第141審/其々の思惑
「三つの裁判」はあれで終わりなのか、今回は「其々の思惑」になっている。ナンバーがないので単発っぽい。ところで、裁判は三つあったのか? 出雲の百井処刑が含まれているのかもしれない。
時間はどのくらい経っているのか。ブラサンと散歩する九条は平穏な日常を送っているふうだ。ブラサンの散歩描写、毎回ひとコマとかではなくふつうに何ページが使ってることも多いが、なんなのだろうな。わがままなブラサンかわいい。
宇治と出雲やりとりである。雀卓がいっぱいあるけど、これが事務所なのかな。
出雲のうしろには佐々木求馬が観念した様子で正座しており、宇治はそれは誰ですかと聞いている。久我は求馬を知っている。宇治と久我が乗る車を蹴ってきたのでおしおき、300万貸してる状態だ。
なぜ身柄をおさえているか?タイにいる壬生と菅原を捕まえる人員である。あやしんでいる出雲は宇治にも行くよううながすが、宇治はふつうに断る。すごいな、ふつうに断れるのか。
出雲は偉くなったなあなどと言って意外と激昂したりはしない。組の金を回す人間がいなくなってはいけないからと、宇治は理由をつける。
しかしこうした信条じたいが出雲の気にさわるところだ。宇治を札束に土下座してるだけのガキと断じて、組は帳面ではなく誰のために血を流すかで立つと語る。いつのまにか宇治がかなり接近していて、壁を背にした出雲は追い込まれているようにもみえる。そして宇治はとにかくでかい。ほとんどプロレスラーである。
ふつうは黙るところだが、宇治は反論する。その理屈でみんなが黙る時代は終わったと。いま、このように黙っていないことがその証明なのだ。敬語ではあるが上下関係に厳しいヤクザとしてはそうとう踏み込んだ反論である。だが出雲はまだ、言うようになったな、というくらいだ。
宇治は続ける。揉め事を起こさないよう組長にいわれている。しかしそれは承服できない。げんに京極はやりすぎて絶縁されたじゃないかと。
これが出雲のトリガーだ。いきなり無言で宇治の腹に下突きである。その名前を軽々しくくちにするなと。この巨体なので宇治はノーダメージではある。去っていく出雲も特に興奮したりはしていない。感情でも理性でもなく、義理人情で京極を慕っているという感じだ。
別のとき、このひとは…誰だっけ。雁金…かな?見た目からはわからん。とにかく偉いひとだ。これと、出雲についてはなす。雁金は京極タイプではなかったし、絶縁にも部分的に関与しているくらいだが、出雲らを甘くみてはいけないことはよくわかっている。
雁金は宇治の出方を探る。この先きっと宇治は出雲の財布になる。そして雁金を超えて若頭になるつもりらしい。つまり利害が一致してないかというはなしだ。だから組もうとはいわず、雁金は一般論として武闘派がしきると組は短命に終わるということを述べる。だから自分につけ。それなら出雲にも手は出させない。
宇治は京極も出雲も一定以上評価しているところがある。出雲は文字通りに京極のためなら命を差し出せる漢だ。黙ってみているはずはない。それを裏切れというのか?男ではなく漢という表記であり、宇治の評価が滲んでいるとみていいだろう。
対して雁金は、もう裏切ったろうと意外な切り口をみせてくる。九条、壬生と協力して京極を絶縁に追い込んだ件のことなのである。もちろん宇治は認めないが、出雲はそう考えている。鈍臭そうな雁金までこういうことをいうとなると、うわさレベルでもほとんどみんなそう理解しているとみてよさそうだ。
その壬生と菅原だ。施設育ちの菅原は甘いものに目がない。だから刑務所に入りたくない。そういうおいしいものや、なにか感動的なものに出会ったとき、分かち合えるツレがいるかと菅原が問う。壬生は彼女はいないらしい。九条に対してそういう身振りをとることもあるが、友情とはちがうかもしれない。
菅原もいない。だからストーリーにあげてると。
