第56話/達人の底力
今回は渋川剛気のインタビュー場面からはじまる。これまでの巨鯨のものは明らかに試合後のものだったが、今回のものはどうだろう。どちらにも見える感じだ。
道場で渋川は、合気は天才の領域だという。近代スポーツは人体の働きを量的に効率化しただろう。おかげでいまわたしたちは、筋力トレーニングひとつとっても、もっともむだのない、最短距離で増量、あるいはパワーアップさせることができる。けれども、そうした視点と「合気」は無関係だと。もっといえば、関係あるものとしてとらえることに意味がないというようなところだろう。そこからでは「本質」にたどりつけない。
では渋川はいつそれを理解したのか。それはしょっぱなから、御子柴に挑んだときからだ。チビではあった渋川よりもさらに小さい、いかにもひ弱な老人に投げられ、失禁するほどのダメージを受けたのである。そのときに渋川は、感動を覚えていた。こんな技術があったのかと。
誰がインタビューをしてるのか、人体的にありえないという問いかけがなされたようだ。渋川は笑いつつも、「アンタを投げて見せてもいいが・・・」という。この、ちょっと底が見えないような怖い感じが、このひとである。モデルの塩田剛三にもあったすごみだ。しかし、わたしたちは人体のなにを知っているというのか。インタビュアーはもちろん、渋川剛気だってわかってはいないと。近代スポーツもそうだが、科学的な合理性は、ひとを主知主義的にしがちなものだ。しかし、皮肉なことに、そのままでいる限りでは、わたしたちは未知を見逃すし、認識の更新の機会も失ってしまうのである。
しかし合気の真髄は身体の理解とはちょっとまたちがうところにある。それが、アライジュニアの看破した「反射」である。水滴がとんできて目をとじてしまう、膝をトンカチでたたくと足が伸びてしまう、こういうどうしようもないポイントにつけこむのが、合気だと。
というところで試合に戻る。やはり、今回の組み合いからの展開は、力勝負の次の段階、反射につけこむ攻撃ということになるようだ。電流が走っているような描きこみが巨鯨の足に満ちている。そこから、渋川の投げだ。だが、ほとんどあたまが地面に接するというところで、巨鯨はからだを反転させ、またもや着地する。
しかし渋川はまだまわしをつかんでいる。危機を感じた巨鯨は、手首をつかんでロック、腰を割り、投げに対する完全な防御体勢に入る。こんなこと彼の力士人生で初のことだろう。電流は巨鯨の首筋にまで及んでいる。すさまじい攻防だ。巨鯨が咆哮する。渋川は、巨鯨のほぼ前面のまわしを下からつかんでいる。この腕の下に巨鯨は腕を差し込んでいるようだ。渋川はこれにかんしてもうまく操作しているはずである。しかし、徐々に、その指がまわしから離れている。剛力と、おそらく汗もある。激しいたたかいで、巨鯨だけでなく、たいへん珍しいことに渋川剛気も、今回のたたかいで終始発汗しているのである。
そしてついに渋川剛気が引っこ抜かれる。足が地面から離れてしまうとさすがにあの魔法は使えないようだ。そうして、宙に浮いた無防備な渋川を、外野手の守備練習のためにノックするコーチのようにぶっ叩くのだった。
つづく。
なんかすごい盛り上がってきたな。
前回までの、コンドームに比喩される抵抗は、「いわゆる合気道」的な応答だった。つまり、「相手のちからにじぶんのちからを加えて跳ね返す」という、神話的かつ理解のもっともたやすい原理だ。コンドームが膨らんでいったのは、別に渋川がなにかをしているということではなく、巨鯨じしんが抵抗していたからである。彼自身が、ちからを加えることで、戻ってくる重さを増幅させていたのだ。
しかしこれは破られた。その理由としては、くどいようだが、「相手のちからに・・・」戦法の仕組みによるものであろう、というのがこれまでの推測である。ひとは、ただ握手するという動作のうちにも、複雑に筋肉を使っている。さまざまな方向に、さまざまな大きさで働くベクトル、これを瞬時に把握し、コントロールしてしまうのが「いわゆる合気道」である。複雑な、大きさもさまざまな入り乱れる矢印のうち、みずからの腕力が勝るものをひとつ見つけ出せば、術者はそれでいい。それをくじき、いじってしまうことで、複雑ながらひとつの動作に収斂していた全体を崩壊させ、そればかりか反転させてしまうのである。だが、その「もっとも小さなベクトル」が、術者のささやかな腕力を上回ってしまったときに、この原理は敗れることになる、というのが前々回ひねりだし、前回そういうことだろうと決めた、あの展開の背景だ。だが、渋川はそればかりではない。それが今回の、反射につけこむ技術である。これもしつこいようだが、今回の取り組みは両者「勉強」として挑んでいるふしがある。とりわけ渋川にかんしては、徹底した「量」にどこまで合気が通用するか、そして、その向こう側にはなにがあるのか、という思慮があった。そういうところで、まずは「いわゆる合気道」的な方法を用いたのではないか。でも、これはけっきょくのところ、相手のものを借用しているとはいえ、パワーに(相手の)パワーで応じる、ということにほかならなかったわけである。そうして、今回の「反射」に至るというわけだ。
