第469話/ウシジマくん55
すきをつかれて殴られ、縛り上げられた丑嶋は、獅子谷甲児に右手の小指を落とされてしまった。
丑嶋もさすがに悲鳴をあげる。前回描かれなかった潜蛇と金髪くんはうしろのほうでぼんやり座っている。ちなみにセンダだが、最初に描かれたときは「潜舵」となっていたが、その次と、今回は、「潜蛇」となっている。つまり、「ダ」のぶぶんが、船のかじという文字か、へびのどちらかということ。もし蛇だとすると、もぐるという字と合わせて、なんとなくちょっとあやしくなってくるな。
指って繊細だし、すごく痛そう。甲児は、椚と同じやりかたで拷問すると宣言する。指を一本ずつ切り落として、そのあとに両腕をノコギリで切る。そしてペンチで歯をぜんぶ抜いて、最後に耳を落とす。ノコギリで腕切ったのかよ・・・。椚はよく生還したな。甲児なら、死なせないために、蘇生の、電気ショックのやつとか用意してそうだけど。出血しすぎないようにしばったり、あるいは焼いたりしながら、注意深くやったのだろう・・・。復讐の衝動に任せるばかりでは、椚の状態は完成しないのだ。
さすがに丑嶋も顔に汗をかいている。が、これは痛みによるものか、あるいは恐怖などの感情的なものか、はっきりわからない。滑皮に足をさされたときも発汗の表現があったし、これはたんに強烈な痛みに対応したものと見るべきだろうか。じっさい、丑嶋は妙に冷静である。常人であれば、指一本落とされただけで、そしてそのあとなにが行われるか逐語訳的に説明されただけで、叫んで命乞いをするところだ。まあ、殺すといっているのだから、するだけ無駄だけど。
丑嶋は、よく見られる、震えた声の表現である波打った吹きだしなどではなく、ふつうに「やめろ」という。このコマだと、「やめておいたほうがいい」という、以前までの全能感が残った丑嶋のセリフみたいにも見える。まだどこか立っている場所がうえのほうな感じなのだ。それを感じたのか、甲児は「敬語はどうした?」などといっている。丑嶋はいままでずっと甲児にタメ口だったのだから、これはへんだろう。こういう微妙な相手と会話するときに、ですます調などの敬語が必要となるような会話をなるべく回避する、みたいなことはある。たとえば、新しい職場で、先輩がタメ年だったりなんかして、仕事中はずっと敬語だったとする。それが、転職して、数年後に再会したとき、そのときの会話の感じが微妙に思い出せず、敬語をつかっているのかタメ口なのか判定できないような会話運びに努めるのである。丑嶋と甲児の会話がどうだったかは、ちょっと忘れたが、そのような可能性もないではない。しかし、ここでは、丑嶋に再び兆しはじめている(かもしれない)全能感を甲児が動物的に感じ取っている、とみたほうがよい気がする。
丑嶋は腕っ節だけではない。たいへんなキレ者でもある。かつて獅子谷道場で見張りのものを説得してしまったときのように、丑嶋は甲児に話しかける。なぜ滑皮の子分をやっているのかと。さきほどの強盗にかんして、けっきょく誰が裏切ったのか、あるいは誰が無能だったのか、はっきりしないままだったが、黒幕は滑皮という可能性もあると。滑皮の警戒心からすると、たいへんな実力者である甲児を言葉のままに信頼しているとは考えにくい。盗聴されているし、車にGPSもついてるはずだと。しかし、甲児はそれを「知ってるわ」という。滑皮はじぶんのことをヤクネタ、厄介者とみていることは、甲児も知っているのだ。しかし、それはある意味「評価」でもある。どうやら、甲児の考えはここで硬直しているようだ。丑嶋は続ける。甲児のやりかたは過剰すぎる。つまり目立つ。このまま刑務所にぶち込みたいのだと。さらに、もし甲児が知らなかったのだとしたら、かなり決定的なことも付け加える。兄の獅子谷鉄也の死体、これを処理したのは滑皮だと。生ゴミみたいに捨てた、などとレトリックを駆使し、丑嶋は滑皮の行いを強調する。厳密にいえば、依頼を受けたのは熊倉だし、その点では、椚はともかく、丑嶋をうらんでいるほうがまだ納得がいく。しかし、これにかんしては甲児の主観である。彼がどう受け止めるか、それだけが重要なのであり、だからこそ、丑嶋は、彼のくすぶる復讐心に訴えかける表現方法をとっているのだ。
このことを甲児はしばらく黙って聞いている。そして、黙ったまま、丑嶋の薬指を切る。甲児は、詐欺師野郎が、獅子谷道場を脱走したときのようにはいかないという。つまり甲児は、これを嘘だと受け取ったということだ。ということは、言葉通りなら、彼はこの件は知らなかったことになる。だが、うそ臭くても、可能性として甲児の耳に届けることに成功したのは、丑嶋的には収穫かもしれない。
