ツイッターで「3000文字チャレンジ」というのを知ったので、やってみます。お題を選んで3000文字以上、内容はなんでもよし。
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以下本文。ひまつぶしにしておくれ。
考えてみれば私にとってのソクラテスとは、一種の研究対象であった。書店員歴何百年、無数の本を食いつぶすように読み砕いてきたソクラテスの内側には、知識の宇宙が渦巻いている。彼はいつでも対話を通して考えを深めていったが、じっさいには、その前後で彼の宇宙になにか大きな変化が訪れているということはなかった。ひとびとは、彼に論破されることで、目を啓き、未知にたどりつきもしたが、ソクラテスじしんは、少しもその場から動くことはないのである。それが、私には不思議に感じられた。対話はなんのために行われるのだろうかと。対話の内側にはたしかに、つわものどものことばの痕跡が複雑に残り、編みなおされた論理の織物は、以前と異なった模様に変化しているようでもある。ところが、その実、彼にとってはなにもかも自明なのである。
その日も、私はいつものように2分ほど遅刻してしまった。さらに、数人の立ち読み客の間をすりぬけ、お客さんにつかまっては本の場所を案内し、あやしい人物がいれば注視し、ようやく私がレジに到着したときには、定時を10分ほどまわってしまっていた。「なぜ書籍には本体価格しか書かれていないのか」などというご意見を不用意に開いた酔っ払い客を、ソクラテスはいつものようにやりこめているところだった。私は、ソクラテスには時計以外のことに集中していてもらいたいと考え、あいだに入って客を追い返し、数瞬思案してから投げかけた。
「おもうのだがね、ソクラテス」
厄介な客を追い返した興奮で幼く火照った額を、ソクラテスがハンカチでふいている。
「君はそうして、対話を通じて議論を深めているつもりでいるようだが、現実には、そこでなにが起こっているのだろう? いま帰った客は、果たして、ほんとうに、本体価格のなんたるかを理解して、納得して帰っていったのだろうか。君は、対話の形式を借りて、相手の問いかけまでも踏み台にして、実質的には徒に長口上を展開しているだけではないだろうか」
「君はいちいちうるさいね!」ソクラテスはややイライラした様子で応える。「そんなことはどうでもいい、些細なことだよ! 重要なことは、ぼくが知っていると相手が納得するとに関わらず、誰もが覆すことのできない真実を形容した言葉に、その表現に到達することなのだ! だがその道筋は不明瞭だ。対話とはそこへ向かう道路のメンテナンス、いわば公共事業なのだ!」
「ふむ・・・」
「だからそれがどんな言説であれ、ぼくは受けて立つ。どのような言説であれ、それを掘り返していけば、必ず、当初は思いもかけなかった結論がもたらされる。そうやってわれわれは真実に漸近していくのだよ。おわかりか?」
私は周囲を見回し、またしばらく考えてから、続けた。
「『無許可の写真撮影はどうかご遠慮いただけませんか。ましてやそれが本の内容を撮影したものとなればなおさらです』」
「うん?」
「いや、君がどんな言説でも掘り返していけば真実にたどりつけるというからだね、ふと思いついた一文なのだが。どうかね」
「ふと思いついた? いまこの瞬間、なにもない空間からそのいやに具体的な二言をつかみとったと? そこに貼ってある貼紙を言い換えたわけではなく?」
「まあそういうことなんだが・・・、どうなのだね、できるのかね」
「それはまあ、できないということはないだろう。しかしあの貼紙をエクセルでつくったのはぼくなのだから、真実もなにもないともおもわれるが・・・まあやってみよう」
「たのむよ」
「ふむ・・・、ではまず確認だが、これはひとりの人物がじっさいに空気をふるわせて音声にした文章だね?」
「たぶんそうだろうね」
「そう・・・、まず、話し手はうんざりしているね」
「そうかな」
「そうさ。“どうか”と“いただけませんか”の“か”に意地悪な響きが感じられる。それはうんざりしているからさ。この話し手は、写真撮影が禁止されているなんらかの場所で、使命を果たしている。なんらかの場所とは、本が置かれているところだ。書店では本のなかみを撮影することは原則的に許されないことはわかるだろう?」
「そうなのか?」
「とぼけるなよ。その撮影された情報にお金を払っているお客さんがいる以上、公平性の観点、撮影者を優遇する理由がないという観点から認められない、という理屈をつけたのは君だろう」
「いや、これはぼくの発言ではないから・・・」
「あくまでそのスタンスか。いいだろう、このまま「思いもよらない結論」にたどりついてみせるさ」
「期待しているよソクラテス」
「今日の君はなんだかいちいち腹が立つね。
さて、ただ、これだけのことから、この場所が書店であるとは決められない。撮影禁止の図書館かもしれないし、古書が展示されている博物館かもしれないし、ぼくの家かもしれない。出題者が君だという点から、ここが書店だと仮定することはできるが、それ以上のことはここではなにもいえないね。個人的には、この話し手は君じしんではないのかなとはおもうが」
「ふむ」
「ここでもっとも重要な語は「ましてや」という副詞だ。話し手は、写真撮影が禁止であるという法にどこまでもしたがう、という態度ではいないようだ。そうでなければここでこうした段階は設けられない。本の表紙だろうが内容だろうが、撮影じたいがNGだ、というふうには、彼は受け取っていないことになる。しかし、法じたいは、写真撮影全般を禁止している。ここに彼の解釈が生じている。仮にここで「本の内容」以外を「表紙」としてしまおう。法は、表紙だろうが内容だろうが、撮影じたいを禁止するが、現実には彼は、表紙の撮影をとがめることはないのだろう。そこに、内容を撮影するものが現前し、表紙撮影なら見逃す可能性もあるが、内容は看過できないと、このように言っていることになる。ここまでは自明だろう」
「そうかもしれないし、そうではないのかもしれない」
「ここまでは納得してもらわないと困るよ。
さて、この話し手の彼は、決め事を守るということにかんしては、わりとおおらかな人物であるようだ。大枠の法は、写真撮影じたいを禁止しているのにも関わらず、それが内容に及ばない限りは見逃しているだろうからだ。それが今回、内容を撮影する人物に出会ってしまった。しかし、彼はなぜそのようにうんざりしているのだろう」
「よくあることなんじゃないかな」
「そうではないだろう。これが日常的なら、「表紙」や「内容」といった線引きはより洗練されているにちがいないからだ。ここには突発的な、一回性のようなものが感じられる。突然起こった、予想外の出来事だったのだ。それなのになぜうんざりしているのか。それは、彼が急いでいたからだ」
私はなにか居心地が悪くなってきた。
「急いでいないにしても、「そんなことに関わっている場合ではない」というおもいが、どこかにあったのだ。ふだん、「表紙」と「内容」の線引きがあいまいな人物であるから、ときによっては「内容」に及んでも見逃していた可能性も否定できまい。それが、どうしても注意せざるを得なくなった。なぜなら、すぐそばでそれが起こってしまったからだ。通りがかりに起こったたまたまなのか、どちらかの意図があったのか、それはわからないが、彼は「注意しないわけにはいかない」状況に陥ってしまったのだよ。しかし現実には彼にそんな余裕はない。要するに、遅刻していたんだね。彼は」
「なにをいっているのかわからない」
「けっこう。ぼくは気にしないさ。おもしろい問題に直面していて、時計のことなんて考えている場合ではないからね」
おしまい
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