しかし、その反射も破られた。ひとびとはそれを「剛力」によるものだという。ぼくはよく寝ているとき金縛りにあうのだが(あたまは起きているがからだは眠っている、レム睡眠時に起こる)、これはたいがい仰向けになっているときに起こる。からだは眠っているから、動くことはできない。そこで、夢うつつに妙なものを知覚して、なにかがのっていると錯覚してしまうのである。これが、ときどき、じぶんでなんとかできることがある。「いま金縛りにあっている」ということが自覚できると、渾身のちからをこめて寝返りをうてば、解放されるのである。しかしながら、これは別に剛力によるものではない。おそらく、からだがまだ完全には眠っていなかったとか、そういう条件のようなものがあるのではないかとおもわれる。
巨鯨も、おそらくそうした条件を満たしたものとおもわれる。反射につけこんでいる、という原理である以上、ちからは関係ないからだ。剛力が関係しているものとしては、揺さぶりがあるだろう。繊細な技術である合気を行うにあたって、常人よりはるかにふり幅の大きいちからの持ち主である巨鯨が相手であるのだから、ちょっとからだが傾いたとか、ちからの方向性が変わったとかいうことでおきる事態も甚大であろう。そのたびに達人は微調整をしなければならない。それが、少しずつ集中力を奪い、まわしにかかる指をひきはがしていったのだ。
もうひとつ、誤算といえば誤算だが、このたたかいが長期戦になったことである。つまり、「汗」だ。力士が全力を出せるのはものの10秒、というようなはなしであったが、すでに数分は経過しているだろう。というのは、ふつうの取り組みとは異なった試合内容になっているからだ。達人も、基本的には、こういう技の持ち主であるから、長期戦というのはなかなかない。技が通れば一瞬で勝負ありだし、なんらかの事情で(たとえばちょっとした油断でアキレス腱を切られてふだんの状態から遠くなるとか)通らなければ負けてしまう。その結果として、達人は、最近ではほぼなかった大量の発汗というじたいにおちいっているのだ。これはたぶん見た目より大きいだろう。ここに、反動をつけて綱引きするみたいに、巨鯨の巨体が揺さぶりをかけてくるのである。反射が破られたというより、巨鯨の規格外のからだ向けの戦略を用意すべきところ、達人はそれをおこたってしまった、というようなはなしではないだろうか。
渋川剛気の原風景はやはりあの、御子柴に負けた場面にあるようだ。その直前に近代スポーツのはなしがあり、それでは本質にたどりつけないということで、ではじぶんはいつから、ということで、このはなしになっているので、近代スポーツ的なものの体現者として、あのころの、柔道家の渋川は立つものである。だからこそ、合気をヤラセだと断じた。理屈としてありえないと。こうした傲慢さが強みになることもある。が、弱みになることもある。御子柴に投げられるまで、つまり理にとらわれるままでは、彼は未知を発見することはなかった。「届かないもの」はあったとしても、「存在を理解できないもの」は、見ることすらできなかったのだ。そこでかれは投げられ、世界という、未知にあふれた大海を知ったのである。
しかし、これが原風景である理由は、合気を極めつつも、さらに先を求めてしまう武道家のサガを、彼が宿しているからだ。護身術ということであれば、彼はもはやなにも学ぶ必要がない。しかし、ほんとうにそうかな、という疑念もつねにつきまとう。なぜなら、合気習得の道の始まりが、じぶんがそれまで存在を想像すらしなかった原理を発見することによったからである。とするならば、じぶんがいま全身を浸しているこの合気という技術のさらに外側にも、なにかがないと、誰がいえるだろうかと、こういうふうに当然なるのである。それが原風景ということの意味である。
反射を攻める戦法でいけばまず渋川は負けない。だからこそ、最後までとっておいた、という感じもする。しかしそれは、あの巨体と見通しの甘さによって破られた。渋川はそこからなにを学ぶだろう。というか、これ、負けるのか?いまのいままで気付かなかったが、負ける流れじゃないか・・・?
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