今週の刃牙らへん/第60話 | すっぴんマスター

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第60話/猛獣注意



勇次郎すげー回が続く…。最近2話連続のことが多い気がするな。


猟師・寒川鉄三が語る…。勇次郎回にこの手の属性やワイルド系のひとが登場すると、冒険家ジョー・ウィリアムの悲劇が思い起こされ(前回のおばあちゃんも一瞬緊張しました)、考察サイト管理人としては一気に緊張モードになるが、幸い寒川はただの目撃者である。


なにを見たかというと、まず異様なクマの遺骸だ。それもふつうの状況ではない。頭や手足はねじまがり、脳はぐずぐずに崩れていたという。とにかくふつうの死に方ではない。もちろん射殺されたものではないし、熊どうしの喧嘩でもこんなことにはならない。寒川はすでにこのような死体を3体見ているという。


これらの死体発見がしばらく続いた数日後、という感じだろうか。基本的に単独で生きていく羆が、集団で、相手を囲むように狩りをしている現場を、ハンターたちは目撃する。この現場に寒川はいないようだ。


もちろん相手は勇次郎である。クマは6頭に見えるが、なんか増えたり減ったりしててよくわからない。まあ、要するにたくさん、「一対多」だ。少し前に独歩が行ったものとは次元の異なる危険性だ。

勇次郎はなぜか少しからだが汚れている。しばらく山に滞在し、3頭と戦ってそのクマを寒川がみて、いまいよいよクマ集団と雌雄を決しようとしていると、こんな流れだろう。


次々と葬られていくクマたち。もともとこうして集まっているのは、寒川が見た3頭のことがあってのはずだが、彼らも相手の強さをいま初めて目の当たりにして、改めて、みんなでかからなければ負けると感じたようだ。勇次郎は向かいくる彼らを容赦なく破壊していく。これ、蹴りで首切ってないか?


ハンターたちはとにかくクマたちが集団で、しかも人間を狩ろうとしていたことにたまげているようだが、そんなレベルのはなしではない。クマは全滅。勇次郎は無傷で去っていくのだった。



つづく



この2,3年報道されるようになっている熊騒動を受けてのものか。

前回はおばあちゃんを助ける勇次郎のジェントルが描かれたわけだが、今回は一転して凶暴な勇次郎だ。でも、前にもこういう描き方はあったような気がする。いつかは思い出せないが。「優しい勇次郎」のあとに、それをみてほっこりする我々を殴りつけるように荒々しい勇次郎が描かれるのだ。


そしてまた、この流れは作中の物語のうちにもときどき見られるものだ。いますぐ出てくるのは宿禰編で、光成に「優しいのぉ」みたいなことをいわれた勇次郎が、青筋立てて「犯すぞ爺」をやった回である。






勇次郎にとって他者とはすべて異性である、というおはなしから、こういう発言が出てきたわけだが、これは彼が絶対的強者であることを示すためにはどうしても他者を必要とする、という逆説でもあった。ひとことでいえば、自身の雄度を示すために他人にはメスでいてもらわなければならない、というはなしである。かつての勇次郎にはたしかにこのような暴力性があった。しかし、親子喧嘩を経て彼は、引き続き最強者ではあったとしても、絶対者であることからは解放された。だから、彼はもう「雄」を証明するために「雌」を必要としはしない。いま彼がこのような言動に出るのは、それまでの思考習慣がもたらす弾み、宿禰のときにかんしていえば照れ隠しによるものと考えられる。


絶対者であることから解放された彼はもう「暴力魔人」であろうとしなくていい。「誰よりも強い」ことを証明するために「自分より強いものはいない」を示してまわる必要はもうない。ただ暫定的最強者であればよい。おばあちゃんに優しくするなら、すればよい。「優しい勇次郎」、けっこうなことである。しかしそうならない。勇次郎じしんが、うっかりジェントルにふるまってしまったあとに照れ隠しでブチギレるならまだわかる。それは、別に珍しくもない、よくある態度と感情だろう。しかし今回のように作品がそれを行うとなるとはなしは違ってくる。他者を蹂躙することで確保される勇次郎の自我というものがまだある、少なくとも展開上それを予感しないわけにはいかないということになるからである。


ただ、ここまで書いておいてなにだが、今回の勇次郎の暴力描写は、そうはいってもやはり以前とは異なるのかなとは感じる。相手がクマだからである。周知のとおり、この何年かの日本は、冬を除いて年中クマによる作物や人身の被害に見舞われている。正直ぼくは今回のクマをかわいそうに感じたし、勇次郎にじゃっかん怒りを感じたが、ともかく、事実としてクマ被害がある。特に去年の被害は素人目にも放っておけるものではなかった。今回の勇次郎描写は明らかにそれを踏まえている、要するに社会貢献的要素を含んでいるのである。あんな残虐な殺し方があるか、とはおもうし、そういう言説は現実世界では有効かつ必要なものだが、ここでのおはなしは勇次郎の行動の評価にかんするものである。これは、以前のような、「優しいのぉ」からの「犯すぞ爺ぃ」と同じ形状で「おばあちゃんに優しい勇次郎」と「暴力的な勇次郎」を描きながら、その「暴力」の内実は、「犯す」ことで絶対性を確保しようとしていたときのものとはちがうのである。たしかに、「優しい勇次郎」もいいが、優しいだけではな…という気持ちもいち読者としてはある。そういうイケメンしぐさは花山に任せておけばよいと。


ただ、勇次郎の暴力衝動というものは衰えることはないんだろうなというふうにも感じる。彼がその男性ホルモンのせいで圧倒的にオスであることと、「犯すぞ」とおどしたり、じっさいにそうした行動に出ることのあいだに必然性はない。だから、これはたしかに、ホルモン問題がもたらす派生的な、ある目的、つまりをじしんの男性性、「最強であること」を証明したい、という動機から始まっていたことだ。これが失われながらも、今度は社会貢献的なものを、おそらく無意識に動機としながらちからに傾くのである。かたちも、結果も異なるものとはなっても、けっきょくそうなる。やはり彼もまた強いんだ星人、人間を相手にしないだけマシというものかもしれない。











管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com