今週の九条の大罪/第76審 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第76審/至高の検事⑫

 

 

 

 

更新遅くなってしまってすいません。

九条と壬生が合流したところだ。壬生のそばには犬飼がいる。京極の息子・猛を殺した犬飼らはラブホテルに潜伏していたのだが、部屋から出て公衆電話から連絡をとってきた犬飼に、壬生はすぐそこを出るようにいっていた。伏見組の指名手配がかかっていてホテルには顔写真がいっているにちがいないというはなしである。それで犬飼はあわてて(たぶんそのあしで)逃げてきたのだが、壬生の予感は的中し、ホテルにはヤクザたちが乗り込んでいったのである。犬飼は海外に逃亡できるかどうかだけ考えているので、最初九条を密入国の業者かなにかとおもっている。

 

まず委任契約だと九条はいう。要するに逮捕された際の弁護をするということだろう。だが犬飼のぶんの書類はない。犬飼は京極の息子を殺したものであり、それを弁護すると、別の依頼人である京極と利益相反になってしまう。というか、そんなこと以前に、犬飼の態度は悪すぎるし、立場がわかっていない感じがありありだ。

海外逃亡するといっても数百万円しかない、その後どうするつもりかと壬生は犬飼を諭すようにいう。他のふたりはラブホ以来連絡がついていないが、いつでも逃げれるように靴をはきっぱなしにして、金も三等分したと犬飼はいう。それを壬生は甘いという。いまごろふたりは拷問されて居場所を問い詰められているにちがいないと。数百万しかもっていないという見通しの甘さを突きつけられて、犬飼は、しかしじぶんはこれくらいのことを考慮して行動してきたと、ぬかりのなさを伝えるつもりで靴のはなしなどしたわけである。だが、壬生からすれば全体的に大雑把で見通しが甘いというわけだ。

犬飼の連れは、壬生のいうように捕まって、どこかの廃屋であちこち切除されているところだ。猛殺しの依頼人と同じく、鼻や指を落とされ、たったいまスプーンで目玉をくりぬかれたところである。耳や舌が無事っぽいのはいま問い詰めているところだからかな・・・。

 

 

犬飼が黙ったところで、いつものように九条が「独り言」をいう。死体遺棄で出頭しろと。壬生は3年、前科のある犬飼は6年で出てこれる。犬飼は文句をいうが、人を殺して6年なら安いと壬生はいう。そもそも壬生は殺してないしな。犬飼はこの件にかんして特になにもしてないのに3年いくことになる壬生のことを少し考えてほしい。仲間も生きているなら出頭して黙秘、死んでいればそれはそれでヨシ。

死体を埋めるのにどれくらい掘ったのかと、九条が具体的なはなしをする。犬飼は動物に掘り返されるのを考慮して150センチくらい掘ったと。ハブサンは3メートル掘ってたけど、浅いぶんにはバクテリアが繁殖しやすくていいらしい。ともかく、それなら1年後には白骨になっているか、なんらかの理由で腐敗を免れて死蝋化するという。白骨、もしくは死蝋なら、検察は起訴しないのだという。死因がわからなければ殺害と死体を結びつけることはできないからだ。死蝋でもそうなるというのはよくわからないが、まあそういうことなのだと了解しておこう。とにかく、証拠がない状態で完全に黙秘する、それしかないというのが九条の考えだ。壬生は犬飼に、1年くらい逃亡してから出頭したらどうかなどといっている。

 

ここからが本題だと、九条は独り言を続ける。京極の武器庫の場所は知っているかと。知ってるもなにも、預かっているのは壬生だというはなしである。九条は、それをもって出頭するよう伝えるのだった。

 

壬生にいわれて兵隊を集めた菅原は、夜明けまでそのまま待っていたようだ。腕組んで駐車場に散って立っているモブマッチョも、夜明けまで腕組んで駐車場に立っていたようだ。見上げた忍耐力だな。

 

艮が乗ったトラックの突っ込んだ壬生の工場には嵐山たちがきて調査している。防犯カメラですでにドライバーが伏見組の元構成員であることはわかっている。伏見組と壬生がなんらかの事情でもめていることはまちがいない、両方つぶすのにいい流れだと嵐山はいうのだった。

 

 

 

つづく。

 

 

 

ほんとに最終章なんじゃないかっていう展開だ。誰かが誰かを出し抜いて、負けたほうが舌打ちして終わる、ということにはならなそうだな・・・

 

今回は久々に九条の悪いところが見えた感じだ。これまでけっこう繊細な描かれかたが多かったので忘れていたが、九条は表面的にはこういうことをしているんだよということが非常にわかりやすく見えるとおもう。

 

現状では壬生は菅原の兵力を使って伏見組と戦争をはじめるようなところにまでなっていた。しかも、今回わかったところでは京極の武器は壬生が預かっていたというからすごい。京極としては、壬生の居所がわからないというのはかなり大きかったわけである。ヤクザは組織なので、じっさいに戦争がはじまってしまったらとても壬生たちの勝てるものではないわけだが、武器がないとなれば、モブマッチョをあれだけ集めている状況で、しかも朝まで腕組んだままじっとしていられる忍耐力のある連中なのであるから、伏見組壊滅くらいまでいった可能性がある。だがそれは九条としても避けたかった。壬生の友人として、ということも少しはあるだろうが、いくらなんでもその状況に一枚かんでいる弁護士という立場は厄介すぎるわけである。

 

