今週のバキ道/第29話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第29話/仕切り直し

 

 

 

 

 

 

バキは、兄弟子のような包容力で宿禰を迎える。宿禰も、バキの強さを認めてはいた。強い、というか、弱くはない、くらいの感じだろうか。だが体重差は歴然としており、技術で超越できるものでもない。そういうなかで、ほんとうに胸を貸す、迎えるような体勢になったバキに宿禰はぶつかっていった。しかしそこで現れたのは蹴りである。なにをもらったのか、バキの動きの名残でようやく理解した宿禰はそこに蹴速を感じ、いまの取り組みにかんしては潔く結果を認め、仕切りなおしてもういちど胸を貸してくれるよういうのだった。

 

バキは余計な一言だという。ぶつかり稽古で胸を貸すかどうかを決めるのは貸す側だと。そして貸す側であるじぶんは余計な心配はしなくていいといっていると、こういうことだろう。あたまを下げてお願いをする動作は不要だということだ。

光成は宿禰がちょっと笑っていることに気がつく。宿禰は、バキの強烈な打撃を憶えたという。どの程度の衝撃がくるのか了解できた、だから次はそのつもりでいく、というはなしだ。刃牙道最終回で投げかけられた問い、打たれる覚悟を決めた力士はどれだけ強いのか、というアレである。

 

バキは同じように前屈立ちみたいになって受け容れる体勢になる。だが、それが嘘だということを宿禰は知っている。バキは宿禰のぶちかましを正面から受けることは決してできない。なぜなら、軽いから。細工を弄するしかない。そして、少なくとも打撃にかんして、じぶんには準備ができた。だからこそ、宿禰は仕切り直しを要請したのだ。

蹴りにむけて浮かびあがるバキの右足が、「策ッ」という音をたてて砂を蹴っているのがなかなかおもしろい。この場面は宿禰視点の述懐が支配しているので、続く宿禰の「ほらね」という感想が、砂を蹴る音をこのように解釈させているのである。

やってきた蹴りはさっきとは逆の右足だった。「逆」にしたことも小細工なのだろうか。だとしたらなんかすごいせこい。バキならもっといろいろあるとおもうが、まだ隠しておきたい気持ちもあるのかもしれない。憶えちゃうから。ここは逆の足程度の「策ッ」で抑えておきたいというようなところなのだろう。

しかし今度の宿禰はびっくりもしないし衝撃に負けてしまうこともない。そのまま覆いかぶさってバキのトランクスをつかむ。このひとにつかまれたらもうおしまいというレベルの超握力が宿禰の持ち味である。だが、まだ骨をつかまれたわけではない。トランクスが破けてしまったら、バキは自由だ。破けてしまっても困るけど・・・。

次々と地面を蹴り込んで、宿禰は前進していく。だが、闘技場の柵に到着したころには、なぜか勢いが死んでいる。効いているのである。宿禰は前進から汗を流して、バキの蹴りをたたえる。蹴りを受けることで、ほんらい起こる倒れるという動きを、地面を蹴りつつ前進という動作に変えて、体重を預けていただけなのだ。

 

ちょうどふたりの顔が交差する体勢だ。宿禰の耳元でバキは効いていることを指摘し、キリ上げてやろうかと挑発する。連続する宿禰の述懐からもわかるとおり、彼もまたひとりの人間である。神仏のたぐいではない。挑発は有効である。宿禰は左手を残してからだを返し、顔面を地面に叩きつけるように彼を投げるのであった。

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

おもったよりバキが全然強いな。バキが強いのはわかっていたことだけど、たいがいのボスキャラとの初戦って2話くらいでバキ敗北っていうパターンが多かったから・・・。宿禰じゃないけど、バキは小さいから、つい、彼が勇次郎やピクル、武蔵に匹敵する強さだということを忘れてしまうよ。

 

バキはわりと考えなしに余裕なそぶりをみせるので、今回も彼のふるまいをのみをもってしてなにかを断定することはできないが、あの状況であのように挑発するからには、さすがになんらかの考えがあるのだろうとはおもわれる。つかまれて体重を預けられているという状況をとりあえず動かしたい、ということもあるだろうが、たぶん、このあとにやってくるであろう投げの状況も考えにいれたうえで、彼はあんなふうに挑発したはずなのである。投げが打撃と比べて特殊なのは、接触している時間が長いということだろう。打撃では、それはほんの一瞬のことだ。しかし投げでは、つかんでから、地面や壁に激突するまで、体感的にはほんのわずかでも、かなり複雑な動作が行われることになる。たぶん、そこに、バキレベルであれば、技術が入り込む余地はあるだろう。

