惜しくも失われた駅舎(Ⅱ)[道央編]手稲駅、岩見沢駅 | 鉄道駅の魅力~癒しの絶景駅、戦慄の秘境駅、味わい深い木造駅舎と無人駅

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木造駅舎、秘境駅、風光明媚な絶景駅など、魅力的な鉄道駅を紹介するブログ。日本全国3000駅以上を下車した「つちぶた」が駅の魅力を紹介。また、鉄道の歴史やエピソードを道内在住の鉄道博士「黒羽君成」が担当。

今回は学生時代の良き思い出を作ってくれた
手稲駅からです。

中学時代から、駅の近くの「テイネオリンピア」
というスキー場に散々お世話になっていました。

その、手稲駅が手狭になって、

「駅機能停止、とりあえずは観光案内所になる?」

という噂を聞きつけ、それなら、いっそのこと夏場に
手稲を含めた札幌市内の駅を全部撮ってしまえ!という
乱暴な話に発展、その一枚です。

$あなたの知らない北海道の駅・駅舎-手稲駅
<二代目手稲駅>

撮影日:昭和55(1980)年7月26日
開設日:明治13(1880)年11月28日、フラッグステーションとして開設。 
    明治16(1883)、一旦営業休止。
    明治17(1884)、営業再開。軽川駅<一般駅>に昇格。
    昭和9(1937)年1月22日、改築(2代目駅舎)
    昭和27(1952)年11月15日、手稲駅に改称。
    昭和56(1981)年4月、3代目の駅舎に改築。橋上駅となる



手稲山を模したと言われます山小屋を彷彿させる外観。

いかにも落雪にはもってこいの人力無用ともいうべき急峻な屋根、
それでいて、申し訳程度に雪止めが施してあるのが、
どこか微笑ましいのです。

そして、ファサードを大小二重にすることによって、
一層「山小屋」の雰囲気をうまくだそうとしていますが、
とりわけ、階上部のファサードの屋根下は、通常の駅舎構造であれば、
そのほとんどに大時計が配される・・・といった具合が多いと思いますが、
大窓にすることによって、山小屋の日和見の窓に擬した
チョット心憎い演出もなされています・・・いるはずです・・・
・・・・いるようです・・・・私の考えすぎかもしれません・・・

出入り口は小樽側(写真向かって左側)にオフセットされています。
小樽側に煙突もあります。

そーだったかなぁー・・・?

学生時代は、駅舎は正方形に近いイメージで、モルタルを
塗ってあったようなところはなかったんだけどなー。
入口も正面ではなかったか?

もっとも、この代の「手稲駅」の最晩年の姿ですから、
以前と比べれば、印象は随分変わったものになっているとは
思います。

47年間よく働いてくれました!!


もともと、
「軽川」が街中を流れることから、駅名になりましたが、
地元のアイヌの方から昔の地名
「テイ・ネイ:よく泥にうまるところ」
に戻すよう要望があり、「手稲」としたと伺っております。

私は、「カムイ」と同じで和語の「泥濘」が
アイヌ語化して「テイ・ネイ」になったと考えております。
またこのテイネイはもちろん一般名詞ですので、
北海道のどこかにあるはず・・・とさがせば・・・

網走管内:下湧別~丁寧(ていねい)、6.1km、湧別軌道(1930-1939)
なんてのがありました。

そして、函館線の海側を「前田」と言っておりますが、
明治の廃藩置県が終わるとすぐ、金沢・前田家直系様が
いらして一面の泥炭地に客土して、何年間牛を放牧することに
よって農作物用用地にして下さったとか。

それに見習うこと、小樽の「稲積某氏」がやはり
稲積公園の鉄道線路寄り海側を農地にしようとしますが、
個人の財力ではいかんともしがたく中途撤退します。

そのため、稲積公園駅前後は出水危険地域として
札幌駅より早く高架路線になりました。

しかし、稲積氏の功績は、公園内の記念館に
キチンと記されております。

話が少しずれました。
この駅舎は、札幌オリンピックをみてから、次の代に
バトンタッチします。

手稲は昭和47(1972)年、
冬季オリンピックの会場の一部になりましたが、
それに先立つこと、昭和42(1967)年、札幌市と合併、
同年、札幌市が政令都市となった際、その西区の一部となり、
平成元(1989)年、晴れて手稲区として分離独立します。

現在、JR手稲駅の一日平均乗降客は札幌に次いで二位と
手稲区民は公共交通機関を大切にすると、やや鼻高々でありますが、
実際は、

  JR手稲の一日平均乗降客 14100人/日
  JR新札幌の一日平均乗降客 13700人/日
  札幌市交地下鉄一日平均乗車人員 18600人/日
    (地下鉄新さっぽろ駅は起点なので
     乗車人員のみを調査対象としているそうです)
   <いずれも平成22(2010)年実績>

