■『老いのゆくえ』黒井千次 中公新書
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老いのゆくえ (中公新書)
885円
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「家の中や外で転倒することが増えた。運転免許をついに返納した――。85歳という新たな区切りを超えた作家は老いとどう向き合っているのか。優先席との微妙な関係、年齢への違和感、進まない整理整頓、しゃがむことの困難、病気との付き合い方、硬貨や薬が転がり落ちること。同じ出来事でも、70歳代のころとは見え方が変わっている。「老人独特の忙しさ」の中、残された時間に思いをはせながら描く老いの日常」Amazon内容紹介より
読売新聞夕刊で連載中の、黒井千次による「老い」にまつわる短い文章をまとめたもの。知らなかったが、これでシリーズ3作目ということである。第1回が2005年ということで、それから15年ほどがたち、著者も73歳から87歳になっている。
黒井千次の「老い」本といえば、ぼくでは『老いるということ』が決定的である。同じ新書であるしてっきり類書かとおもっていたが、あちらは講談社で、こちらは中央公論だった。『老いるということ』は、本書のような随筆ではなく、2006年に行われたNHKのラジオ番組に先立って作成されたテキストのような内容で、文学作品などを経由したたいへん示唆に富んだ「老い」の考察になっていた。ちょうど本シリーズがはじまったころなので、黒井千次が「老い」に取り組みはじめた、というよりじしんの「老い」を経由して、文学者として探究をはじめたのがその、70代に入ったころなのだということだろう。
『老いるということ』で決定的かつもっともはげまされたのは、「老い」を人生の様態ととらえる視点である。「老化」という語を受け取ったとき、わたしたちは、脳裏に、ロングテール的な、右側にいくほど低く傾斜したグラフのようなものを思い浮かべるかもしれない。身体能力や知能の働きなど、「以前可能だったことができなくなる」といったしかたで、100あった体力や記憶力が50になるようなものとして、とらえているのである。しかし、黒井千次が、あるいは希望をこめて、ということになるのかもしれないが、ともかく見出した「老い」は、人生のひとつの景色なのである。年をとった状態は、若い状態の量的縮小なのではない。弱ったのでもない。体力や知力の強い/弱いという視点じたいが、強さを謳歌する若さの視点に依ったものである。そうではないだろうと。時間に抗って、若くあろうとすることも、それはそれとして価値はあるが、それは「老い」から逃げているということでもある。なぜ逃げるのかといえば、それは「若くない」状態、つまり量的に縮小した状態にほかならないからである。そうではなく、ひとは、老いなければ到達しえないなにか、その年月を経なければもたらされることのないなにかを求めるべきではないのか。これは、それが正解、真理ということなのではない。そのようにして「老い」をあつかわなければ、ひとが健全に老いることは難しいだろう、というようなはなしである。
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老いるということ (講談社現代新書)
880円
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こうしたわけで、「老い」とは人生のひとつの状態に過ぎない、ということが、『老いるということ』ではもたらされた。わたしたちが生の展開を傾斜するグラフのように考えてしまうのは、むろん、時間というものが連続的なものだからである。少年と青年は断絶していない。ある瞬間を切り取って、それが少年であるか青年であるか問うことはそれなりに有効でも、あらかじめどこからが青年かということを定義することはできない。このことが、ある「可能だったこと」ができなくなっていく経験について、縮小を想定させるのである。しかしそれは、「老い」の視点からすれば、また別の言い方も可能になる。できることが減っていき、できてはいても手間がかかるようになっていけば、時間の過ごし方、感じ方それじたいも変わっていくだろう。若い時代にそれがわからなくてもしかたのないことである。だが、そうでもなければ、そもそも、わたしたちが重ねるこの年齢の厚みは、相対的な、実体のないものになってしまう。
本書では、夕刊の短い連載ということでもあり、日常のほんの些細な失敗や思いつきを、小説家の手つきを経由してということではあるが、可能な限り率直に書いたということだ。ひとつひとつが短いので(4ページ)、ぼくは寝る前にひとつ読む、みたいな感じで、のんびり読んでいた。しだいに黒井千次に、作家としてというより知り合いのような感覚も覚えていき、本が終わりに近づいていくのがさびしくも感じられたが、ともかく、そうした短く、そして些細な話題ということもあって、時間のアナログな経過の感じが伝わってきたおもしろい。そして、たしかに、わたしたちは、グラフのなだらかな傾斜をたどるようにして、年々減っていくようなのである。いわば本書はその目減りの記録である。だがそれは、減っていく残りのものがどの程度か、悲愴感を伴うまなざしで追うものではない。もちろん、そういうおもいがあらわれているときもあるが、黒井千次では不思議と死の恐怖とか、若さへの憧憬とかいったものはない。それというのは、『老いるということ』で示されたような視点が、実生活のリアルな触感の外側にあるからだろう。転んで、ケガをして、以後注意するようになって、それでも転んで、どうしたものかとなる、それが人生なのである。作者は本書において、「老いなければ見ることのできなかった景色」を、実践的に、わたしたちに示しているのである。「老いることは知ること」(206頁)なのだ。
そうした感情移入的な読みとはまた別に、いろいろと発見もあった。たとえば、街をいけば、特に用事があるようでもない老人がうろうろ歩き回っていて、あれはなにをしているのかと不思議だったが、散歩をしているのである。ぼくには散歩の趣味はないので、「散歩をする」ということが積極性をもって行われることの意味がよくわからなかったが、本書でなんとなく見えてきた。当初はやはり健康のためということもあったようであるが、それがルーティンとなったとき、ひとはただ「歩くため」に歩くのである。あーわかるわかる、とはぼくではならないのだが、同時に、なるほど、ともおもう。それこそ、ぼくはまだ30代で、若いのだから、そうでなければしかたがないというものだろうが、あまりにもせわしない日々のうちで、ぼくなんかは多くの見落としをしてきているわけである。たとえば通勤では、決まった道しか通らないので、道路工事などでちがった道を通ったりすると、あまりに景色がちがうので、迷わないまでも、新鮮な気持ちになってちょっとした浮遊感のようなものを味わったりもするのである。「老い」が与えてくれるそうした時間感覚を積極的に堪能するためには、できることが多すぎる若さは、余計なのだ。
また、お年寄りがどういう感覚で道を歩いているのか、ということもかなり身近にわかった。そして、朝急いでるときなど、なるべく徐行したり距離をとったり努めてはいるが、先を歩くお年寄りを自転車や足で追い越すとき、もう少し注意しなくてはいけないな、などとも感じたのであった。
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