もし戦争が起きて、京極が死に、壬生が逮捕や指名手配ということになったら、伏見組の実質的顧問みたいな立場だった九条はかなり有名になってしまう。週刊誌とかにも取り上げられるだろう。これは、九条というより兄の蔵人のほうがおそれていた状況となる。彼の同僚たちがうわさしていたあの状況というわけだ。だがもちろん、彼が兄のためにそういうことをしたのだということではない。九条は九条の考えのもとに、今回の作戦を指示したにちがいないのだ。それはどういう考えかというと、当たり前のことになるが、はなしが大きくなりすぎる前に、要するにどうにかなる段階でなんとかしようというだけのことだ。そして、壬生と犬飼が出頭を飲む限りで、じっさいこれはどうにかなりそうである。犬飼の連れにかんして死んでいたらそれはそれでいいとしたり、猛の死が死という事実の重みをまったくともなっていなかったり、なにか不良弁護士的な当初の九条のイメージそのままという感じの今回の言動だが、こうみると、彼はたんにこの先おこりうることを予測して、しかもそこにじぶんがどうかかわる可能性があるのかということを見通して、解決可能な段階に事態を押しとどめただけなのだということがわかるし、そもそも弁護士的観点というものは法律文書的に事物を統一的に観察する立場にあるものなので、語の感触としては非常に冷たく感じられても、現実にとられうる言動というものはこんなものなのだろう。

 

ただ、それだけではなさそうにおもわれるのが、武器庫の件である。壬生が6年刑務所に入るというはなしの時点では、その間の壬生の安全を確保するというようなことかともおもわれたが、最後に唐突にこういう発言が出てきたわけである。武器庫の武器をぜんぶ警察にもっていくことがなにを意味するのかはわからないが、九条が考えなければならないことはおそらくふたつあった。ひとつは、6年壬生の安全が確保できたとしても、では7年目はどうするのかということであり、もうひとつは、もう悪い連中とつきあうなという烏丸の忠告なのである。武器庫の件は、このふたつを同時に片付けるものとおもわれる。壬生がいないあいだ、京極が九条を放っておいてくれるということはない。それどころか、アウトローとの付き合いという意味では壬生というはなしのわかる緩衝材がなくなるぶんもっと悪い環境になるだろう。壬生は、まだマシなのだ。このばあい、九条と壬生の利害は一致することにもなるから、壬生からも文句は出ない。ただ、そうすることによってなにが起こるのかは、わからない。そのことによって嵐山に京極を逮捕させるつもりなのか、ヤクザとして丸腰にして弱体化させるだけなのか、それは不明だ。だいたい、逮捕されたとしても、6年以上捕まっていてくれるとも限らない。壬生が出頭するということは、6年の安全とともに、猛の件について関係していることを認めることにほかならず、報復は避けられないわけで、この問題はどうしても解決しなくてはならない。そこに関係しているとはおもうのだが、結果どうなるかはわからない。

 

犬飼の連れは指や鼻を落とされ、目をくりぬかれていた。しかし耳や舌は無事なようである。これはおそらく、コミュニケーションをとるためとおもわれる。耳は、京極の質問を聞くために残り、舌はそれに応えるために残る。それ以外は不要ということだ。このとき、犬飼の連れは、ただ京極の目的のためだけに存在する人間ということになる。彼はもはや主体性をもつことができない。見られはするが、なにかを見るということはできないし、なにかに触れたりにおいを嗅いだりすることもない。耳がなにかの音声を拾い、舌が叫び声をあげることもあるだろうが、それも監禁という状況により封じられる。相手の主体性を削ぎ、じしんの主体性を誇張して表現する、それが彼らの拷問の手法である。犬飼の連れを問い詰めても、彼らは犬飼の場所は知らない。せいぜい、出かけるときに壬生の名前を出していたということをいうくらいであり、それはもう京極にはわかりきっていることだ。だが、どちらにせよ、2週間この苦痛は続く。そうして、痛みの交換様式において、京極は必ずじしんの回収額がもとの損失を上回るよう構成する。そうすることにより、ほんらい後手にまわる「報復」という行為を、まるでそれが運動の出発点であるかのように示すのである。この「主体性の奪い合いゲーム」が、彼ら悪い大人たちにとっての基本的なルールとなる。そして、この思考法は蔵人の「言葉」による全能感にも通じるものだということを、2回くらい前にむりやりこじつけて考えた。これまではピアノの鍵盤を例にして、シとドのあいだにある音を聴き取ろうとするのが九条であり、そんなものは存在しないか、存在するとしてもシかドのどちらかであるとするのが蔵人であるというふうに書いてきた。これは、数字にもたとえることができる。この世界を自然数のみで構成されているものとするのが蔵人で、小数点以下まで想定するのが九条であるというわけだ。そうして、じしんの信仰するルールに読み替えるという蔵人のしぐさが、アウトローたちの主体性問題と響きあうわけである。ただ、かといって延々無理数を小数点以下無限に読み込んでいくというわけにはいかない。どこかであきらめるなり四捨五入するなりして区切りをつけなければならない。芸術家なら、それを別の器に入れ替えて、無限に続く小数点以下の数字を保留したまま表現できるかもしれない。だが九条もまた蔵人と同じ法律家だ。どこかで彼はそれを発声可能な数字にしなければならない。それが「落としどころ」である。『九条の大罪』は当初「性格が悪い」という煽り文句とともに連載を開始していた。その印象は、まさしく今回描かれたような不良弁護士、悪徳弁護士というようなものだったわけだが、現実の彼はそうではなかった。そうではなかったが、同時にそうでもあった。それが今回の描写である。円周率は無限に続く。しかし、それでは計算が不可能になる。3とするなりパイとするなり、計算が可能なかたちにしなければ、解は得られない。それを行うとき、彼は今回のようになるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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