追悼記事 チック・コリアの思い出 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

ピアニストのチック・コリア氏が、2月9日、がんで亡くなった。79歳。

 

フェイスブックではチック・コリアからの最期のメッセージが公開されている。

 

 

 

 

 

 

またぼくの人生の基盤となったかたがひとり旅立ってしまった。とても冷静ではいられないし、とうてい受けいれることのできないものでもあるが、彼から多くを受け取ったひとりの大人の人間として、感謝の気持ちをつづらないわけにはいかない。

チック・コリアじしんが非常に多作であるということもあるが、全時代的に追ってきたというわけではないぼくのようなファンでさえ、所持しているアルバムはたぶん50枚くらいにはなるとおもう。音楽に限らず、表現全般にいえることだとおもうが、いちどひとりの人物を好きになると、そのひとがかかわっている作品はリーダー作(そのひと名義)でなくても餓えるもののように集めてしまうようなところが深みにはまった受け手にはあるが、ぼくにとってはチック・コリアもそうで、たとえばジャズプレイヤーのクリスマスソングを無秩序に集めたような、いかにも通俗的な、販売会社が作りましたみたいなパチモノっぽい作品でも、ふと裏返してみて、クレジットにチック・コリアの名前が見つかり、それが聴いたことのない演奏だったりすると、まあ買ってしまうのである。そういうところから枝分かれ的に守備範囲が広がっていくのもよくあることだ。

 

ほんとうに、チック・コリアの演奏は長い間聴いてきた。なにしろ、人生でいちばん最初に買ったCDが、彼の代表作『リターン・トゥ・フォーエーバー』なのだ。いまでもあのころの記憶は輪郭も鮮やかに、清新に思い出される。当時のぼくは島田荘司のファンだった。御手洗潔という探偵を主人公にしたミステリの作者である。その、『異邦の騎士』という作品だった。『異邦の騎士』そのものも、島田荘司を代表する名作で、ミステリでありながら再読にも耐える無類の傑作だとおもうが、なによりそのなかで響いていたチック・コリアである。主人公は記憶喪失の男で、断絶した同一性のなかにさまよいたゆたう彼が、音楽を手がかりに、新しい生活を立て直し、胸の苦しくなるような恋愛を経て、自己を取り戻すのである。その内側に、ちがう漫画の登場人物がうっかりまぎれこんだような異様な立体感で迫ってくる、バイタリティのかたまりみたいな男が御手洗潔で、通常彼は浮世離れした変人とみなされるところ、足場の定まらない主人公にとってはむしろ心地のよさを生むようなところもおもしろい。ぼくは浦賀和宏の『記憶の果て』においての音楽の取り扱いにも強い影響を受け、坂本龍一を聴くようになり、ピアノを弾くようにもなったのだが、おもえばあの作品(群)でも、音楽は不安定な自己や世界に文字通り通奏する超越的な響きに満ちていた。そういうちからが、少なくとも小説のなかで無音のまま響く音楽にはあるのかもしれない。けっきょく、もしそこで言及されている音楽を読者が知らなければ、読者は作者の感動に感動していることになるのだ。そこに響いていると感じられるものは作品の外部から越権的に流れてくるものなのである。

 

 

 

 

 

 

『異邦の騎士』には数多くの音楽が出てくるが、わけてもチック・コリア、特にリターン・トゥ・フォーエバーだった。わかりにくいが、「リターン・トゥ・フォーエバー」というのは、作品タイトルであるとともにバンド名でもある。以下、作品としてのリターン・トゥ・フォーエバーは「リターン・トゥ・フォーエバー」と、バンド名は「RTF」と表記するが、『異邦の騎士』で印象的に流れるのは、RTFの『浪漫の騎士』という作品だった。『第七銀河の讃歌』も言及があったような気がするが、これは本作ではなく「疾走する死者」という、まったく別の短篇でのあつかいが印象深い。ともあれ、『異邦の騎士』を読んだひとは誰でもそうなるとおもうが、ぼくも『浪漫の騎士』をどうしても聴きたくなってしまったのだ。そのころのぼくは音楽的には素人以下で、ほとんどなんの興味もなかったといってもいいかもしれない。小学5年とかそのくらいのときのことだ。宝塚は観ていたのでまったく無縁ということもなかったとおもうが、少なくともCDというものはひとつももっていなかった。そうした人間が、とるものもとりあえず、近所のCDショップに出かけていったわけである。あれはどういう店だったのか、チェーン店ではなかったようにおもうが、わからない、ひとついえることは、いまおもうと別に品揃えが豊富な店ではなかったということである。本屋でいえばおばあさんとその娘さんが代々やっているような街の本屋さん、よく売れているものが当たり前に置いてある感じの、小さい店だった。ふつうに考えて、その時点で20年も前になるような、一般論的には微妙に時代を代表するともいえないような『浪漫の騎士』が、あるはずはないのである。そして、じっさいなかった。だが、そのときのぼくは舞い上がっていた。初めてきたCDショップで、はじめてじぶんでほんとうにほしいとおもう作品を買おうとしていたのだ。こういう熱っぽいあたまのまま、ぼくはただ、「リターン・トゥ・フォーエバー」という字の並びだけを発見したのだ。「リターン・トゥ・フォーエバー」はまちがいなく時代を代表する名盤であり、もしジャズコーナーがあるならぜったいにある作品なのだ。これを、ぼくは、どういう思考回路か、買って帰ったのである。チック・コリアの名前も見えたし、もはやそのときにはじぶんがなにを探しているのかわからなくなっていたのかもしれない。かくしてぼくの人生最初の自発的音楽体験はチック・コリアの『リターン・トゥ・フォーエバー』となったわけである。たいしたものではないとはいえ、ぼくの音楽的蓄積は、たしかにこのときから始まったことをおもえば、チック・コリアには(そしてもちろん島田荘司にも)感謝してしすぎるということはないのだ。

