今週のバキ道/第40話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第40話/VS大関 巨鯨

 

 

 

 

小結・炎に完敗した貝沼文也が病院のベッドで試合を振り返る。第一印象としては「敏捷(はや)い」ということだ。貝沼は下段を振りぬくなり背後をとられていて、炎が移動したことさえ知覚できていないのだ。

そういうわけで、はやいことははやいのだけど、そのあとに襲いくる印象は「腕力」だ。背後をとられて、炎のじっさいの大きさが見えないぶん、その感じは強まるだろうが、腕力のみから受け取る炎のイメージはもはや巨人である。じっさいには腹のところで腕を組まれているだけだが、感覚としては巨人にわしづかみにされて叩きつけられたかのようだと。「力士」なんだよなと、貝沼は改めて思い知ったのである。

 

次にたたかうのは猪田火飲(いのだ かのん)だ。彼は身長189センチ110キロということで、たしかに日本人選手としては非常に大きい体格である。だがその彼がはるかに見上げるのが、231センチ290キロの巨鯨だ。ここで、最初に紹介されたときのじゅんばんとは変わることになった。身長もそうだが、巨鯨は体重もすごい。だがそのわりには、それほどお腹が出ているようでもない。引っ込んでいるわけでもないが・・・。もっと、小錦体型なのかとおもっていた。

からだが大きい、ということの説得力はたいへんなものがある。猪田は試合の相手としてははじめて、相当な緊張感で臨むことになった。そして巨鯨は、その圧力のまま距離をつめてくる。だが、これはひょっとすると誘いだったのかもしれない。距離は近い。じゃっかん前傾もしているのだろう。そのぶん顔が近い。猪田はすかさず頭部をねらって蹴りを放った。その胸を巨鯨が打つ。「他流試合でも」と光成がいっているので、一突き=三十日で勝つ、というのは、巨鯨にはいつものことなのだろう、柵にめりこんで、そのまま前のめりに猪田は倒れてしまうのだった。

 

次の相手は桑田巧美、184センチ88キロ。これまでの選手からすると軽めで、名前の通り技巧はのようである。光成は世界一だとも。それは、地下闘技場も含めてなのか? 郭とかよりも上、のわけはないので、表の格闘技では、ということだろう。

彼はみんな相撲をありがたがりすぎだという。動けるだけで、デブはデブだと。技術に自信があるぶん、体格にものをいわせるタイプにはちょっと言いたいことがあるのかもしれない。

その相手は「博士」の異名をもつベテラン、猛剣である。

 

 

 

つづく。

 

 

 

いい感じに少年漫画っぽい対決になりそうである。

読者側としては、これまでどんな場面でも明かされたことのない現役力士の本気が描かれるということになるわけで、それがどんなようなものなのか、バキなどとたたかう前にフロントアクト的に示してもらいたい、ということはあるわけである。かませ犬にされる彼らにとっては心外だろうが、地下闘技場レベルではないけれど一流、みたいな選手を、まあよく集めてきたものだとおもう。しかし「博士」かあ・・・。シンプルなあだ名のぶん、ちょっと楽しみだな。

 

そういうわけで、「力士たちはちゃんと強いんだ!」ということを示すのがこの一連の試合なので、なかなか、はなしとして深まるというものでもない。なので批評も先に進まないが、ひとつだけいえば、やはりあの、混沌が横綱と対していった「まるで横綱」や、貝沼が炎を「まるで巨人」と同じラインの、今回の巨鯨に対する「まさに巨人」である。この発言の流れだけみても、彼ら一般の格闘家、そして格闘家ではない一般人たちが、どれだけ相撲にロマンを感じているのかわかるというものである。比喩表現を駆使してものごとを表現するとき、そのものの標準的なありようからは逸脱したものを感じて、わたしたちは似たものを探す。すごい美しい顔立ちのひとをみて芸能人に似ているひとを探すのは、それが美しさという点で通常の顔立ちから逸脱しているためである。現実には、標準というものは権威が共同幻想的に定めているぶぶんがあるので、逸脱ということもまた幻想ではあるのだが(逸脱していない零度のエクリチュール的な顔立ちなど、じっさいには存在しない)、ともあれ、実感としてそういうことは立ち上がりうる。そういう意味で、力士たちは格闘家の標準的な姿からは逸脱しまくりである。そしてまた、そこにロマンを感じるとき、ひとは着地点を探すのだろう。なにかえたいの知れないものに直面して、えたいの知れないままに放置することは、なかなか難しく、その心理と、こころのどこかに抱えている「力士はきっとすごい強い」という願望が重なって、彼らはいちいち比喩表現的な言語運用を用いてイメージを語ってしまうのである。これは、くどいようだが、彼ら大相撲が「見られるもの」として成立してきた背景と無関係ではない。彼らは総出で、宿禰が暗示した大相撲と古代相撲のちがいを指摘しているわけである。

 

しかしながら今回に限っていうと、やはり前回論じた炎の問題がある。猪田は巨鯨のことを「まさに巨人」という前に「まるで巨人」といっており、これを言い換えているわけだが、その少し前に、貝沼が炎を「まるで巨人」といっているわけなのである。となれば、炎がその怪力で実現している姿は、巨鯨がナチュラルに体現しているものとちがわないということに、やはりなるのである。彼らは正しく格闘貴族、その体系は普遍性を帯びるものではなく、「誰でも」強くなるものではない。強くなれるものしか強くなれない。ここでいう強くなれるものとは、ひとことでいえば大きいものである。これを超越するために炎は、たぶんひとの何倍も努力して、あの怪力を身につけたのだろう。けれどもそれは巨鯨が体現するものそのものなのだ。もちろん、炎にはあの速さもある。むしろそれこそが彼の特殊性であるわけなのだが、それだけではやっていけないというのが現実でもあるわけだ。ここには普遍性が欠けており、それは、「ある種の選ばれしもの」たちが実現する格闘技、という景色を呼び込む。これが、相撲の観戦者から当事者意識を奪い、相撲を徹底して「見るもの」するのである。

 

だが今回の巧美にはちょっと期待していいかもしれない。なにしろ相撲にロマンを見ていない。いや、これは、そうしたブランド意識への反発心ということで、むしろあこがれの裏返しである可能性もあるが、それでも、相手が「博士」であるから、なにか熟練の技術のようなものが飛び出してこないとも限らない。そうなればはなしは少し変わってくるだろう。ということで次回は期待できそうだが、来週は休載です。