しかし菅原には子どもがいるという。腹違いで認知している子が5人だそうだ。菅原は複雑な表情をしている。複雑というか、露骨に寂しそうだ。お金だけ払って連絡もないと。
壬生はなんかちょっと楽しそうだ。菅原の人間らしい面をみてふつうにほっこりしてるっぽい。じゃあじぶんに連絡してくださいと、気持ち悪がられながら壬生はいうのだった。
つづく
ウシジマ育ちなので、こういう、金と暴力で生きてますみたいな人間の情やプライドで動くさまがたまらなく好きである。しかし同時に、ウシジマ育ちなので、これがいつ壊れるのかがこわくもあるのだが…
「三つの裁判」はあれで終わりみたいだ。
覚えている範囲で、裁判はふたつしかなかった、と思う。曽我部とのらそれぞれのやつだ。ほかにあったらごめんなさい。だから、もうひとつの裁判は裁判所で行われたものではないことになる。となると、百井の処刑以外ないのだった。
おもえばあのときの出雲はたしかに裁判官のよう、少なくともなにかをジャッジするものだった。ふたりは弁護士なしの最終弁論の段階だったわけである。
刑法にはどうあれある種の暴力性が伴う。それは、応報刑論(犯罪の反作用として刑罰をとらえる立場)であれ目的刑論(犯罪予防的な観点)であれ、国家の平和概念を一定の枠内におさめるためのものであり、正義、つまりひとや国家の「正しい状態」を設定するその手には、どうしても強権が宿るのである。もちろん、通常の手続きに則って参照される刑法が強権そのものであると、わたしたちが日常感じることはないし、そもそもそれはげんに法を定めたり施行したりする側が百も承知で慎重を期すところのものである。だが100人が100人納得しているのだとしても、それが人工物であり、ひとの自由を制限するものであるにはちがいない。九条もそうした法律のいびつさ、基礎部分からやり直さないと修正不可能な建物のゆがみのようなものに直面することがある。納得があればこそ、わたしたちは強権を感じない。であれば納得のない理不尽さにわたしたちはその片鱗を感じることになる。出雲はあの場で全能の裁判官になることで、百井には到底納得できない死刑を執行したのであり、九条を通じて見え隠れする法典のとりこぼしのうえを、「裁判」のいち風景としてうっすら覆うのである。
宇治のヤクザ観は正確には不明だが、壬生のためには出雲かなりやっかいな存在で、どんくさくてもいまはまだ雁金は出雲より上の立場なのだから、あの誘いにのったほうが良さそうではある。雁金なら利用することもできるだろう。ただ、ほとんど公式に「裏切り」をしてしまうことは、長く業界でやっていこうとしたら十字架になってしまうかもしれない。そしてヤクザ観という以前にどっちが有能かという問題もある。出雲は武闘派だが、財布あつかいでも信頼できるなら弟分はちゃんと守ってくれるだろう。たほうで雁金は、いつその京極の件でゆすってくるかわからない。要するに両方問題はあるのだった。
宇治が出雲にふつうに言い返したのは驚いたが、それは彼が丑嶋と似た雰囲気だからかもしれない。出雲と宇治の差は厳しいものではあれ上下関係のみであり、丑嶋がヤクザに言い返せないのとは状況が異なるのである。とはいえ武闘派・出雲にあそこまではっきりいえるのはやはりガタイもあってだろうか…。個人的には、やはりちょっと出雲のことを買ってるぶん正面から言い返したのかなという感じはする。いずれにせよ波風を立てないにしくはないはずだ。それがああいう態度に出るのは、感情的になってしまうからだろう。じぶんにはできないことができるひとに対しては、それがなにをするものであれ、いっしゅの畏れ、また敬意の感覚を覚えるものである。こちらはそれなりに敬意を払っているのに、それがじぶんの領域に踏み込んできた。それはないだろうと。そういうふうに見えないこともないのである。
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