今週のバキ道/第148話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第148話/角刀との決着

 

 

 

 

バキと宿禰と最終決戦が始まり、そして終わった。

接近し、張り手をくりだす宿禰の顎を孤拳でなでて宿禰の意識を奪い、それでも惰性で振りぬかれる張り手を、バキは、ときどきやる首を同じ方向に動かすアレで無効にし、勝利したのだった。試合時間は9秒01。10秒で試合を終わらせるという宿禰の言葉通りにはなったわけである。

 

目覚めた宿禰は取り乱すこともなく、呆然と去り行くバキを見送っている。肉体的には指折りの強者なのに、ここまでずいぶん負けを重ねてしまったな。なんか、もうちょっと活躍してもらいたかったような気がする。花山が武蔵に仕掛けて不発に終わった実戦型アイアンクローを、誰か悪人に本気でかまして頭蓋骨砕いたりとかさ。

 

バキは首にかけたタオルもそのままだ。汗ひとつかかず帰還するバキを御手洗さんが迎える。が、バキは強敵だったという。アライジュニアのときと同じやりとりだ。宿禰の張り手は一発で意識が吹っ飛ぶしろものだろうし、つかまれたら基本的にはおしまいだ。ほんの少しの入力の違いで、試合は別の姿になっていた。起こったことだけを見ればそうでもないが、試合は非常に高度なものだったというわけだ。

 

光成邸でバキと宿禰が向き合って座り、話している。これ以上ない完敗だったと宿禰はちからなくいう。バキは、真っ向勝負など出来るわけがないから小細工で勝負したと語る。小細工というとなにかちがうが、「身体が勝手に動きを選んでくれた」というのはたしかにそうかもしれない。考えての動きではない。バキの経験、禁欲的な反復訓練が、ふさわしいの動作を導き出したという感じだ。

そしてバキは、長きに渡った角刀との対峙は、終了(おわ)った気がするというのであった。

そこへ、突然蹴速が入ってくる。終了ってなどいない、という流れかと思いきや、蹴速は友好的だ。ひとんちでどうやって用意したんだか、飯食っていけよと、バスタブほどの鍋を開陳するのであった。

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

終了っちゃったよ・・・よく見られる、前回の再放送みたいな描写すらなかった。これはあれかな、板垣先生、次の展開なにかおもいついちゃってる感じかな・・・。

 

相撲という様態、また力士というありかたに謎がある、10秒間、全身を燃焼するような出力はいったいどのようにして行われるのか、そしてそれは、近代格闘技と対戦したときにどのような効果をもたらすのか、それら大相撲の起源と考えられる古代相撲はどういったもので、バキらなんでもありのファイターのたたかいかたとどこが同じでどこが異なるのか、こういった「謎」が、相撲篇の原動力だった。これは、大相撲篇を通じて部分的には解明されたものの、基本的には「思ったとおり」を出なかったと考えられる。もちろん、バキたちに収穫はあったろう。しかしそれは、ファイターとしてというより、格闘マニアとしてというほどのものだったかもしれない。いちばん「勉強」になったのは渋川剛気で、彼だけは、合気の限界を知るとともに、その先につながる、体重が無効になる「空中」という状況を見出していた。だがその他のファイターは、比較的苦戦したほうの独歩にしても、堪能したという程度を出なかったようにおもわれる。こういうところで、相撲の原点である古代相撲を実践する宿禰がもっているものに期待が向くことになる。宿禰や、また遅れて登場した蹴速じたいは、魅力的なキャラクターだった。しかし彼らは、「めちゃくちゃ強い世間知らず」みたいなものにすぎないぶぶんがあった。要するに、修羅場をくぐってきた独歩やジャック、オリバにバキの試合運びには、ついていけなかったのである。宿禰がこのように不完全燃焼気味にバキ戦を終えてしまったのは、けっきょくはここのところに問題があったからだろう。彼は、なにかまだかくしもっている秘密があるような言い方をしていた。それが、具体的な「なにか」、つまり必殺技的なことだったのか、それとも、「本気出してがむしゃらにたたかえば負けることはない」くらいの意味だったのか、それも最後までわからない。だが、どちらにせよ同じ結果になっていた可能性は高い。彼らはうぶなのである。フィジカルも技術も、バキらに並ぶものはおそらくもっている。しかしながら、近代格闘技に関しては宿禰も蹴速も子どものようなものであり、けっきょくはこうして、なにもできないまま終わってしまったわけである。

 

そう考えると「終了った気がする」とするバキがちょっと元気なさそうなのも、理解できるかもしれない。謎がある。そしてそれを解きたい。だから謎に出てきてもらう。しかしそれは、謎が謎として実現してしまう前に、「まあ謎のままでいいか」となってしまうような現実に落ち込んでしまう。そもそも、なぜその謎を解きたいかといえば、みずからの強さのためである。渋川がそうなったように、もっと強くなるヒントがそこにある、ような気がする。だから解きたい。しかし、その謎は、じぶんたちのいる場所からははるかに遠いところにある。この謎解きは批評のものに近い。わたしたちには、じぶんの人生がある。しかしそのいっぽうで、小説や映画などで、わたしたちは他人の人生に触れ、理解できないものや共感できるものに触れることになる。こういう原理のなかで、たとえばシリアルキラーの心理を探ることは、批評的には、また学問的には価値のあることだろう。しかし、わたしたちの日常、つまり、明日の会議、来月のデート、よくわからない確定申告、ぜんぜん行きたくない同窓会、こういう現実に、シリアルキラーの心理解析は、役に立たないとはいわないまでも、有用ではないわけである。バキらは、じしんの知性を活性化させるために、まったく理解の及ばないシリアルキラーの心理解析がひょっとして役に立つかもしれないと考えた。しかしながら、いくら彼らの登場する小説を読んでみても、彼らはひとを殺すだけで、ぜんぜん会社の会議とかに出ないし、確定申告とかやってる気配もない。そうして、やがて興味が失われ、もういいか・・・となってしまったのではないかと、そんなふうに見えるのであった。

 

しかし、くりかえすように、宿禰・蹴速じたいは、決して弱くはない。うぶだっただけだ。だから、彼らが近代格闘技の語法をマスターすれば、そうとうに強いファイターになることはまちがいない。それはみんなわかっている。だがそれはもはや「角刀」ではないのである。だから終わりなのだ。

 

もちろん、相撲に見るべきところがないというはなしではない。どうしてこういうはなしになるかというと、バキたちはけっきょく「じぶんが強くなること」だけを考えているからなのだ。これがたとえば寂海王だったり、組織の長としての克巳とかの目線だったなら、こういうことにはならないだろう。だが、バキは個人として相撲という歴史に触れたのだ。ブレイクダンスの選手が来週の試合のために古典芸能を見ることにあまり意味はないかもしれないが、振り付けをするものにはきっと有効だろう。目線が異なるのだ。そして、個人としてバキは最強レベルである。はじめからかみあっていなかったのだ。

 

 

148話、ここでも相撲についてかなりいろいろと書いてきた。いろいろと、深く考えてきた・・・。時間があったら、武蔵のときのように長いまとめを書きたいが、なにしろ結末が、けっきょく謎は謎のまま、というところなので、難しいかもしれない。たぶん、しばらく寝かせておくとおもいます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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