と手稲駅の「JR乗降人員2位」成績が、3位と比較する
ムナシサがお分かり頂けたかと思います。

悲しいかな、かく言う私も手稲区民であります。



……………………………………………………………………


道央編二番手、実は<失われた駅舎>の北海道編では
最後の駅です・・・じゃ、<失われない駅舎編>も
あるの?・・・さぁ~?・・・

前回、グループ内の優劣の順番はありませんと
いっておきながら、結局ここが最後になってしまいました。

北海道の失われた駅舎グループの最後は
やはり道内最大の鉄道基地、
岩見沢」しかないでしょう。

もちろん、好みも出ます。

なんだか、「小田急の中間五大主要駅(※1)」にも似て、
今の若者には受けないかも?
・・・「少し古いんじゃない??」

しかし、全盛期の石狩・空知の両炭田の運炭列車の
コントロールを一手に引き受け、
機関区を二つ持ち、
道内随一の規模の鉄道の街の隆盛は、今確かに
ゆっくりと静寂に戻ろうとしているのかもしれません。

しかし、いままでの築き上げたきた栄光は、
この駅の構えがすべてを記憶していたはずです。

それが、惜しくも漏電から全部失ってしまうとは
言葉もありません。


ところで、当駅の屋根正面を、
よくマンサード(現地語・仏:マンサール)と表現されるのを
拝聴しますが、その方式は、4方向の寄棟の
腰折れ屋根であります。

当駅のごとく「切り妻の腰折れ屋根」は
「ギャンブレル屋根」と申します。

$あなたの知らない北海道の駅・駅舎-岩見沢駅
<三代目岩見沢駅>
撮影日:昭和56(1981)年9月10日
    先日皆様にお伝えいたしました6/7の記事、
    「私が経験した災害<前編>56台風」の際、石狩・空知の
    主要ポイントを撮影した一部であります。


初代駅舎は明治17(1884)年8月15日、官営幌内鉄道の
フラッグステーションとして開業、翌明治18年晴れて
正式な停車場となりました。

明治24(1891)年、早くも機関庫が設置されましたが、
明治32年に火災で消失、同33年再建。
昭和8(1933)年12月24日、3代目駅舎完成。
昭和43(1968)年8月1日、電気機関車基地の岩見沢第二機関区開設。
平成12(2000)年12月10日、漏電により3代目駅舎全焼
(この時点で道内では由仁、上白滝に次いで3番目に古い駅舎であった)。
平成19(2007)年6月23日、4代目駅舎完成。


改めて旧駅舎を拝見しますと、やはり多少の古さはあるかな?
と感じないでもありません。
しかし、三島の省線の中核駅、特に戦時買収私鉄の
本社社屋兼駅舎のような風格が漂っていると思いませんか?

間口の広い正面玄関、それに連なる広い両翼の建築様式。
向かって左側の2階部分には、何やら事務部門が
集中配置されているような構造・・・

さて、これからの岩見沢の役割ですが、
石炭列車の組成が減ったからといって、
道内NO1の鉄道基地の地位であることに変わりありません。

当駅を通る特急列車は旭川行き24往復、
稚内行き3往復、網走行き4往復で計31往復の定期運行があります。

一方、函館線のローカル列車は、
一部にディーゼル車の2連がみられますが、
ほとんどが、電車3連1-2ユニットの運用です。

そして、札幌・岩見沢間42本
(1時間あたり各駅停車+区間快速で3-4本)
とまずまずですが、

岩見沢・滝川間は各駅停車のみの16本です
(以上は本年6/1改正の下りを基準にしました)。

以前から、教育大などある岩見沢は、「貨物」のみばかりではなく、
「旅客」についても結節点なのです。
そして、最近ますますその役割が増しているようであります。

と申しますのも、岩見沢を過ぎて、
函館線と分かれますと幌内線に入りましたし(現在廃止)、

また北上しても、奈井江、豊沼、砂川、歌志内など
ことごとく閉山した街々が続き、
岩見沢以南と駅勢人口の開きが目立つようになりました。

それにしても、岩見沢を境にして、地域の交通網の
格差がありすぎます。
通勤・通学には全く不向きです。

鉄道赤字を増やさぬ為に無理ない範囲での
ローカル便の走らせ方に一工夫が必要では?思います。

それでは、これらの便数を増やす方法として、
もう、JR北海道さんの上層部の方に直訴する
しかないのでしょうか?

いえいえ、岩見沢南方の栗山町・由仁町+江別市
南方の南幌町が近々合併して
「東さっぽろ市」ができるって話がありますよ。

最もだいぶ前からですけどね。

そうすると、交通体系も変わってくるかもしれません。
栗山・由仁からは札幌に行きやすくなるかも?

以前の夕鉄の路線の復活ですか?
それとも、岩見沢ー追分ー石勝線ー南千歳
ー新千歳空港などの新ルート作製ですか?

空港へは、札幌経由より、岩見沢南下の方が、距離が
短いですからね。
でも、岩見沢ー追分間の最高許容速度は85km/hr
なんです。何とかして下さいよ!!!!

忘れてましたけど、
岩見沢駅舎Gデザイン賞受賞おめでとうございました。



(※1)(稲田登戸、新原町田、相模厚木、大秦野、新松田)の各駅




惜しくも失われた駅舎(Ⅱ)<道央編>終了

続きはもっとあります!!!




(写真・文/黒羽 君成)




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