今週の九条の大罪/第107審 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第107審/生命の値段⑯




パソコンの調子が悪く、しばらくスマホからの投稿になりそうです。

最近はせいぜい4000文字くらいの短い記事ばかりなので、できるとおもうけど、ぼくフリック入力できないから、しんどいかもしれないなあ。あとコピペしたり文字の大きさ編集したりも意外と…。というわけなので、質量ともにハンパなものになること、お詫びします。



射場が有馬に呼び出されてどこか外にいる。待ち合わせの場所に着いたので射場は連絡するが、後ろ盾は誰かとか、病院乗っ取るのに仕込まれたんだろとかいうばかりで来ない。そしてまた移動を命じる。不気味なので、射場はその後ろ盾である壬生に連絡する。だが、この動作もけっこうギリギリだ。射場は見張られていると壬生はいうのだ。だからまずキョロキョロしないようにいう。有馬のことを調べた壬生は予想外に警戒している。じぶんと同レベル以上にまずい相手という認識らしい。ヤクザではないようだが、いちばん大切なのは面子であり、つぶされるようならほんとに殺すと。壬生もサクッと後輩殺してたけど、今回は射場や九条みたいなカタギもからんでるし、正面から相手どる以外ない状況では、警戒するほかないのだろう。


で、壬生のとっておきの九条が出動。これ、弁護士事務所とかではなく病院の院長室かな。

九条は、提示額5000万は必ず払うというふうに多少軟化した態度だ。病院は売却される。そのときに現金で払うと。しかし有馬は、嫌な感じにしぶる。正孝中心に病院を立て直すというニュースだ。そこから、九条や射場の後ろ盾、つまり壬生は、病院を高く売るつもりなんだろうと見抜いているのだ。ただ借金返済で済む話でもなくなっている。あと幹細胞ビジネスやりたい。

幹細胞のことはスルーした感じだが、九条は有馬の顔を立てて7000万ではなしをつけようとする。でなければ法廷で。というわけで、さすがに九条と法律で争うのはめんどくさいので、有馬は承諾。最後に射場の椅子を蹴りつけ、これが最後だと壬生によく言っておくよう告げるのだった。


白栖のようなつぶれかけた病院に取り入るには、理事長ではなく、第一抵当権を持っている銀行を押さえるんだと、いつもの寺みたいなとこで壬生が宇治に語っている。金融庁に指導を入れてもらったと。近くでネコと遊んでいる、例の白州次郎みたいな友人の知り合いに頼んでもらったらしい。これが大手だとまず無理だが、白栖は地銀と長い付き合いがあり、だからうまくいったと。

白州次郎は、壬生がたんに金儲けのためにやっていたら手伝わなかったという。病院の立て直しは世のため人のためになる。壬生の動機はわからないが、まあいい病院になるならそれもいいだろう、くらいの感覚かもしれない。


有馬の件も片付いた。壬生は、あとは正孝の問題を九条に解決してもらうというのだった。




つづく




正孝の問題とはいったい…。正孝はひとの共感能力に欠ける人物ではあるが、知能の高さゆえのようにもおもえる。先に理知による把握がきてしまうために人間関係が感情ベースでなく、またじしんでそのことを自覚してしまっているぶん、いっそうカルテ的把握をしてしまいがちなのだ。


人間的に問題はあるだろうが、医術に支障のあるものでもなく、壬生の知ったことでもないだろう。問題はやはりあの考え方、思想だろう。その思想ゆえ、正孝は次期理事長を断ってもいる。へたすると今回の病院立て直しの件は、正孝はニュースで知ったレベルで、説得されていないかもしれない。ただ、医院長になる、というふうではなく、あくまでスーパードクターとして関与することになるようだから、それならということで受けたのかもしれない。


特に気になるのは、新病院が富裕層向けだということだ。誰のための医療なのかを悩む彼が、患者を指定する病院を認めるとはおもえないのである。

彼は、延命治療に反対するものなので、発言からすると安楽死への傾きもあるかもしれない。そのことの是非はここではあまり重要ではなく、彼がそう考えるのは、患者にとってのベスト、つまりいちばんの幸福を考えるからだ。ここで「幸福をおもう」とは書かなかったのは、彼には「おもう」ことはできないはずだからだ。つまり、この思想は、理知によって生まれてきたはずなのである。


それが、「理屈でいけば真の医療はこうだ」というしかたであらわれたものなのか、それとも、彼自身がいっていたように、パターン分析による擬似的共感の結果そうなっているのか、それは不明だ。彼に共感能力が乏しいのはたぶんほんとうだ。たとえば、第1審に登場した少年、あの交通事故を通じて、正孝は九条に含みがあるわけだが、あれも、少年がかわいそうというより、じぶんなら足を切らずに済んだ、という悔しさが大きかったようにみえる。でも、それが問題でもない。少年が足を失ったことを悔やむことの底にあるものが、「かわいそう」であっても「じぶんなら…」であっても、行為的医師としてのちがいはないからだ。


だから、少年のことを反省する優しげなふるまいは、正孝の本性と矛盾しないし、もっといえば、その内面に起きていることはたんに医療従事者としてはあまり重要ではない。だが、その理知であまねく医療を見渡すありようが、富裕層をターゲットにする、などといった、まさしく「経営」的な目線を許容するのかということなのだ。要するに、正孝はひととして欠陥はあるかもしれないが、医療にかんしては誰よりも真剣で、必要以上に考えぬいている人物なのである。


これまでは、「生命の値段」のキャラクターを「対応」するものか「創出」するものかで分類してきた。「対応」するのが正孝や九条、「創出」するのが白栖や幸孝、それに相楽や射場だ。壬生だけが、両者を止揚するものと考えられたが、ともかく、いつでも「対応」できるようにあるために正孝や九条はプライベートを捨てた生活をしているわけである。それが、利用者をこちらから指定する、創出するありようを認めるはずがないのだ。


これを、ほかならぬ九条が説得するということなのだろうか。じっさいのところ、九条も「対応」ばかりではない。依頼人がすべての彼である、「対応」の結果として望まない仕事を強いられることもある。そのあたりの現実認識は、九条のほうができているだろう。しかし、身内の説得が通用しない頑固な正孝を、よりによって九条が説得できるだろうか…








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