 

今回興味をひくのは、宿禰の苛立ちのようなものだ。彼が神や仏ではなく、どこまでも人間だということは、前回の意外性とともに明らかになっていたことだ。そこに、人間的な感受性も、今回は加わってきた。胸を貸すといって、受け止める体勢をとりながら、バキはこれを蹴る。そこで、耐える決意をした宿禰は仕切り直しを要求するわけだが、このとき、彼らはバキの「小細工」についていっさい会話をしていない。これは少し不思議でもある。バキは、明らかに宿禰がだまされる、そのまま突撃してくるということをわかっていて、あそこで蹴りを放ったはずである。だとするなら、仕切り直しの前に、たとえば、これが現代格闘技の思想だとか、胸を貸すというのは表現であって、物理的にそうするわけではないとか、ある種のエクスキューズがあってもよいはずである。が、ふたりはまるで、そこに、いってみれば卑怯なあの蹴りがなかったかのように、ただ続行する。けれども宿禰のなかには、そこに生じたわだかまりはたしかにある。だから、「もう一丁こい」といわれて、モヤッとするのである。どうせ正面から受けるつもりなんかないのだろうと。そして、「ほらね」ということにもなるのだ。

状況としてはこうだ。ふたりは、Aをやろうと合意したうえで勝負をはじめた。ところが、バキは直前でBに切り替える。それを受けた宿禰は、すばらしいBだと褒めたたえつつ、彼がBを使用したことそのものについては言及しない。そして、ふたたびAをやろうともちかける。どうせBをやるんだろと予測しながら、である。たほうでバキのほうは、直前でBに切り替える、ということをしていながら、まったくそんなことはなかったかのように、さあAをやろうと宣言しているわけである。Aとは相撲であり、Bとはバキのナンデモアリである。この両者は、似ている、ということだったはずだ。が、このようなかみ合わせの悪さをともなって、じつはそこまで似ていない、ということが明らかにされつつあるわけだ。何度か書いたとおりに、その決定的なちがいは、武蔵を経由しているかどうかである。バキのこの一連の行動はまさしく武蔵の血統のものだ。本来であれば、B的な行動様式はAにはないわけなのだから、そこのところの差異について、両者のあいだでやりとりがあってもよいはずである。それがない。なぜかというと、その瞬間に、AはBより後手であるということを、宿禰は認めてしまうことになるからである。Aは、Bを包括するか、少なくとも同等のもののはずだ。それが宿禰や小池才明、また金竜山の考えるところなのだ。だから、Aは、Bに、Bたる卑怯なふるまいを許しつつ、これを超えるか、中和しなくてはならない。Aは、BがBであるということに言及することが、原理的にできないのである。そこに、宿禰の人間性が描かれる。というか、宿禰の人間性を通して、けっきょくはAとBが「ちがうものである」ということが表出してしまっているわけなのである。

 

つづくバキの挑発も、まあバキのことだからわからないといえばわからないが、おそらくB的な行動様式に則ったものである。宿禰はまんまとそれに引っかかっている。古代相撲が「ナンデモアリ」との差異を認めるだけでなく、それを含むものである、ということを示すためには、宿禰はどうすればよいだろうか。彼がもし勇次郎のような存在だったら、それも可能だったろう。だが、重なる内面描写は彼がただの人間であることを示している。このうえで、なにをすれば宿禰は、武蔵を経由したナンデモアリと同等かそれを超えるものになりうるか。それは、これらの説明のなかにすでに書かれている。両者は武蔵を経由しているかどうかで分岐しているのだ。だとするなら、古代相撲がナンデモアリをリードする点が仮にあるなら、それは「武蔵を経由していない」というところ以外ないのである。この表現では、武蔵という要素が不足している、ということになりがちだが、そうとも限らない。武蔵的なものをもたない強み、というものが、必ずあるはずなのだ。この論理はバキ世界でいうとたとえば花山が行使している。鍛えることが女々しい、ということで彼は、鍛えないことで、彼なりの持ち味を発揮し、結果強いわけである。こういう回路が、どこかにある。というか、なければ、宿禰はバキを超えられない。その着地点を、投げているほうの宿禰は探しているわけである。

 

 

 

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