第459話/ウシジマくん45
また長い休載期間をはさんで、久しぶりにウシジマくんだ。
滑皮ととことんのところまでやりあうことになり、甲児のちからを経由して、ついに丑嶋は滑皮の前にひざをつくことになった。滑皮は丑嶋をヤクザにするつもりである。そのあたりはどうなったかまだわからないが、いっぽうで甲児は甲児で丑嶋をパシるつもりだ。もし丑嶋がヤクザになるのなら、さすがにいまのままの関係というわけにはいかなくなるだろうが、そのあたり甲児がどう考えているのかも不明だ。この滑皮の前に膝をついた件にかんしては、カウカウメンバーが深く関わっている。丑嶋は、その直前に瀕死の柄崎を目撃しており、これが、なにをするかわからない甲児の手元にあった。そういう状況で、急がないと柄崎死ぬんじゃない、みたいなことをいわれて、やむを得ずひざをついたのである。加えて甲児にかんしては、もちろん彼自身も脅威なのだが、高田と小百合の位置を知られているということがあった。滑皮は丑嶋を、じぶんのことしか考えていないと評したが、もしそうであるなら、この窮地はなかったのである。
とはいえ丑嶋のふるまいじたいにちがいはない。今日も新宿でゴスロリの女の子から取り立てだ。ただ、それが、集金袋のまま甲児の手下に渡るところだけがちがう。手下が袋ごとそれを持っていこうとするのを丑嶋が止めて、袋を返せという。100均に売ってる、格子模様みたいのがはいったチャックのやつだろう。手下がそれを放るので、丑嶋は地面からそれを拾っている。屈辱的な場面のはずだが、不思議と丑嶋が悔しがっている様子はない。もしかしてこのひと、甲児を銀行かなんかと捉えているんじゃ・・・。
手下が甲児のもとに金をもっていくが、甲児はそんな細かい金いらないから口座をつくって放り込んでおけという。要するに甲児は、金を求めて丑嶋を掌握しようとしているわけではないのだ。ただの金ではなく、丑嶋の金が必要なのである。もし丑嶋がいちどの回収で数億集めるようならまたはなしは変わってくるだろうが、そうでないうちは、100円だろうと1万円だろうとちがいはないのである。
滑皮のもとには黒河内という一見カタギっぽい男が訪ねており、なにやらややこしいはなしをしている。10年前竹本優希が社長を務めていたサンバービィの吉澤だが、現在はバディムービンという通販サイトを動かしているらしい。吉澤がからんでいるのはたまたまのようだが、ともかくこの会社が事業拡大をするために資金を集めているのだという。そこで10億用意できないかと、黒河内が持ち込んでいるのだ。10億とはまた桁違いだが、滑皮は別に動じない。用意したコーヒーやカレーをやたらとすすめつつ、はなしをすすめる。黒河内の計画としては、まず30億用意して、吉澤にはそれだけの株を発行させる。これを第三者割当増資というらしい。よくわからないのだが、この場合だと、金を出す滑皮が株主となるわけではなく、黒河内という段階を踏んで出資するから、第三者ということになるのだろうか。株を買うには会社のことを知らなければならないが、あいだに信頼のできるものが立てば、会社のことをよく知らなくても投資して利益を引き出せるようになると、こんな理解でよろしいか? ベンチャー企業に多い資金調達法というのは、おそらく、ベンチャー企業はまだ知名度がないから株主を得るのが難しいという背景のことで、そこで黒河内みたいな人脈と影響力のある人間があいだに立って、株主は会社ではなく黒河内の先見性を買うかたちで投資することになるというようなことだろう。
黒河内は、大株主になったところで役員の首をかえて、会社の資金に手を出すところまで計画している。タイミングをみて滑皮には金を返し、さらに株価が暴落する前にぜんぶ売って利益を得る。やっぱりよくわからないが、30億ぶんは会社の資金から頂戴して、ゼロサムの状態になったところで株を売れば丸儲けだと、こういうはなしだろうか。
30億必要なところ10億といっているわけだから、黒河内は別の投資家にもはなしをもっていっている。滑皮が黒河内の名をくちにし、ぎりぎりまで顔を近づけてにらみつける。僕の理解が正しければ、第三者割当増資はあいだに立つ黒河内が信用できなければ成り立たない。裏切ったらどうなるか、ということも含めて、滑皮は黒河内が信用できるかたしかめたのである。
滑皮は黒河内がしっかりビビったのを見届けてから、雁間という部下に電話する。顔は戌亥みたいだが腕にはがっつりイレズミが入っている。しかしかっこうはシシックに近い。デイトレーダーの雁間は、現金ならいますぐ5億、必要なら株などを手仕舞いして40億は集められるという。いやいや、桁間違ってないよね? 黒河内みたいなあやしいやつのはなしに乗らないでこっちでもっと稼いだほうがいいんじゃないの。40億って。
そういうわけで、滑皮はじぶんが30億すべて払うという。最終的に株を売り払ったときの利益を独占するということだ。
