第7話/世界(ジャンル)
相撲についてきかれて、愚地独歩は、「相撲て領域を考えないようにしてきた」とこたえる。
空手家は世の中すべてを敵視する立場にあると、独歩はいう。空手に限らず、憲法、柔道、ボクシング、ムエタイ、もっといえば格闘技だけではなく、アメフトやただの力自慢、刃物、多人数に対応できるかどうか、つねに考えているのだ。よくわかるというか、なぜだか空手だけの現象ともおもえる。空手をやっていたころ、ぼくはとにかく組み技、特に柔道が怖かった。ヤクザとか、不況とか、ゴキブリとか、もっとこわいものは世の中にたくさんあるのに、どうしてか、彼らに下段蹴りが、下突きが、前蹴りが通用するのだろうかと、そればかりが気になっていた。そりゃ、黒澤浩樹だったら、下段蹴りで相手の足を折っちゃうかもしれないが、ただの道場生にはむりなはなしである。たほうで、柔道家の投げは、オリンピック選手でなくても、どう考えたって強力だ。こういう不均衡が気になって気になってしかたなかった。しかし、柔道家が空手やその他の格闘技をおそれている、というようなはなしはあまり聞いたことがない。柔道に限らず、ある格闘技術の修練者が、ほかの技術に対応できるかどうか考えている、というというはなしをなぜだか聞いたことがないのだ。おそらく、柔道などに比べて競技化が遅れたというようなことも大きいのかもしれない。柔道家も、最強たろうとはしているとおもうが、意識の半分くらいはやはり試合、競技を占めているということはあるだろう。その点、空手は現段階ではオリンピックで試合が実現したこともないのだ。
たほうで相撲である。独歩は、「世界(ジャンル)」が見事に完成していると、まずひとことで言い表す。路上の喧嘩を想定して稽古をする力士はいないし(モチベーションにするくらいのことはあるだろうが)、他ジャンルと競うという発想じたいが生まれてこない。いまのはなしでいえば、「競技化」が歴史レベルで完成しているから、よくわるくも閉じている、ということなのだ。
そして、さらにいえば、「強い」と独歩は加える。デカくて悪くて大飯食らいなガキどもを集めて徹底的に鍛えて、食わせまくって、昼寝までさせているのだ。そういわれると、弱いわけはないとおもえるが、加藤が「強いったって相撲スよね」と、標準的な反応を示す。ここにはひょっとすると、我々にとっての曙のような経験が彼らのなかにもあるということかもしれない。
独歩は実演でわからせようと、ふたりを再び道場に連れ出す。相撲には、空手のような拳や蹴りの技がない。組みはするが、寝技にはならない。その包容力から、草食獣のように見られがちで、たしかにそうかもしれないが、それはとんでもない草食獣だと独歩はいう。平均体重160キロが、10秒くらいのあいだにすべての体力を使い切るのである。これは、刃牙道最終話でもされていたはなしだ。
そこで独歩は、加藤に相撲をやってみるかと持ちかける。知りたいだろと。知りたいのはバキなのだが、とりあえず加藤で実験だ!
得意の目突きでも金的でもなんでも使ってかかってこいというはなしだ。加藤は、しばらくアウトローの用心棒とかやってた人間なので、そういうところに遠慮がなく、そのプライドみたいなものをくすぐって挑発しているのだ。
独歩が騎馬立ちみたいなかっこうでのんびりしているものだから、加藤はすばやく動いて金的をねらいにいった。しかし、背足が金的に到達する前に、独歩の諸手突きが加藤をはるかかなたに突き飛ばす。よくわからないが、バキは「相撲だ」と感心するのであった。
第8話につづく