せられそうですが、

両翼まで含めますと、
駅前のタクシー群と比べてお分かりの通り、横にも
高さにも、相当大型の建造物であることがわかります。

ハーフティンバー工法はもう説明も不要なくらい有名になりました。

木組みの外側を外界に出して、抜けた空間を漆喰、または
コンクリートあるいはそれに類するもので埋めていく工法です。

日本では真壁(しんかべ)造りとよんでいて、
柱ごと全部壁材で塗り固めてしまう建て方を
「大壁づくり」と呼んでいます。

木組みの一部を外気に触れさせることによって、
「建築材」の木がいつまでも呼吸し、生命を保ち続けるといわれ、
それによって、家屋中の室内気が循環、
家自体も呼吸をしているかのように浄化されると言うのですが・・・


ところで、従来より、真壁造り/ハーフティンバーは
地震に弱いとの通説がありました。

ハーフティンバーは、欧州で15-16世紀に流行した工法、
日本での最古の真壁造りの建物は法隆寺だそうです。

もし、地震に弱ければ、住宅工法として、
わが国ではとっくに消滅していたでしょう。

$あなたの知らない北海道の駅・駅舎-直江津駅
<二代目直江津駅>
一見かわいく見えますが、幾星霜の風雪に耐えてきた
ボリューム感はさすがに見応えがあります。
撮影日:昭和62(1987)年8月17日
    分割民営化(同年4/1)最初の旅行でした。

・明治19(1866)年8月15日、 鉄道省直江津駅として開業。
・明治31(1878)年に 現在地に移転。
・昭和15(1940)年、 三角屋根を持つ山小屋風駅舎に改築(先代駅舎)。
・昭和29(1954)年6月1日 - 付近の自治体を編入し、
  市制施行して直江津市となる。
・昭和46(1971)年4月29日 - 高田市と合併し、上越市となる
・平成12(2000)年4月7日、遂に世代交代!!
  現駅舎が完成、自由通路の供用を開始。


北海道人には「ナオエツ」という町はどこにあるか?
どんなところか?といった具体的イメージは無いものの、
「室蘭・直江津間フェリー(東日本フェリー)」があるので
漠然とした親しみがあるのも事実です。

道民で「ナオエツ」の地名を聞いたことがないという人がいたら、
どこかの国のスパイかもしれません。



さて、もう一度駅舎を見直してみましょう。

ハーフティンバーの上半分はさらに細かな木組みが施されていますね。
ひょっとして建築家さんはチューダー(チュダー)様式を
意識したのかもしれません。

チューダー様式は、16世紀前半、英国チューダー朝期に開花した、
英国流最後期ゴシック建築文化、とでもいうべき人気の建築様式で、

ヨーロッパ全体の流れからは、ゴシックからルネサンス
建築様式への過渡期に相当します。

ただ、ヨーロッパ大陸にない特徴としては、

上下フロアとも意匠を凝らしたハーフティンバーだったり、

その中で、階上部のみにハーフティンバーの木組みの
繊細で精緻な模様がついていたり(本来のチューダー仕様)、

階上だけハーフティンバーで階下部は化粧レンガに
する(ブリックタイル)など

バリエーションの豊富さを挙げますときりがありません。


ところで、ここ直江津駅は正統派チューダー様式のようであります。

そして、内側も吹き抜けになって天井が高いのですが、
ここの駅はちっとも「寒い」印象がなく(実際にも寒く
ありません)それにもまた不思議さを感じます。



ところで、
直江津付近は、12世紀末頃には充分開けていたようで、
中世の説話をもとにして書かれた、森鴎外の傑作
「山椒大夫」ー「安寿と厨子王」そしてその母親ーが、
筑紫の国に左遷された父親に会いに行く途中で、
いったん「越後の国」で一家離散にあいますが、

どうやらそれは、西暦1000-1100年頃で、
舞台はこの直江津のあたりらしいのです。

そして待ってました!!
「鉄ちゃん」話題としては「マルケー」こと頸城鉄道が
直江津の東方の「関川」に予算の関係で架橋を断念、
隣の省線黒井から接続をとって(「新黒井」)浦川原
まで鉄道を敷設しました。

といって暗い話を続けて申し訳ありません。


明るい話題!といっても元・高田市のほうですが、
「日露戦争に勝利した国」ということで、交換軍人として、
"Theodor Edler von Lerch 少佐”が高田第58連隊に
寄宿、スキーを教えていきました。

日本で、初めてまとまった人数がスキーの技術を伝授されました。
それから、もう100年になるのですね。


それからそれから、
明治44(1911)年9月1日、高田町は 高田市となりましたが、
以来、大和高田市[昭和23(1948)年]、
2011年の震災で被災した陸前高田市[昭和30(1955)年]、
安芸高田市[平成16(2004)年]が誕生しております。

さらに、「昭和ノスタルジー」で観光ツアーまで企画
させるに至っていた昭和29(1954)年に誕生していた
豊後高田市でありますが、平成の大合併で
[平成17(2005)年]拡大版豊後高田市として再デビューしました。
「たかだ(た)」という名は人気の地名なのかもしれません。


また脱線して話は高田市のほうに行ってしまいましたが、
これからもしばらくは、直江津の価値は変わらないでしょう。

というより、日本が沈没するまで、裏縦貫線のキーポイント
であり続けることでしょう。

個人的には、新駅舎には、ハーフティンバーのまねごとの
模様を「チョビット」いれてほしかったな!!




「惜しくも失われた駅舎」シリーズ(Ⅰ)-(Ⅲ):<完>


次回からの駅シリーズもがんばります!!!




(写真・文/黒羽 君成)




惜しくも失われた駅舎(Ⅰ)[道東編] 網走駅、北見駅、美幌駅
惜しくも失われた駅舎(Ⅱ)[道央編]手稲駅、岩見沢駅






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