この件はすぐ吉澤に伝わる。吉澤と黒河内の関係はよくわからないが、吉澤は緊張している感じだし、敬語なので、顧問の先生みたいな感じなのだろうか。吉澤の横にはCFO(最高財務責任者)の村瀬というおじさんがいて、心配している。黒河内のことを信頼していない様子で、顧問の警察OBに洗ってもらったほうが、などといっているが、敏腕にふるまう黒河内の機嫌を損ねたくない吉澤にはそんなつもりはないのだった。
ちょっと前に滑皮と梶尾の前に立ってタバコを要求した中学生が、いつのまにか見習いみたいな感じでファミリーの一員になっている。トイレ掃除をさせられていたようだが、ひとりごとでだるいといっていたところを梶尾に見られたっぽい。それで、木刀でぼこぼこ殴られて倒れている。梶尾は、上に言われたことに文句があるか、という流れでヤキをいれている。それを、滑皮が優しくとめてタバコをすすめるという、わかりやすいアメとムチである。しかし、梶尾の木刀はだらだら血が流れるくらい強いものなので、あたまがチカチカしているような状況だろうから、そんなふうに俯瞰はできないかもしれない。
デカイ仕事が入ったということで滑皮たちは寿司を食べにいく。チューボウは寿司は食べれないようだ。外で車を見張っていろと。そこへ丑嶋が車で通りかかる。滑皮に用があるのかたまたまなのか、これだけではわからないが、それに気づいたチューボウが、中指を立てて丑嶋を罵る。喧嘩もできない半端ものが道の真ん中走るなと。丑嶋はノーダメージというか、なんだアイツ、くらいの感じだが、柄崎は悔しくて悔しくてしかたないのだった。
つづく。
梶尾もかつては生意気で、滑皮にヤキをいれられたらしい。チューボウへの教育は、その反復だ。梶尾は、じぶんが滑皮にやられたように、チューボウを厳しくあつかう。熊倉は、いまの滑皮のように梶尾に優しく接しただろうか。原理としては、滑皮から梶尾まで、下位のものは上位のものを立て、上位のものは下位のものにとってのかっこいい存在であり続けることで、ヤクザ社会は成り立っていて、げんにそれは受け継がれているのだから、そうであったのだろうとおもわれるが、直観的にはどうしても熊倉がそういう立体的な行動をとっていたとは想像できない。いや、熊倉にもかっこいい時代はあったわけだし、想像できないは嘘だけど、どうもちがう気がする。よくいわれることだが、ふつうの親子関係においても、子はじぶんが親になったときはじめて親の気持ちがわかる。たとえば、勉強にかんしていえば、子がもし勉強の必要性について親に訴えかけてくることがあるとすれば、その原因は勉強不足にあるわけである。勉強が不足しているから、なぜ勉強が必要なのかわからない。そうすると親は、とにかくやりなさいという語り口しか採用できなくなる。情理を尽くして説明すれば、ひょっとするとその誠意を通して意図は伝わるかもしれないが、「勉強」の定義がおのれの理解を絶したことを学ぶということなのであれば、原理的にいってなかなか難しい。かくして親は、とにかく勉強しなさいという口調になる。その意図は、勉強をして大人になったあとにしか身体的には理解できない。この際に求められるのは、大人の側が理解しつくせぬミステリーを常にやどした存在であることだ。この世にはまだまだじぶんの理解をこえたことが満ち満ちているのであり、このひとはそれを体現している、こういう感情を子が覚えることがあれば、「とにかくやりなさい」はそのまま有効な表現になるのである。ヤクザ社会が親子関係を用いているというのはまさしくこのような意味においてである。必要性や利益という視点から関係性を見つめると、これはじつに無駄な動きの多い営みだ。しかしながら、おのれがどれだけのことを知らないかということの自覚と、目の前の大人がどれだけそれを既知で埋め尽くしているのかということの発見からしか「勉強」が発動しないのと同じく、ヤクザ社会では先輩のとらえがたさをかっこよさと読み換えることで、あのかたい絆を生み出していくのである。
ただし、この営みは、いってみれば「自然」なものだった。そういうことに親が自覚的でいなくても、子がある程度のことを学んでいくように、「ヤクザの電灯はそうして受け継がれていく」というような批評的視座を形成せずに受け継がれていった自然な伝統が、おそらく前の時代にはあったのだ。しかし、ヤクザくんで描かれた「世知辛さ」が、おそらくこれを崩してしまう。じっさいの親子関係にかんしては、なにしろ僕は子供がいないし、想像力を駆使するほかないが、時代の進化が早すぎるために、親と子で世界の認識がちがいすぎるということが原因として考えられる。子が親にミステリーを見出すために、親が国立大出である必要はない。ひとは誰でもおのおの異なっているのであり、誰もが、わたしの知らないことを知っている。それをよすがに「勉強」がはじまるのだとすれば、そのシステムさえしっかりしていれば、問題はない。しかし、はやすぎる時代とそれが育む情報化社会が、親の属性を一般化して、子の既知におさめてしまうのかもしれない。むろん、ひとというのはそんな単純なものではないが、ある枠組みのなかに人間を放り込んでかんたんな表現に変換してしまう世界においては、親の無意識のふるまいから新しい意味をくみだすような二次創作的批評眼は生まれようがないのである。
