第49話/至上のコミュニケーション
花山のつねり・むしりをやせ我慢で突破したジャック。ジャックは、倒れたところから立ちあがろうとする花山の顔面に蹴りかかる。
すごい音がしたっぽい。ジャックの蹴りを花山が拳で受け止めたのだ。脛と拳頭、骨と骨がぶつかり合ったわけである。
脛も拳も衝撃でビリビリしている。痛みもあるだろう。だが砕けてはいないらしい。たいそう硬いと聞いていたが砕けてはいないとジャックは挑発する。なぜどちらもくだけていないのかはわからないが、花山はパンチをしたわけではないし、互いの関節が機能する方向的にたまたまそこに弾力が備わったのかもしれない。
会話でファイトが止まっているいまということか、園田の部下が、さすがに止めようという。しかし死刑囚編以来、まさに“刃牙らへん”の洗礼を受けてきた園田にとっては、これは警察としてとめに入るべきたぐいの暴力ではない。対話なのだった。それを園田が理解してくれるのはうれしいが、警察としての仕事を果たしていないことはたしかで、部下のひともたいへんだな。
ジャックの攻撃が続く。左のパンチから裸締めだ。といっても、なぜか不完全なかたちである。このまましめることもできるだろうが、よく言われるような脱出不可能という様子ではない。まったく格闘技を知らないひとに写真だけみせてやらせたらこうなりそう。
だが、ジャックの目的はチョークではない。足も胴体に絡ませて全身をのせた状態で首筋に噛みついたのだ。血が高く噴き出す。動脈を切ったのだろうか。だとしたら、どちらが勝つにせよ決着は近い。
だが、ジャックは知らないことだが、花山に裸締めは通用しない。握撃というとんでもない技があるからだ。いや、あれは技じゃないんだった。
だが今回花山が見せたのは握撃ではなかった。よく似てるがちがう。そして、読者も痛みが想像できるたぐいのやつだった。腕の肉をそれぞれの手で互い違いにしぼる、ぞうきんしぼりなのだった。
それを花山がやればどうなるか。木崎はなんだか悟ったような口調で、おそらくじしんの少年時代を思い出しつつ、花山が使っちゃダメなやつだと語る。当然皮も肉も裂けるのである。互いに血を噴き出すものすごい状況になるのだった。
つづく
また痛そうなことをこのひとは…
“ぞうきん絞り”も、よく少年時代にやったりやられたりしたやつだ。
つねりもそうだが、花山のこれらの攻撃はむしろちょっとカッコ悪いのではないか、ということは第46話で少し書いた。
つねりやぞうきんは花山の想定する行動モデルの範疇であり、彼の美学に反するものではないのだ、というはなしだが、それにしても、やっぱりこのファイトにおいては、花山はわざとこういう攻撃をしてるんじゃないかという感じがする。
そして、これが重大なのだが、ジャックの噛みつきは、花山が用いるこれらの攻撃と属性的には同じではないかということがあるのだ。
花山に行動モデルがあり、それはつねりやぞうきんを含むとしよう。するとどうなるか。花山は、それら「ちょっとカッコ悪い攻撃」をしながらも、依然として「エエカッコしい」である。だとするなら、噛みつきにこだわるジャックもまた「エエカッコしい」なのではないか?ちがいは、かたわらに他者の目線をイメージするかいなかではないのか。花山はそれを言おうとしているのではないだろうか。ジャックの「エエカッコしい」批判は他者の目線を宿している。そんなものにこだわらず、使いたいものを使いたいように使えばよいのではないのかと、花山は伝えているのではないか。
うえの記事にも書いているが、ジャックの噛みつきはとても象徴的な技だ。「オンナコドモ」の技とされる噛みつきをすすんで取り入れ、その強力さのうちに彼の合理性とともに、ジェンダーロールを含む社会的規範からの逸脱という身振りが、母親の代理的ファイターであるという出自込みで含まれているのだ。ジャックはこれを意識することもあるだろうし、噛みつきの合理性が生きる範囲では、これを忘れることもあるだろう。だが彼が気にしているといないとに関わらず、ここにはある種の政治的意味がどうしても含まれてしまう。フェミニストが性について語る言葉はすべてフェミニズムの言説になってしまう。その思想が定着していない界隈ではなおさらそうだ。花山はここからジャックを解き放つ存在なのではないだろうか。
仮に解き放たれることがあったとして、それはなにを意味するだろう。つまり、「カッコ悪い技にこだわるのも美学の内であり、そこに他人の評価は不要である」となったとき、なにが起こるか。ひとまずジャックが抱える(と読者は考える)いっしゅのややこしさは失せるだろう。だが、彼が打ち立てたせっかくの「エエカッコしい」批判の文脈は骨抜きにされてしまう。花山はたしかにそういうタイプの「エエカッコしい」かもしれない。カッコ悪い技もカッコよくしてしまう男だ。だがジャックがエエカッコしい批判を加えていたものは、誰か個人というよりは、ファイター一般にありがちな心性というほどのものだったはずだ。これは生きていたほうがいいだろう。なぜなら、その批判的精神が噛道を道たらしめているからだ。母親の代理としての自己、女の技である噛みつきを「強力だから」という理由づけをしてあえて用いる反骨、これらはどれも人生にしんどさを呼び込んできた。だがそれがあったからジャックは強かったのである。どういう落とし所があるのかというとわからないが、ジャックにはジャックの人生がある。梢江との関係を刃牙にただしたときのように、花山は優しいが、おせっかいなぶぶんもあり、しかもそういうときの花山はいやに「物分かりのいい大人」だ。それが出てきているのかもしれない。
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