ここでついに丑嶋が金の場所を教える。例のレンタルボックスだ。甲児は約束どおり、一撃で丑嶋を殺すつもりだ。アイスピックみたいなやつをこめかみに立て、トンカチで打ち込む。頭蓋骨粉砕したいけど後始末がたいへんだからって、このひとはそんなことまでやったことあるんだろうか。
だが、丑嶋がそれをとめる。倉庫のドアはスマホアプリであけるものだが、甲児はバールでこじあけるつもりだ。しかし、もしそれが、滑皮がついていったあの倉庫をいっているのだとしたら、そこにはもう金はない。隠し金は、その地下、家庭用核シェルターにあるのだという。鍵は顔認証。核シェルターじゃ、人間のちからでは開けられないだろう(範馬勇次郎はぶっ壊してたけど・・・)。
とりあえず命拾いした丑嶋は、椚といっしょに車の最後部のところに縛られたまま押し込められる。甲児には、奥さんから電話がかかってきている。「鉄也」が熱を出しているから早く帰ってきてと。しかし、いまは大事なところだ。奥さんの顔は描かれないが、この言い方からして、奥さんはやはりそれなりに尊重されている感じのようだ。ふつうに帰りに食パン買ってきてとかいわれてる。運転しているセンダと金髪くんが、ねーさんかなと、話している。ねーさんは本妻を示すらしく、甲児はほかにもたくさん家庭があるらしい。甲児が電話しているときから話している感じで、こそこそしゃべってるのかとおもったら、そうではなく、ふつうに甲児にも聞こえているようだ。名前を言い間違えないように子どもは全部鉄也か徹子で統一しているのだという。金髪くんが「クレージー過ぎ」などというのを甲児はふつうに聞き流している。やっぱり三人は同級生かなにかなのかな。
たほうの柄崎は、戌亥にいわれた山に向かうところだ。手当たりしだい、もっているすべての武具を集めてきた感じだ。切り取られて、ようやくくっついた耳がうずく。とても怖いのである。甲児単体でもじゅうぶん脅威なのに、相手は何人いるかわからないのだ。しかし、車に乗った柄崎は肉蝮に2回も勝っている。車からおりなければ、勝機はある。
柄崎が廃墟に到着したときには、もう誰もいない(車からは降りた)。手に例のライトをもっているが、ほかの武器はすべて背負ったリュックに入れてあるようだ。なんか金属バット的なものも見える。頼りないなァ・・・。
廃墟のなかを徘徊するうちに、古いバスタブに入ったままの篠田の死体を発見する。同時に、指がふたつ落ちているのも見つけ、柄崎はそれが死体のものではないことを確認する。としたら、丑嶋のものかもしれない。持ち帰って冷やしておいたらくっつくはず。社長はそうしてくれた。だが氷がないな・・・。
そこへ車の音。誰かが廃墟にやってきたのだ。
つづく。
この場所を知っているものといえば、柄崎に場所を教えた戌亥か、あるいは、甲児の行動を監視しているであろう滑皮だ。戌亥は柄崎に頼りなさを感じていたようなので、どこかにヘルプを頼んだ可能性も・・・?しかしそんなことをたのめる人物はとりあえず描かれている範囲ではもういない。だとしたら、その両方で、戌亥がなんらかの連絡をして、滑皮を動かしたとかかもしれない。
ごちゃごちゃいろいろと武器を集めてしまう感じはいかにもよくわかる。ただ暴力的な現場に臨んで、丑嶋を救うだけではない。相手は甲児で、柄崎はいちどぼこぼこにされているのだ。
柄崎以外では、今週は甲児づくしの回だった。とりわけ彼の子どもがすべて「鉄也」である点には、なにもかも集約されている。
妻以外にほぼ公式に女がたくさんいて、子どもまでいる、というチェーン展開みたいなことは、金のあるアウトローならけっこうやっていることなのかもしれない。ホストくんに出てきた慶次も、悪くなってからそんなことしてたし、子どもはいないようだったが、ヤクザの甲斐性を示す意味込みで熊倉もやっていた。これらの行為には、じぶんの人生の装飾のような意味が、妻や子にかんして感じ取れた。要は自己表現なのである。金があるということそれじたいは、数字の表現であるから、多寡を論じる以上の意味がない。しかし、それがどのように使われているかという過程を経由すると、印象も変わってくる。ひとつの家族を養っていくだけでもたいへんなのに、この感想を踏まえたうえで、幾人もの愛人を抱えている、という表示は、強い印象を残すだろう。それが男の価値である、という価値観のもとでは、愛人は抱えたぶんだけ彼の甲斐性を示すのである。
