なにを書いていったらいいか | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

ぜんぜんブログ更新できなくてすみません。

 

こうなったのはいろいろな条件が重なった結果だとおもいます。むろん、ウシジマくん完結の意味するところは絶大でした。ぼくとしても、本ブログが「ウシジマくん解説ブログ」とあつかわれることは本意ではなく、基本は、本を読んで、その感想を書いて、知恵を蓄えていくことを旨としているものであって、ウシジマくんが中心にあったようにみえたのは、たんにウシジマくんがすごい漫画だったからなのです。ところが、そうはいっても、あの漫画がこのブログの核であったことはまちがいなかった。それどころか、やはり、というか、どうやら、ぼくにおいても、じぶんでおもっている以上に、「ウシジマくんの連載がある」ということは、意味のある緊張感を日常にほどこしていたのだなあというふうにおもいます。起きていることをとりあえず受け止めて、その構造を丁寧に調べていく、というふうにぼくの活動をまとめてみても、連載中の作品と一冊本を読み終わったあとに書くものではスタンスが異なってくるのは当然のことです。前にもどこかで書きましたが、連載中の作品の批評を書いていくという行為は、小説の批評でいえば、ページをめくるごとにそこまでで考えついたことを書いていくというようなことになるわけですから。

そういうわけで、ウシジマくんの連載がブログを運営するあいだずっと続いていたことは、ぼくにとっては非常にうれしい効果ということになりますが、こちらの脳みそのありように適度な緊張を強いてきたわけです。しかし、それが完結した。その、物語が結ばれたあとのきちんとした批評も、じつはまだ書いていません。「最終章ウシジマくん」の、いつもやってる考察まとめみたいなこともしてないし、当然すべきである『闇金ウシジマくん』ぜんたいの記事も、童貞のやつをひとつ書いた程度です。真鍋先生の新作が発表されるまでにはせめて、ぼくが「梶尾問題」と呼んでいる、掲示板で問いかけのあった問題には取り組みたいとはおもっていますが、なかなか、どう考えてもパワーのいるミッションなので、覚悟が決まりません。たぶん滑皮を掘り下げることになるので、丑嶋の童貞を考えたときと同じかそれ以上の量になりますし、むろん、ぼくは考えながら書くので、走りきる体力も必要になります。なかなかそのタイミングがつかめないというか・・・。とにかくすみません。

加えてバキ道の休載です。7月はまったく掲載がありませんでしたし、その以前から、例の新装版に描かれた死刑囚のその後を掲載することによって実質休載ということになってはいました。ウシジマくんと同程度にちからを入れているバキの連載が不安定ということも、ぼくを弛緩させているぶぶんはあるとおもいます。

 

さらにブログ外の生活の問題もあります。というか、厳密にはありました。ちょっと前までは、ありえないほどみっちり仕事で時間が埋め尽くされていたので、ぼくはこのブログの状況を仕事のせいにすることができました。じっさい、物理的に書けない状況が続いていたことはたしかです。でも、実をいうとそれは解消されました。事情があって、比較的早い時間に帰れたり、あるいは遅い出勤になって前日夜更かしできたりということが増えているのです(今日が後者です)。ところが、ブログは更新されない。読書も遅々として進まず、ロシア語もいい加減になってきています。筋トレもモチベーション下がりまくりです。休日に胸とか腕とか背中とかのきつめのトレーニングを集中してやることはまだ持続できていますが、仕事のある日に行っていたような、一種目だけの、たとえば片足スクワットとか、ブリッジとか、そういうちょっとしたトレーニングをサボることが増えてしまっているのです。こうなってみると、ぼくのばあい時間的制約とか物理的な環境とかは、あまりかんけいないのだなあという感じがします。おもえばいままでもずっと大変だったのです。時間なくて1時間くらいでウシジマくん感想を仕上げることだってむかしはしょっちゅうあったのです。というか、たぶんぼくはそういうふうに文句いってひととか状況とかのせいにしながらやりきるのが性にあっているのだとおもいます。

