なんとか今年中に読み終えて書評を書きたい本が何冊かあるのだが、どうもムリっぽいので、読み終えることができるのであればそれはそれ、ということで、今日はいま読んでいる非常に興味深い本を紹介したい。どれもまだせいぜい半分程度なので、読みとしては深いものは得られていないが、どう考えてもすごい本なので、そういうレベルで受け止めていただきたい。
まずはアメリカの文化人類学者、デヴィッド・グレーバーによる『ブルシット・ジョブ』である。すでに各所で話題になっており、「ブルシット・ジョブ」という語じたいが定着しつつあるので、ご存知のかたも多いとはおもうが、なにはともあれこの分厚く、重い、原典にあたってもらいたい。おもしろいから。
ブルシット・ジョブの定義は、「被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用の形態」であり、かつ、「本人は、そうではないと取り繕わなければならないように感じている」種類のものだ(27頁から28頁)。ぼくはまだ第4章に入ったくらいのところだが、数多くの事例(ツイッターで募ったようである)を紹介しつつ、ブルシット・ジョブのさまざまなありよう、原因、またなぜそれをひとは「ブルシット」なものと感じるのか、ということが、細かに、またたいへんスリリングな文章で解明されていく。なんというか、推理小説でも読んでいるような気分になるのだ。ちなみに、ときどき誤用を見かけるが、たんなるクソ仕事(シット・ジョブ)とは異なっていることには注意しなくてはならない。シット・ジョブは、ひとことでいうと「割に合わない仕事」ということになり、たいていの場合それはむしろ社会にとって必要な、エッセンシャルな仕事となる(そうでないパターンもありうるかどうかは未確認)。それでいて、賃金が低かったり、他人から蔑まれていたりしているのがクソ仕事。ブルシット・ジョブはむしろ実入りにかんしては条件がいい。そして、重要なことは、定義にもあるように、従事する本人がその仕事を「無意味だ」と感じているということである。たとえば、お金持ちの家の前でインターホンを押す仕事とか、誰も来ずなにもない倉庫に一日中座っている仕事とか、きれいに耕された畑から石を探し出して積んだりとか、そういうことだ。それはさまざまな現れかたをするので、その分類もまたおもしろいが、ポイントは、ちょっとそれを聴いただけでは、第三者的には「それはむしろおいしい仕事では?」と感じられるということだ。なんにもしないでたってるだけで日給が、しかもけっこういい額でもらえるというのだから。だが、それに従事したものは誰もがそれを「ブルシット」だといい、傷を負って去っていくのである。そこには人間の社会的生物としての面が浮き彫りになってくるようでもあるが、そのあたりはいまから読んでいくところで解かれていくようである。128ページあたりにある、労働に時間の感覚を持ち込んだことの、短い(たぶんこのあともこの点の言及はあるだろうとおもう。たいへん重要なので)考察もおもしろい。時間が、貨幣と交換できるものと考えられるようになったときから、たとえば5時間以内に片付けなければならない仕事を1時間で終わらせてしまったとき、雇用主は買い取った時間を無駄にしないために、無意味な仕事を創出するのである。
同様に推理小説的なスリルのある本で、マーク・チャンギージーによる『ヒトの目、驚異の進化』はほとんど革命的な1冊だ。といっても本書の邦訳が最初に出たのは2012年で、今年早川書房から文庫が出た。ぼくはこれをハヤカワの公式noteかなにかで見ておもしろそうだから買ってみたのだが、買うまで気付かなかったが、実はそれ以前に本書には触れていた。東浩紀と石田英敬のおそろしく刺激的な対談というか、実質石田英敬の講義のような手触りの『新記号論』である。第1講義で取り上げられている。ハヤカワ文庫の解説も石田英敬が担当しているが、ヒトの視覚面での進化に新しい視点を加えていく、とてつもない傑作である。たとえば人間の色を読み取る能力について書かれているが、従来それは、野生の時代に、ジャングルで木の実や葉っぱなどの色を識別するために発達してきたと考えられてきた。しかし、そのように利用されてきた面はあるにしても、そうではない、とするのである。ではなにかというと、それは仲間の「顔色」を知覚するための機能だったのである。第2章ではヒトの目がなぜ前向きに2個ついているのか、ということだ。これも、ふつうは立体視のためということになるが、本書では「透視」の能力としてとらえられる。一つの目で世界を見たとき、向こうの建物の前に草むらがあれば、草に隠れているところはぜんぜん見えない。だが微妙にずれた位置にあるもうひとつの目がそこに加わることによって、草むらを認識しつつ、同時うしろにある建物を丸ごと見ることも可能になる。こういう、常識を覆すような仮説が、圧倒的な説得力とともに迫ってくる本である。
これは小説で、まだ5分の1程度読んだだけだが、ローラン・ビネというフランスの小説家による『言語の七番目の機能』である。本書は、かのロラン・バルトの事故死についての「真相」を求める物語だ。知らなかったが、バルトが交通事故で亡くなったことは事実のようである。そこへ、フィクションとノンフィクションの断りなくものすごい力技で実在の哲学者や政治家を食い込ませてハードボイルドなミステリに仕上げているのである。あまりにもその境目が不明瞭すぎて、フランス思想界や当時の政治状況にそこまでくわしくないぼくとしては、なにかこう、どこまで冗談でいってるのかわからない政治漫談でも見ているような気分になるが、それもこみでおそるべきエンターテイメントになっている。と同時に、言語学、記号論、構造主義にかんして深い理解を得られる内容にもなっており、これはおすすめしないわけにはいかないのであった。いったい、こんな展開でどういう結末がやってくるのか見当もつかないが、毎日少しずつ楽しみに読んでいる。
とりあえずはこの3冊を今年中に読み終えたいのだが、ほかにも同時に読んでいる本が30冊くらいはあるので、まあムリだろうなということで、本稿を仕上げた次第である。
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