今週のバキ道/第144話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第144話/全力の限界

 

 

 

 

オリバボールに飲み込まれて窒息寸前にまでなった宿禰だったが、ぎりぎりのところで脱出、余力をすべて使い果たす突撃ではカウンターでオリバの拳をもらい、ついに倒れてしまうのだった。

 

顔を突いていたオリバじしんがふっとび驚嘆する体当たりだった。それだけの衝撃が宿禰の顔面に訪れたということである。離れて着地したオリバはちょっと心配しているようである。オリバの腕は無事なようだ。

そっと地面に手をつき、うつぶせだった宿禰が寝返りをうって仰向けになる。もう残ってないと宿禰はいう。オリバの勝ちだと。とはいえ、今回のオリバはいかにも実戦派のふるまいを見せていた。ジャック戦からどれくらいたったのかわからないが、少なくとも宿禰の左手には小指がなく、万全ではなかった。そういうことをオリバはいう。慰めというより、じぶんが勝ったことによる余裕が引き出した本音だろう。なりふりかまわず勝ちにいったということだ。でもそんなのは力士じゃないと宿禰はいう。いつでも備わっているから力士を名乗れると。

とりあえず死ぬことはなさそうなので、オリバは去っていく。宿禰も、どこか満足しているようでもある。「愉しんだ」と、じぶんで感想を漏らしているのだ。だがそのじぶんの考えにすぐ疑問も感じる。それでいいのだろうかと。

 

別の日、宿禰と蹴速がちゃんこ鍋を囲みながら話している。ふつうに今回のオリバ戦のことを宿禰が話して蹴速が聞いている感じなのだが、いやあなたたちそういう仲だったんですか?! 長年のライバルだろうから互いに「あいつ」呼ばわりみたいな関係なのかと・・・。この雰囲気は独歩・渋川のものが近いかもしれない。

 

ふたりは「格闘家(かれら)」の話をしている。それはそうだけど、誉めてるだけでは・・・などと蹴速はいう。この口調からして、ふたりは、なんというか、孤高の力士としての自覚がまずあって、ちょっと「格闘家」というものに挑戦してみようじゃないかというようなはなしが出てきて、それでふたりしてそれぞれに行動していたみたいに見える。彼らは、神事なりライバルの克服なり、やることがあるので、「格闘家」のように、誰より強いかとか、誰に勝ったとか、そういう競争原理には興味をもてなかったのだろう。生まれがそうだろうし、そうする意味もなかった。それが、なぜかこういう流れになって、バキやジャック、独歩やオリバとたたかうことになったのである。ふたりの会話からは、「格闘家(かれら)」に対する「オレら」が感じられるのだ。

 

宿禰はしかし、試してないことがあるともいう。気遣ったと。得るものはあった。勝ちを捨てることにはなったが、おかげで格闘家の強みと弱みが見えた。それを知りたかったのだ。

 

『「全力」の限界』について蹴速が語る。というか語って聞かせる。陸上競技が示す人間の全力の限界は20秒以内であると。言葉としては繊細なところで、より厳密にいえば、「全力」は常にいくらでも出せるはずだ。もう立ち上がれないという状況になっても、その状態における「全力」は出せるからだ。ただ、その出力はどんどん落ちていく。フルパワーの最速状態は20秒しかもたないということだろう。フルパワーの10秒を見せつけてやれと、なぜか蹴速は宿禰を鼓舞するのだった。いや、宿禰もだけど、蹴速もがんばってよ、ライバル応援してる場合かよ、わりと好きなファイターなんだからさ・・・。

 

それで、宿禰は光成に試合を申し出たようだ。ジャック、オリバと、バキ界でも屈指の強者とたたかって、しかもどちらにも負けたあとだ。光成も驚くが、宿禰が真剣な顔なので、いちおう納得したようだ。そこで宿禰は、その10秒のはなしをする。10秒で試合を終わらせると。相手が誰であってもだ。範馬刃牙でもかと、光成はなぜかいきなりチャンピオンの名前を出すのだった。

 

 

 

つづく。

 

 

 

宿禰はためらいなくバキでも10秒で倒せるといい、バキもまたそれを朗報として受け取るのだった。

 

オリバはオリバボールで攻めとか守りとかいった立ち位置を無効化したが、ここではなしがややこしくなってしまった。宿禰は勝ちにこだわっていなかったというのである。とはいえ、よく考えると、三角形だとか逆三角形だとかいうのはオリバがいっていたことなので、じっさい、いうように宿禰はそういう相対関係にはこだわっていなかったのかもしれない。