 

 

 

 

 

こういう記憶は細部までよく刻まれているものだ。ぼくが次に買ったものはチック・コリアの『Time Warp』というもので、調べてみるとこれが95年発売なので、当時の新譜エリアにでもあったのかもしれない。3枚目は、やはり『異邦の騎士』で言及のあった、ウエス・モンゴメリーの『インクレディブル・ジャズ・ギター』だった。「エアジン」が入っている、アレだ。「リターン・トゥ・フォーエバー」はやや別格的なところもあるが、ウエス・モンゴメリーというのは黄金期に活躍した天才ギタリストであり、マイルスやコルトレーン、セロニアス・モンクやバド・パウエル、ソニー・ロリンズにビル・エヴァンスと並んで、その手の入門本では絶対に紹介されている、「間違いのない」音楽家である。いまでもウエス・モンゴメリーは大好きだが、いまふりかえると「インクレディブル~」は彼の作品のなかでもけっこう地味目である。だが、この段階でこの作品に出会えたことは幸運でしかなかった。ぼくは、チャーリー・パーカーでもマイルスでもなく、ウエス・モンゴメリーでジャズのいろはを学んだようなところがあるのだ。

そして4枚目、再びチック・コリアに戻り、今度はRTF作品の『第七銀河の讃歌』を入手した。チック・コリアは「リターン・トゥ・フォーエバー」で大成功したあと、まったく同じメンバーで『ライト・アズ・ア・フェザー』というアルバムを発表した。前作とほぼ同じ手触りのアルバムで、のちにスタンダードと化す「スペイン」の初演は本作である。やがて、「リターン・トゥ・フォーエバー」は作品名からバンド名に変わり、次に発表されたのが、正式にバンド名となったRTFによるこの『第七銀河の讃歌』というわけである。初めてこれを聴いたときは正直面食らったものだ。ほとんど全編音割れしてるんじゃないかというほどゴリゴリのエレキで、なにしろチックのフェンダーローズが、耳の肥えていないぼくにもある種の古さを感じさせたのだ。「リターン・トゥ・フォーエバー」「ライト・アズ・ア・フェザー」が、ラテンの感性と楽園志向みたいなところがあったからよけいである。しかし、この作品ほど、年齢で聴こえが変わってくる作品もそうない。まず、のちにアル・ディメオラという超絶技巧のギタリストが加入するまでは、本作に参加しているビル・コナーズという人物がギターを担当していたのだが(そもそもエレキギターという存在が、前の2作には考えられなかった)、このひとが、いかにも不明瞭な弾きかたをするというか、音が渾然一体となって迫ってくる感じをよくもわるくも演出していたのである。だがのちに『Return to the 7th galaxy』というベスト盤で、ビル・コナーズ参加の、「スペイン」の未発表演奏を聴くまでで、そこから本作の印象もだいぶ変わったのである。6曲収録のうち、最初の4曲がベスト盤などに収録されがちだが、ぼくは残りの2曲のほうがむしろ好きだった。「SPACE CIRCUS」は、チックがよくやっている、中毒性の高い、短い小節のループのうえでドラムソロをとらせるやつで、何回聴いても飽きない。

