今週のバキ道/第60話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第60話/独歩vs猛剣

 

 

 

 

 

渋川剛気対巨鯨の激闘が終わったあと、いちおうの手当ても済んだ渋川がバキたちのところにきている。

チームで大相撲打倒を目指している金竜山は、まず渋川の勝利を「先鋒戦」の勝利として喜んでいる。とてつもなく大きな一勝だと。しかし、バキたちの空気はちょっとちがう。少し離れたところにバキと克巳、渋川がいて、話している。なんとか合気の心境地で勝てはしたが、怪力が合気を覆すことがある、そのことが強烈な印象を残しているのである。若いふたりには勉強の機会だ。

合気を力で返す、そのことを実況は「人類初」などといっていたが、前回も独歩にいっていたように、そのことはおそらく巨鯨に固有のものではない、と渋川は忠告する。「力人」と呼ばれる力士にとっては、合気を力で返すくらいの腕力は「当然の嗜み」なのではないかと。だとすると巨鯨っていったい・・・。

 

 

さて、会場では独歩対猛剣が始まろうとしている。独歩は178センチ110キロ。猛剣は177センチ161キロ。体重差はあるが、並んでみると独歩の太さもよくわかる。丸っこい拳も含めて、小山のような男だ。

猛剣は「博士」とも呼ばれ、相撲研究家として知られる、角界一の技量の持ち主だという。ただそれは相撲のあの厳格なルール内においてのはなしだ。地下闘技場においてそれがどのように発揮されるのかはわからない。

対する独歩は逸話の宝箱である。拳は瓶の腹をそぎ、ボトルを真上から押しつぶす。手刀は瓶の首を落とし、角材を断ち切り、針金を切断する。指の力は硬貨を捻じ曲げ、相手の鼻をもぎとるほどだ。そして、ここでは噂レベルのものとなっているが、外伝にも描かれたことで、独歩は野生の虎を倒したこともあると。「ほんとかよ」となるようなはなしばかりだが、だからこそ神話なのだと、実況はいつものあの説得力で述べる。相撲が神事なら独歩は神話なのだ。

 

 

 

つづく。

 

 

 

はじまるなり、猛剣は腰を割って、独歩は駆け寄っている。猛剣は、少なくとも見た目に関しては、なんかちょっと期待してしまう感じがある。たぶんそうとうなベテランで、髪もうすくなってきているぶん、髷がずいぶんうしろのほうにある。浮世絵みたいな顔つきと目つきもいい。僕には神話対決というよりクセモノ対決のようにみえる。

 

今回は独歩紹介で典型的ないつものやつが列挙された。このなかのいくつかは、大山倍達のものである。ビール瓶の首を飛ばす、というのは、いかにも使い古された表現だが、初期の極真会館ではよく行われていたようで、瓶の底にわずかに液体を残したりとか、いろいろテクニックを駆使すれば、もちろん達人にとってはということだが、そう難しくもないようである。部位鍛錬が足りないと小指側の骨を落とすことがある、というはなしもきく。

しかし、その大山総裁も演武で瓶切りに失敗したことがある。これは、八巻健弐や数見肇などを育てた名将・廣重師範の著書で読んだことだ。当該本は手元にないので、うろ覚えの記憶にすがるが、すでに40を過ぎていた総裁が大勢の見る前で瓶切りに失敗したのだ。いくつかの瓶を並べて連続で切る、みたいな演出だったんじゃないかな。それで、ひとつの瓶が切れずに飛んでいってしまった。この時点でどうしても起きてしまう会場の「ガッカリ感」を払拭するために、次の瓶で総裁はこの、裏拳による瓶の腹落としをおこなったのである。硬貨曲げも有名なエピソードだが、鼻をもぎとる、というのも総裁のはなしである。といっても、じっさいにもぎとった記録があるわけではなく、総裁はよくそういっていたということだ。初期の極真会館では特に指の力を重視していた。いまはどうだか知らないが、ブラジルでは昇段試験の過程に二本指での逆立ちが入っていたりするそうである。で、総裁の理屈では、5本なり3本なりの指たて伏せが100回できれば、その逆立ちもできるようになる。そして2本指での逆立ちが可能になったら、それでかたい拳をつくるとかそういう技術的なはなし以前に、もう相手の鼻なり耳なりをもぎとれるようになると、こんなことをよく書いていたのである。

 

ただ、総裁のことなので、「指立て100回=指での逆立ち」みたいなことは、そう厳密ではなく、書かれている媒体、語っている人物によって微妙に異なっていたりもする。しかし、これはじつは神話のありようそのものである。「神話」とは、手持ちの道具で自然現象を説明しようとした人類の努力の痕跡のことだ。したがって、手持ちの道具が異なれば、神話の内容は細部において異なることになる。隣り合った地域に住む、同一言語の部族であっても、生活に使用する植物や食料となる動物などの生態系がちょっとでも異なっていれば、神話にも影響が及ぶことになるのだ。こうした「微妙に異なる神話群」が宇宙のある姿を外部から規定していく、というのが、レヴィ=ストロースや中沢新一の発想である。神話においては、細部の具体的な数字はそう重要ではない。むしろ、そのように「微妙に異なる神話」が多く重なっていくほど、宇宙の輪郭ははっきりしていくのである。

 

今回は特にはなしがすすまなかったのでなにも書くことがないが、金竜山とバキたちの温度差は記憶しておいたほうがいいだろう。金竜山は、「きれいな相撲」、“見るもの”として確立することが胚胎することになった「オトナの事情」から逃れ、真剣勝負的な古代相撲の精神を宿していたから、強かったし、宿禰はこころを許したし、今回では大相撲と対立することにもなった。金竜山が「ファイター」であることはバキたちも認めるところであろうし、今回の試合に参加することにも古代相撲側として立つことについてはおおむね同意しているとみていいだろう。しかし根本的な動機はやはりちがうわけである。金竜山はいわばルサンチマンをこじらせて、宿禰という超特大の爆弾を手に入れたことで、ぶっつぶしてやる、という気持ちになった。バキたちもそのはなしにのる。しかしなぜ「のった」のかというと、それが「勉強の機会」として意味がある、と考えられたからなのである。彼らはどこまでも強いんだ星人、じぶんの強さのことが最優先で気にかかる人種なのだ。渋川の勝利は、渋川の勝利以外の意味をもたないのであって、だからチーム戦的な喜びを金竜山と共有することはない。また、ちからに傾きがちなあの世界で合気でのしあがってきた渋川には、やはり誰しも敬意をもつのである。その意味で、あの試合の行方は「強いんだ星人」にも気がかりであったのだ。でも、これじゃちょっと金竜山もかわいそうだよな・・・。

 

 

 

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