 

彼ら、というか厳密にはオリバがいっていただけなわけだが、オリバと宿禰のファイトは、三角形と逆三角形のどちらが上か、はっきり決めよう、みたいなことではじまった。これらは彼らの見た目の図像化であるとともに、両者のファイトスタイルをよくあらわしてもいた。三角形たる宿禰は、もともと聖地を守ることを任務にしていた守るものであって、そこから出ていって敵を倒すようなものではない。彼の任務は、どうあれ相手を聖地に存在しない状態に戻すことである。逆三角形体型のオリバはいわば肉食の狩猟型で、敵を探し出して屈服させる。相手を食い、吸収している点で変化があるといえばそうだが、これもやはり、相手を眼前から抹消することがとりあえずの目的とはなる。攻めであろうが守りであろうが、相手を目の前から消し去るという目的で両者は一致していた、このことを、オリバボールは示唆した。というのは、オリバボールは上下の概念を無効にするからである。そもそも、ふたつの合同の三角形が、「逆三角形」なのかどうかを考えるためには、上下の概念、重力、大地の存在が不可欠である。八方に虚無が広がる宇宙空間で、そこに浮ぶ三角形が逆三角形かどうかを決めることはできない。宇宙服を着て浮ぶ観測者やカメラがそこに存在すればできるようにもおもえるが、その場合も、上下を定めるのは大地のニュアンスを含む足側が下であるという慣習的判断や、カメラを通じて画面を見ているものの大地の方向がそれを決める。円や球は、大地が備わった地上の原理のなかにおいても、上下の判断ができない。唯一考えられるものは「転がる」という状況をもってのみであるが、これも、線上、もしくは面上のある点が他のどの点とも異なること(座標で指示できること)が前提となる(現実ではたとえば色を塗ったりとか)。オリバボールは転がることすらない。わたしたちには筋肉でおおわれた先に、オリバの頭がどのあたりにあるかということがわかるが、ここではそうしたことは無視する。すると、このいつまでも転がることのないボールは、どんなときもどちらを向いているか不明ということになるのである。これが、オリバボールが上下を、大地を失わせるという意味だ。

この先になにがあるのか、ということで、前回は、相手がいなければありえないようなたたかいの状況、つまりコミュニケーション的状況というものを想像した。そのときには、ソクラテスの議論のタイプをイメージした。プラトンの描くソクラテスは、街の名士や賢者をつかまえていろいろ「対話」をするが、読んでみるとよくわかるように、それはいまいわれている「対話」とはちょっと異なっている。プラトンじしんがそのつもりで書いているのだろうから当たり前のはなしだが、名士たちの発言はどれも注釈のようなものでしかない。ある大枠の説明があり、考えられる反論が名士によってくりだされ、ある種例外的なそうした反論をひとつひとつソクラテスがひねりつぶしていく、そういう流れなのである。だから、というといつかソクラテスの専門家に怒られるんじゃないかと冷や冷やしているが、プラトンの描くものは対話というより独白、モノローグなのである。名士たちの反論は、ソクラテスの議論がいかにすきのないものであるか示すための刺激でしかない。彼の「対話」はすべて彼という主語のもとに回収され、独白と化していく。そして、「格闘技」にも似たようなところがあるというはなしだ。このはなしに寄せて書いていけば、「格闘技」とはなんなのかというと、それは「この闘争の主語は誰なのか」という点で、それをじぶんに引き寄せる技術なのである。オリバボールの先にはおそらくこのことの克服ということがある。格闘のある一瞬を写真のように切り出し、それを連続させたとき、すべての状況は、どちらかの攻めと守り、もしくはそれらが同時に行われているものとして認められるだろう。格闘の「主語」を獲得するということは、守りにおいても後手に甘んじず、主体的なものとしてそれを主導するということだ。大地の概念を欠き、三角形に上下の区別を持たないオリバボール以降の世界では、しかしこうした読みとりかたはできない。ではそれらはなんなのかというと、コミュニケーションにほかならないのではないかということだ。

 