仕事のストレスかな・・・やたらめったら本を買ってしまうというのもあります。まあ、これは仕方ないぶぶんもあります。なにしろ専門書を扱っているものなので、おもしろそうな本とは毎日出会ってしまうわけですよ。それはいいんですが、読めてない。こんなに買ったって読めるわけない、とはわかってるんですが、買っちゃう。たぶんこの2ヶ月くらいで買った本だけで3年くらいは読書生活していけるとおもいます。そうなると、読書に割くリソースも分散してしまい、それぞれの読了も延びることになるわけです。

 

これは、なかなか、たんにブロガーとしてもどかしいという以前に、なんとかしなければ、とはおもっています。というのは、なんだか自意識過剰のようですが、ウシジマくん本に寄稿させてもらったわけですよ。あの本がどれほど売れているのかはわかりませんが、というかあくまでファンアイテムという感じなのかな・・・という感じもないではないのですが、ともかく、あのウシジマくんの、公式発売の本に、文章が載ったわけですよ。最近はずいぶんアクセス数落ちてしまって、全盛期の20分の1くらいになっちゃってますが、そうであっても、今月の上旬くらいの注目度は高かった可能性があるわけですよ。ウシジマくん読者のすべてがすっぴんマスターを読んでいるわけではないので、当然、多くのひとは、誰コイツ、となったとおもうんですね、どうあれ。そういう状況でブログをさくさく更新できなかったというのは、控えめにいって悔しいです。まあ、まだ間に合うというか、文章を書くという行為じたいはそういう野心とは別なので、いつでも、書きたいものを書いていけばいいんですが、その背後にそういう気持ちがないといえばウソになるわけですね。

 

それとも関連しますが、いったいなにを書けばいいのかな、というような、ある意味新鮮な戸惑いも生じています。まあ、書こうとしたらなんでも書けるわけですよ。その質についての判断は読者に任せるとして、思弁を文章のかたちにすることは得意なわけです。なぜなら、ぼくでは思弁と文章が一体だからです。で、やっぱりちょっと自意識過剰気味ですけど、「なんでも書けるぞ」というようなことを、もっとアピールしていきたい、みたいな気持ちがあるわけです。板垣先生が『メイキャッパー』を描いて「化粧の漫画ですら描ける!」となったのと近いとおもいます。アホくさいのは、その結果として、なんにも書けなくなってるということですね。やっぱりぼくも労働者的なぶぶんがあるというか、制約のなかで作業することに慣れてしまっているというか、「なんでも」となると、ピタッと動きが止まっちゃうようなところがあるわけです。時間的な制約にかんしていえば、いまの職場にいく数ヶ月、ぼくは無職だったわけで、その間、noteなど、まあまあ順調に更新できていたので、制約がなくなったらなくなったで、そのときどきの気の持ちようでやっていけばいいとはおもうのですが、それよりもやっぱり、くりかえしになりますが、ウシジマくんとバキの週刊連載がもたらしていた緊張感が、原動力だったのではないかなとおもいます。

この自意識過剰気味なアピールですが、ツイッターでの触発もありまして、あまりじぶんからじぶんの書いたもの、あるいは書き手としてのじぶんを落とすような発言はすべきではないかな、とも感じています。というのは、ぼくじしん、書かれているものをそのままに受け止めて、好き勝手に読み解いていく、ということをくりかえしてきたわけです。だとするなら、ぼくは、ぼくの書いたものをひとが好き勝手に読んでいくことをとめられないはずです。その読者の解釈をゆがめるような発言は、少なくとも好ましくはないのかもしれないと気づかされたのです。そうはいっても、照れ隠し的に「自意識過剰っぽいな」とつぶやいてしまうことはやはりいまはまだとめられないのですが、控えようとも考えています。ですので、やはり、アピールはしたい、という気持ちがあることは、自分自身にも向けて表明しておきます。

 

 

近況、というよりいまのブログ停滞にかんしては、そういうところです。いままでのように漫画や小説の批評もやっていきますが、そういうわけで、なにかこういうの書いてみたら、みたいなのがあったら、ぜひ教えていただきたいです。げんにいま「梶尾問題」という宿題が片付いていない以上、書くと約束もできないわけですけど、アドバイスはほしいと、そういうわがままな心境です。