そして、5枚目で、ぼくはようやく『浪漫の騎士』に到達することになった。新宿の紀伊国屋書店だった。たぶん観劇の帰りだったんではないかとおもう。いまも紀伊国屋書店のなかにCD売り場があるのかどうかわからないが、いずれにせよ書店に置いてあるCDがそれほど豊かであるとはおもわれない。それが、なんでかわからないが、そこには古びた『浪漫の騎士』があったのである。ここで買わなければもう二度と出会えないかもしれないと、そんなふうにぼくが感じたとしても不思議はないわけで、なにを買うでもなく、ぼくは本屋でこのずっと探していた作品を入手したのだった。

 

 

 

 

 

 

こういう経緯を、ぼくはありありと記憶している。もともと凝り性なので、研究しようとおもったものはとことんやってしまう。だから、買ったものも、文字通り一日中ずっと聴いていた。そうして、すぐに、すべてを暗記した。この「暗記する」ことは、ジャズに入っていく際には、非常に大切なラインとなる。なぜなら、まったくなんの前提情報もなく生まれて初めてジャズを真剣に聴こうとしたものは、きっとなにがそこで行われているかわからないからだ。もちろん、いくつか保留点もある。まず、RTFの音楽は純粋なジャズではない。フュージョンと呼ばれる、ジャズにロックやラテンの文法、感性を持ち込んだ、当時は新しい音楽だった(そのぶん、いま聴くと、もっと昔のモダンジャズよりよっぽど古く感じられたりする)。そして、ぼくは本読みなので、当然のことながら、ジャズ入門系の本をたくさん読んだ。後藤雅洋氏にはたいへんお世話になった。そうして、外堀を埋めていったぶぶんはある。だが、それ以上に聴くことは、「何回も聴く」以外にないと、いまでも考えている。ここでこういうふうにシンバルが鳴る、こういうふうにベースのひとがまちがえる、というふうに、すべてを覚えてしまったとき、はじめてそこでなにが行われているか、つまりひとことでいえば「構成」が、素人には見えてくるようになるのだ。

 

以後、ぼくは、少なくとも大学生くらいまでは、本とCDにすべてのお金を投入する人間になっていった。音楽は、ヒップホップに傾くようになるまでは、すべてチック・コリアを中心に回っていた。ウェザーリポートを知ってジャコ・パストリアスを好きになったのは、ウェザーがRTFと同時代に活躍したフュージョングループだったからである。キャノンボール・アダレイを好きになったのは、ウェザーのキーボード、プロデューサーだったジョー・ザビヌルが『マーシー、マーシー、マーシー』で参加していたからだ。万事この調子である。もちろん、教養として、入門書を手がかりに、たくさんの、ずっと古いものや、チックとはそうかかわりのない名盤にも触れていったが、けっきょくわたくしの帰還する先はいつもチック・コリアだった。即興の緊張感を味わおうとしたら、ぼくはチャーリー・パーカーでもキース・ジャレットでもなく、チックとゲイリー・バートンのライブ演奏を聴いた。ウェザーの演奏はつねにRTFと相対化された。あるスタンダード曲が気になったときにはまずチックが弾いていないか調べるところから始まった。こういうものを人生の師匠という。そうした存在はとても得難い。チック・コリアはぼくにとって、方向も位置もわからない、真っ暗な音楽の宇宙に打ち込まれたオリジンである。すべてはそこからの距離によって、座標のうえに定義される。これは、とてもとても、得難いのだ。幸い、それとも、それゆえというべきか、芸術家は残した作品でその役目を果たすものである。音楽を鳴らせば、チックの偉業に触れることはできる。だが同時に、芸術作品は作者の体温の残るものでもある。そうでなければ、音楽はただ消費されるだけの食糧みたいなものになってしまうだろう。アリストテレスは悲劇を経由して生じる感動の正体を「カタルシス」とした。これは、一般的には、抑圧されていたものが解放される、その快感をいうが、これは語源的には排泄を意味するものでもある。もし作品が消費されるものになってしまえば、ひとは身体機能としてのカタルシスを解消するためだけに音楽を求めることになる。だがそうではないだろう。同様の効果をもたらすなんらかの刺激と音楽は、交換できない。なぜなら体温が、つまりその向こうに作者のいることがわかるからである。ジャズのような即興音楽であればなおさらだ。「作品を開けばそこに作者がいる」は、慰めにしかならない。しかし、そこにすがる以外ないというのが現実でもある。たえがたい悲しさではあるが、体温の残る作品に触れることができるというのは幸運でもあるはずだ。

 

チック・コリアからは、ほんとうに多くのものを受け取った。いくら感謝しても追いつくことはないだろう。彼は最期に、わたしたちにもアーティストとして発信せよと語っている。その言葉の意味を、こうしてチック・コリアについて語るものとしても、考えていかなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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