甲児はどうだろう。彼は、果たしてそういう意味で、愛人を抱えるのだろうか。鉄也から引き継いだ獅子谷問題を勘定にいれなくても、彼もいちアウトローであることはまちがいないので、そういう感情もないではないだろう。だが、その子どもがすべて「鉄也」であるという執着が、これをよくあるアウトローの自己表現以上のものとしている。このことはセンダも金髪くんも知っているようなので、たぶん親しい知人はみんな知っていることなのだろう。金髪くんはこれをクレージーというが、なんというか、日本語で「狂気」とか「異常」とかいうよりはずっと軽い表現である。「あいつ、闇金ウシジマくんのコミック、保存用とか合わせて毎回十冊以上買ってるんだって」「知ってる、クレージー過ぎ」くらいの感じである。だから、甲児もそれを聞いて怒らないし、たぶんじぶんでもその程度の「クレージー」だと認識している。だが、問題はそこにあるのではない。彼の胸には「獅子谷鉄也」と彫られており、鉄也くらいの大物ならいまでもまだ語り継がれているということはありえないことではないので、彼に鉄也という兄がいたということが知られていたとしても不思議ではない。この、亡くなった兄の名前を、息子につける、ここまではふつうに理解可能だろう。だが甲児は、それを、男女問わず(女の子の場合は徹子と変換して)、すべての血をわけた家族に与えるのである。甲児が兄の死に執着していることに、このことを経て気がつくことは可能だが、センダたちは「間違えないため」という甲児の言い分もまた手にしているので、おそらくそこに考えが至らない。「間違えないため」に、複数いる子どもをぜんぶ同じ名前にする、という行為は、アウトローの自己表現の範疇と考えられる。彼は、すべての愛人にそれなりの生活をさせ、ご機嫌をとり、成立させているが、そこには感情的な愛着のようなものは見られず、モノのように、ただ事物として維持しているだけである、というふるまいは、冷徹な悪漢の表現としてふさわしいのである。だが、むろん、「鉄也」という名前が、甲児にとってその程度の意味しかない、ということはないのである。甲児は、明らかに、「間違えないため」以上の理由があって、こうしたことをしているのである。ただ、たぶんその自覚はない。彼自身、「間違えないため」にそうしていると信じているのだ。
彼が、息子や娘に鉄也の名前を加えるとき、なにが起こっているのか。このことは、椚や丑嶋への拷問を経由するとよりクリアに見えてくるかもしれない。甲児は、椚にしたように、まず指を全部落とし、そののちに腕を切る、そして歯をぬいて耳を削ぎ、最後に鼻を切ると、丑嶋に説明する。しかし、これはなにかおかしい。なぜなら、丑嶋は金の場所を吐いたら殺されることになっているからである。この説明じたいが拷問の一環であるといえばそうだ。人間らしい生活がほぼ不可能になってしまっている椚以上の状態に、じぶんはされると。だが、殺されるとわかっている状態で、果たしてこの説明は意味があるだろうか。椚のような状態にされようが、あるいは指一本で参ったして金の場所を吐こうが、丑嶋は殺されることになっているのである。
この拷問は、丑嶋に金の場所をいわせるために行われている。もうこれ以上苦しみたくない、殺してくれという状態に丑嶋を持ち込むことが目的なのだ。だから、無意味に見えても苦しみを蓄積させることには意味がある。引っかかるのは、彼がそれを説明したことである。とりわけ、彼の拷問は、身体の欠損という方法をとっている。水責めだとか、打撃による暴行だとか、回復可能な暴力ではない。指は、一度おとしたらそれで終わりであり、「手の指を落とす」という拷問は、10回しかできないのである。腕と耳はふたつずつしかなく、歯はいくつあるのか知らん、鼻もひとつしかない。つまり、身体の欠損という拷問方法は、有限なのである。これを、彼は「説明」する。丑嶋は、最後まで我慢したら、椚のようになる。しかし、逆にいえば、彼が椚のようになるまで我慢したら、もう切り取る箇所はなくなるということなのだ。もちろん、現実的にそれはかなり難しいだろう。椚だってなにかをして許されるのなら、なんでもするという状態になっていたはずだ。ここではなしているのは甲児の意識の問題である。椚への拷問の要点は、切断の最中の「苦しみの蓄積」も当然だが、それよりも、その後の生活にある。甲児は、最終的には丑嶋を殺すつもりでいる。だが、無意識に、その拷問を、その後も生き続ける人間に対するものとして行っているのである。
これについては、何度かハムラビ法典のことをとりあげた。「目には目を」という同害報復を表した有名な一節は、それじたいの響きからすると、なにか復讐への決意のようなものが感じられるが、そうではない。これは、復讐を制限するための法律だった。目を奪ったものからは目以上のものを奪ってはいけないとするきまりなのである。なぜなら、相手の目を奪い、気持ちに任せて耳や鼻を奪ったからといって、じぶんの目が復元されるわけではないからである。復讐心は、法で管理されない限り、癒されることがないのだ。