闘争をコミュニケーションとする発想は別に新しいものではなく、どちらかといえば手垢にまみれたありふれたものだろう。だが、宿禰や蹴速は、あれほどの強者でありながら、相手の顔が見えるような、試合とも呼べるようなファイトを、これまでまったくしてこなかった。要するに、これまでバキ読者が自然にしてきたような「闘争とはなにか」的な考えの歴史を、彼らはじっさいのファイトを通じて急激に身につけているような状態なのだ。そして、今回の会話をみると、宿禰にはもともと、オリバボールの先にあるこのコミュニケーション的な闘争のありようというものが見えていたのかもしれないとおもわれるのである。それが、格闘家を「かれら」という三人称で呼ぶ立ち位置である。これは、今回初めて明らかになった蹴速との親密な関係性もこみで、彼ら古代相撲の力士たちを指す「オレら」もニュアンス的に含んでいる。ここからは、客観性とともに、未知なるものに接続する通常のコミュニケーションとよく似た形状の心理が見て取れるのだ。

いままでの宿禰には、ただ「自分」しかなかった。それでも強いのだからじゅうぶんといえばじゅうぶんだが、彼のばあいはトレーニングも徹底してひとりで行ってきた。そこへ、どこからか「格闘家」の存在が、外部から情報としてやってくる。こうしてみると、彼が闘争を自然にコミュニケーション的なものと受け取ったとしても不思議はないかもしれない。相手は、主語を奪い合う敵というより、よくわからないものたちなのだ。だから、勝ちは二の次になっていた。もちろん、彼も人間だし、若いということも、プライドもあるので、最終的には「かれら」を「オレら」のうちに回収しようとするソクラテス的動機がなかったとはいえないし、げんにこれまではそのように見えていた。しかし、ともあれ、初期衝動的にはそういうところがあったのだ。こうみると、オリバのオリバボールは、彼がそのぶん優っていたというより、宿禰によって自然に導かれたというふうに見たほうがよいのかもしれない。

 

そしてこのコミュニケーションの作法は、オリバ戦では究極の「全身全霊」を引き出した。力士はどの立ち合いも全身全霊で行う、はずだが、最後の一撃は、オリバも驚くすばらしいものとなった。前回細かくみたように、これは、最後だからこそできたことでもある。現実に立ち合いでは算数のようにできるものではないが、たとえば100の体力があるとして、全身全霊の立ち合いが30の体力を消耗するとしよう。すると、2回あの突撃をしたあとでは、40の体力が残っていることになる。これがあの、次が最後だという状況だ。次に30だけ使って10残してももう動けない。そこで、みずからそれを最後だとすることで、宿禰は通常出力できない40の立ち合いを実現したということなのだ。ではどうしてそんなことが可能だったのかというと、それはオリバという非常に強い相手がいたからなのだ。40の出力をきちんと受け止めるものが目前にいてはじめてその衝撃は現実のものとなる。これが宿禰のコミュニケーション的闘争なのである。

 

宿禰がまだ試していない「全力」とはどういうものか。いま見たように、コミュニケーション的闘争は、究極の全身全霊を引き出すことができる。単独では出せない出力を、相手がいる状況であれば、彼らは出すことができるのである。だが、まだ試していないといっている以上、今回見せたようなものではないらしいということはわかる。となると、これはむしろコミュニケーション的作法からは離れたものなのではないかとおもわれる。彼がしていたという「気遣い」は、このレベルのものだ。すると、これは主語の奪い合いである。いままで主語の奪い合いをするものとばかりたたかっていたせいで見えにくくなっているのかもしれないが、宿禰はここのところまで実は「格闘家」としてはたたかってこなかったのだ。相手の格闘家たちはみんな、主語を奪おうと迫ってくるが、宿禰は「遅れてきたもの」として、コミュニケーションをとろうと、気遣ってきた。そのあたりが、彼らが微妙にかみあってなかったようにみえたことの理由なのかもしれない。だが、彼も格闘家の思考法を学んだ。コミュニケーション的作法が導く全身全霊以上のものが、この格闘家的作法によって引き出されるのかどうかというのはわからないが、試していないという言いかたからして、具体的ななにかがあるのだろう。それを、ソクラテス的に実行するということなのだ。今回相手は刃牙に決まったが、相手は誰でもいいというのも印象的な言い回しだ。コミュニケーション的芸能の漫才師がいくら一流でも、ボケやつっこみが誰でもそれが成り立つということはないだろう。前に立つのが誰でも実現可能であるということなのだから、それは決してコミュニケーション的なものではないのである。

 

だからまあ、なにをするにしても、宿禰は以後格闘家的ふるまいをみせるかもしれない、ということになると、これまで相手が格闘家で、描写上それに引っ張られていたぶぶんもあっただろうということで、いままでとなにがちがうのかよくわからないということになる可能性もある。その具体的ななにかがどういうものか、それによって、展開の雰囲気はかなり変わってくるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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