板垣恵介特別読切「地上最美味ィ!?」 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

今週(先週)も刃牙らへんは休載だが、板垣恵介先生の読切が掲載されている。


グルメ漫画とのことである。

板垣先生はグルメ描写に定評がある格闘漫画家である。作中人物の食べるものがなんでもおいしそうに見えるのだ。

ぼくでは、筋トレ者ではあるが食が細いので、食事のモチベーションをあげるのに重宝している描写がいくつかある。毒の裏返った刃牙が、烈の提供する大量の食べ物を平らげる場面とか最高だ。しかしいちばんは幼年編、夜叉猿戦に向けてからだを作り直す決意をした刃牙が、安藤さんの家で食べまくるなんか、なんだかわからない汁である。あの一連の場面は食事だけでなくトレーニングのモチベーションを上げる効果もあり、筋トレ者にはおすすめである。


こうした定評を踏まえてか、5月19日発売のチャンピオンREDには独歩を主人公にしたスピンオフ漫画が掲載されるが、これもグルメ漫画だそうだ。ネーム原作が浦安鉄筋家族の浜岡先生で、絵はガイアとシコルスキーを描いている林先生。浜岡先生はたびたびバキネタで浦安鉄筋家族を描いているし、こんなもん100パーセントおもしろいよね。単行本で読もうとおもうが、すごい楽しみ。






今回はおそらくこれに先立っての本家グルメ漫画という主旨の掲載と思われるが、まともに描かないのが板垣先生である。


グルメ漫画、ということなわけだが、美食を語るには避けて通りたくない道があると。水だという。いい水を使って〜とかそういうはなしではなく、渇きを癒す水である。「避けてとおりたくない」なので、厳密には避けることはできる。しかし話題にしないでいるのは引っかかると。



飢えと渇きをではどちらがキツいのか、作者は渇きだと断言する。

ボクシング競技者であった作者はかつて9.5キロの減量経験がある。わかりにくいが、板垣先生がボクシングやってたのって空挺部隊にいたときなんだっけ。もともとからだは絞られており、脂肪をどうこうというはなしではないから、水分を断つほかない。やがてサ行とタ行がいえなくなる。これは自衛隊の行軍経験を描いた漫画でも書いていたな。




その行軍、これは減量の話と別のときなのか、よくわからないが、このとき用意した1リットルの水道水が忘れられない。いかなるごちそうも、酸素を除けば、あのときの水にかなわない。


で、これは現在の作者なのかな。走り込みをしている。2日半の水断ちをしており、汗も出ない。珠玉の一杯を堪能するためだ。大ジョッキに、キューブアイスで冷やした水道水1リットル。この、たんに「氷」と書かない/描かないのがポイントなんだろうな。いまぼくは別に渇いていないが、このみずはめっちゃうまそう。


サ行が言いにくくなってるのを確認し、彼は一気に水を流し込む。このとき、冷たさのせいかうまさのせいか、彼は激痛を感じたときと同じ顔をしている。足の小指を打ちつけて超痛いときと、気持ちいいとき、うれしいとき、かなしいとき、これらが極まった場合、ひとは同じ顔をするのだ。この表情に感覚の極みが映し出される。板垣恵介は今後この表情を追い求めることを決意するのだった。



おしまい



書いたように、たぶん独歩のグルメ漫画が始まるから、その盛り上げのために本家でも描くってなって、こうなった感じじゃないかな。素直じゃないのさ、板垣先生は…。グルメ…これまでの人生で、最も美味かったものはなにか…?って考えて、あのときの水だ!ってなったんじゃないかな。2日半断水はたぶんじっさいにやってるとおもう。そういうひとだから。


グルメ漫画と言っても、ただ「美味」を追求するだけではない。最終的にはそうであるとしても、その料理を実現するために必要なさまざまなことを描いてそこで完結させてもグルメ漫画にはちがいない。また、味覚はただの化学反応ではない。はじめてのデートの、映画館で食べたジャンクフードや、なんでもない夕暮れ、学校帰りの買い食い、苦労して登った山で苦労して作った数口で終わる小さな食べ物などが一生忘れられない最美味になることはある。要するに、グルメ漫画とは、シチュエーションさえ含んだ、広く食にまつわるもろもろを描いたものなのだ。

着想としては、板垣先生はグルメ漫画というもののありようを美味のイメージに集約させたようではある。そして、「あのときの水」に至った。「あのとき」とは、交換不可能な固有の体験、つまりシチュエーションのことだ。つまりこれは、美味に意味を狭めながら結果としては個人的なシチュエーション依存に展開していったものなのである。おそらく、ではあるが、2日半断水を実行しそうな板垣先生ならではの結論であるといえるだろう。美味は普遍性がある。しかしそれを求めるとシチュエーション的な特殊に至ってしまうのである。


それが激痛と同じ反応をもたらすという洞察も興味深い。うまい、気持ちいい、かなしいなどの感情のどれをとっても、極まったところでは同じ反応をするのだとしたら、身体はそれらを区別していない可能性がある。つまり、極まる以前の、もう少し刺激が軽微な段階で、ただ笑ったり泣いたりすることは、言語によってそれらの刺激を区別する知的処理であるのかもしれないのだ。おそらく、言語で処理することが難しいほどの刺激を受けたとき、わたしたちはいちようにある種の危険を感じるのだ。なぜなら、表情とはメッセージだからである。受け止めきれない、いま正常な機能を果たすことができない、それを、感覚作用が極まったところでは、わたしたちは周囲に伝えようとするのである。



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