甲児の椚たちへの「復讐」にも、この、「決してもどってはこない兄」が見て取れる。椚が死ぬことも許されない状況にあるのはこのためである。椚は兄を殺した犯人で、ほかにも丑嶋など関与が疑われるものは幾人かいるが、現状、甲児は椚のうえにその復讐を表現している。だから、もし椚を殺して、そこで満足してしまうと、彼は、それを兄が返ってきたものと、もっと抽象的な言い方をすれば、兄と等価のものが帰還したと、解釈したことになってしまう。むろん、甲児にとっての鉄也の命が、椚などの命と交換可能な価値であるわけはない。だからこそ、甲児はこの「復讐」に決着をつけることができない。甲児がもし椚を殺して、それを達成としてしまったら、その瞬間に(甲児のなかでの)兄の価値は決定することになる。復讐は終わり、兄の死はいまを生きる物語ではなく、完結し、一定の解釈が下された歴史のなかに回収される。甲児がそんな世界に満足するはずはないのである。
丑嶋の拷問に際し、甲児は丑嶋に、わざわざ椚を想起させている。そうすることが拷問の一環、おどしなのだとすると、そのとき、丑嶋は椚の姿を思い浮かべ、その後の生活の困難を想像しなくてはならない。しかしこれはおかしい。なぜなら、丑嶋はそのあとに死ぬことになっているからである。また、鼻を切ったじてんで拷問が完了するという言い方も、殺すことが決まっている相手向けではない。甲児にそのつもりはないだろうが、この一連の説明は、明らかに、「その後の生活」がある人間に対して行われるべきものなのだ。そもそも、いまから行う拷問の結果(椚)を示すことじたいが、「苦しみの蓄積」を目的とした場合にはあまりよい手ではない。なぜなら、どうあれ生き残ることは可能だということになってしまうからである。どこまで甲児が約束を守るか、というようなことはとりあえず考えないとしたら、丑嶋は、椚の姿から鼻を落とした状態まで耐えることができたら、とりあえず死なないで済むのであり、椚はそれが不可能ではないということを現実として見せているのだ。これが、身体の欠損という拷問法が有限であるということの意味である。有限の拷問は、終わりがある。そして、終わると同時に、生活の困難という、新しい復讐に、それは切り替わる。これが、兄の価値を保留する。いってみれば、有限の拷問は、無限の拷問を成り立たせるための準備なのである。
さて、こうした具合に、甲児は、殺すつもりである丑嶋にもそうした見方をしてしまっている。兄の死に関与した人間を、復讐の名のもとに殺すことが、兄を尊敬しているぶんできない、というような感じの症状だ。これを補完するのが、子どもたちなのである。子どもたちには、じぶんの血が流れており、ということは兄の血が流れている。甲児は、もどってはこない兄の帰還を、椚を死なせないことで、保留状態にしている。兄は、復元することができない。息子たちに兄の名前をつけても、そして、なにかがうまくいって、兄そっくりの男の子が誕生したとしても、それは兄ではない。だが、慰めにはなるだろう。甲児じしんは、こんなことは考えていないというか、さすがに鉄也の名前をつけたからといってそれが獅子谷鉄也になると考えているわけではないだろう。しかし、そうしてしまう。そうすることによって、わずかにでも、鉄也のいない世界が、鉄也のいた世界に近づく。数学では、1/xで、xを無限大にすると、それは0に等しくなる。いまの世界にかんする甲児の感覚はそんな感じだ。xを兄の価値としたとき、兄がいたころは、この分子のところに兄が存在したので、x/xで、世界の価値は少なくとも1になった。しかし、彼が死んで、分子からはxが消え去り、復讐心のもと価値が保留されているぶん、実質無限大となって、世界の価値は0になっている。子どもたちに鉄也と名づける感覚は、この分子に数字を加えていくような感じだろう。1に1や2をくわえて、2や3にしたところで、数学的には0である。が、気休めにはなる。
丑嶋としては、作中最悪の状況、文字通り絶体絶命であって、とりあえずこの場をなんとか終わらせて、場所を変えたい、状況を動かしたいという気持ちだったろう。丑嶋にはまだ椚が言葉を認識しているという、甲児たちが知らない情報がある。また、どう動くか不明という意味ではトリックスターである柄崎もいる。これらのチャンスに賭けて、決定的な行動をとるほかない。滑皮が本音のところどんなつもりなのかということもはやいところつきとめて、利用したい。だが、現状丑嶋は身動きできず、できることといえば、となりにいる椚とこそこそ話すくらいである。だが、甲児たちは椚が思考できるとはおもっていないし、それを利用してどうにかなるとも想像していないだろう。チャンスはある。
次号は休載です。
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