今週のバキ道/第133話 | すっぴんマスター

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第133話/蹴速VS独歩

 

 

 

 

蹴速と独歩の試合が始まる!ずいぶん更新が遅くなってしまったので今回は駆け足で。

最初の攻撃は独歩の突きと蹴速の蹴りだ。前回の引きが蹴速の蹴りで、拳や蹴り足の位置関係からしても、まず蹴りが放たれ、独歩がそれを迎えうつのに拳を選択したようである。

廻し蹴りっぽい軌道で放たれた蹴速の蹴りだが、じっさいはかかとを突き出す横蹴りのような軌道である。なんか前もこんなことあったな。これは、力士が四股で大地を踏みしめるのに通じる動作かもしれない。初登場時の岩もこれで砕いていたし、いずれにせよ蹴速にとってもっとも強力な攻撃といっていいだろう。これを独歩が拳で受け止める。ゆるく握った拳を強く握りこみながらねじ入れる、お手本のように美しい正拳だ。蹴速の蹴りがこちらに伸びてくるぶん、ねじ込みは着弾よりすこし遅れており、結果としては威力が浸透しやすくなっているのかもしれない。

骨と骨がぶつかった音なのか、大きな音で互いを弾く。もちろん独歩の拳はなんでもない。すさまじい部位鍛錬により、拳がそれじたいで鈍器になっているような男なのだ。たほう、涼しげな表情の蹴速だが、いまのでかかとにヒビが入ってしまった。同じように四股立ちで向き合うも、独歩は立ち方の違和感などから右足を負傷したことを見抜いてしまう。だが蹴速はいつもの「なにがですか顔」をする。「なんでこんな意味のないことするんですか?」とかピュアに訊ねちゃう新入社員みたいな表情だ。

だが独歩にはもうわかっていることだ。蹴速は認めるかわりにすさまじい勢いで右足を地面に打ち込み、無事をアピールした。文字通り地面に足が刺さっている。案外見たことのない描写だな。

闘争にはたくさんの嘘が必要であると、独歩は蹴速の態度を肯定、続く攻撃も再び右足で行う蹴速も認めている。今度は独歩も蹴りだ。やはり互いに横蹴り気味の直線形の蹴りのようだ。ということは足裏、もしくはかかとどうしがぶつかりあったのだろうか、両者ははじけ飛ぶのだった。

 

 

 

つづく。

 

 

 

最初の拳とかかとの衝突のエネルギーは、蹴速のかかとにヒビが入ったぶぶんに流れ込んだ。だからということでもないだろうが、最初が弾きあうような感じではなかった。今回は互いに遠くにふっとんでいるので、どこも怪我していないのかもしれない。

 

試合ははじまったばかりで、なんでもない描写だが、蹴速のスタンスがひとつ明確になった。ヒビが入ったかかとを、彼は地面に叩きつけた。怪我してると指摘されて、してないけど?としたわけだ。これじたいはふつうのことだが、蹴速がやるとまた意味がちがってくる。たたかっていれば怪我をするのは自然なことだ。つまり、こういう怪我に関してはもうひとつ、「こんな程度のこと怪我のうちに入らない」というスタンスがありうるわけである。そうであるところ、彼は怪我の存在を認めないのである。彼が展開する「仕切りなおし理論」に「負け」はない。仮に当代のものが死亡してしまったとしても、それを勝利までの幕あいだと解釈すれば、敗北ではない。敗北を認めないことによって勝利までの道のりを耕していく、そういう思考法なのだ。敗北には敗因というものがある。敗北を認めないのであればそういうものも見えてこないわけで、進歩もないのでは、ともおもわれるが、この「認めない」というのは、おそらく現実逃避的なこととはちがうのだろう。当麻家はたぶん敗因を探るということはしているはずである。つまり、うちうちでは、ある試合の結果を敗北として受け容れてはいるのだ、そうでなければ彼らは永遠に野見に勝つことはできない。つまりもっと厳密にいえば仕切りなおし理論とは、「敗北を認めているところを周囲には見せない」という態度だったのである。そして、そういう嘘を積み重ねた先に、じっさいに「負けていない」という事実が訪れ、やがて「勝利」にたどりつくという確信が、彼らにはあるのである。今回のかかとの件はこの思考法の縮小版だ。負傷を認めず、表情にもその気配をにおわせないほどに内と外が離れれば、やがてその事実も存在が薄まっていく。認めないことによって、げんにそれがないという事実が到来するのである。

こういう思考法の結果、蹴速はあの「なにがですか顔」を身につけていったのだろう。蹴速では内と外が別のルールで律されている。そうして外面を取り繕うことで、やがて追いつく(かもしれない)内面の成長を待つのだ。こういうことを2000年も続けているというのなら、きっと成功体験があるはずである。というのは、こう書きながらも、この蹴速ルール、「仕切りなおし理論」が有効とはちょっとおもえないからだ。花山くらいの気高さがあれば読者として説得される可能性もあるが、そうでもない。それどころか、独歩にはわずかな立ち方の違和感を見抜かれてしまっている。これはつまり、蹴速の専門であるところの外面の取り繕い、要するに嘘がばれてしまっているということなのだ。「仕切りなおし理論」はまず外面を用意して、内面がそれに追いつくのを待つ。しかしじっさいにはそううまくいかない。負けた事実を認めなければ敗因分析はできず勝利はやってこないし、足が痛ければ重心移動も不自然になる。彼が隠そうとする対象こそが本質なのだ。だからこそ、つまり、そういう事実を当麻が2000年かけても理解していないということはないはずなので、成功体験があるのではとおもわれるわけである。これが描かれるということはないだろうが、このあたりは作品外の情報含めて深めるとおもしろくなるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini3@gmail.com