ヤクザ社会の「世知辛さ」は、それまで自然に、普遍闘争を回避するために選択されてきた親子関係の擬制が、制度として相対化されてしまった。シチューとごはんを別々に食べてきたひとが、ごはんにシチューをかけて食べるひとというのが一定数いるということを知ってしまったときみたいに、ふとじぶんたちのありようが機能として、制度として自覚されてしまったのである。そうした時代の「子」が滑皮だった。熊倉が梶尾に優しくしていたか問題で、うまく「優しい熊倉」を想像できないのは、おそらく、もし熊倉が梶尾に優しくしたことがあったのだとしても、それはきっと無自覚な「自然」の営みによるものだったにちがいないからなのだ。たほうで滑皮は、ヤクザ社会とはそういうもの、あるいはそうあるべきだという自覚のもとに、ふるまいが起こされる。これは、彼が「子」であるときからそうだった。彼は、「子」であるときから、すでに親の視点を獲得しており、ヤクザの構造を外部から確認しつつ、「子」であり続けていたにちがいないのである。そうでなければ、この世知辛い時代に「かっこいい兄貴」であることをあれほど自覚的に持続させることはできないだろう。とりわけ滑皮のばあいはシシックという、ヤクザを相対化する直接の組織が身近にあった。いったい、ヤクザとはなんなのか、どうすればこの仕組みは持続していくかと、こういうことを考えさせる環境に、彼は最初からいたのである。
よっちゃんが無防備にからんでいることが予感させるように、黒河内はたぶん信用できない。少なくとも、あんなふうに脅かすくらいだから、滑皮も少しは疑っている。仮に黒河内が完璧な善人だとしても、30億というのはちょっとそうかんたんに決断していい額ではない。いったい、滑皮はなぜこんな誘いにのったのだろう。だいたい、雁間というおそろしいやり手が部下にいるのである。いますぐということであれば40億くらいなら用意できるというようなことをあっさりいってのける男だ。たんに金を稼ぐだけならそちら方面でがんばればいいはなしではないだろうか。やっぱりヤクザだから、どうしても悪い方向でがんばらないといけない、みたいなしばりが、心理的にあるのだろうか。
ひとつには、寿司を食いにいくくらいだから、株を売ったあとに得られる額というのが、僕の想像をはるかに超えたものなのかもしれないということがある。いますぐ40億手に入る男がお祝いするくらいなのだから、たんじゅんにそれを超える大金が入るのかもしれないのだ。
そしてもうひとつ、黒河内があやしくてもあやしくなくても、それをじぶんは手の内におさめるという思考法が、ヤクザにはありうるということが考えられる。あやしいからのらない、信用できるからのる、というのは、まだふつうの感性である。しかし、ヤクザとしてのすごみは、そういうことも無効にしてしまう。滑皮が、裏切ればほんとうにたいへんなことになるということがわかれば、黒河内だってそう危ないことはしなくなるかもしれない。そして、おもえばこれは丑嶋も同じだ。丑嶋の弱みを(甲児を経由して)握って、ひざをつかせても、彼が信用できる男になったわけではない。いつ寝首をかかれるかわからない状況に、滑皮はみずから持ち込んだととらえることも可能なのである。丑嶋にはそれだけの頭と胆力がある。しかし、これは滑皮にとってヤクザを極めるためには必要なことだった(と僕は考えた)。ヤクザ間を行き来する語法は基本的にダブルバインドだ。ふたつ以上の矛盾する命令が、それぞれ逆らえないものとして同時に迫ってくるのが、滑皮の属する世界なのである。そして、丑嶋は熊倉殺しの犯人である。だから、親殺しを身内として引き受けるという究極の矛盾を理屈のうえで達成したとき、滑皮はヤクザを極めることになる。なぜなら、それ以上の矛盾は考えられないからである。
こういう経緯が滑皮にはある。だから、黒河内がものすごくあやしいとしても、それを握りつぶして利益にかえてしまうほどの迫力が、丑嶋を手に入れたあとの滑皮には宿るにちがいないのである。だから、これは、滑皮にそうした矛盾を引き受ける作法が身についているというより、一種の確認である。「微妙にあやしい黒河内の誘いにのる」ことが「親殺しを身内として引き受ける」ことを、矛盾という点で超えることはないのである。
甲児にかんしては相変わらず描写が単発的すぎて、なかなか深まらないが、それでも今回のセリフからは、彼が丑嶋の金ではなく丑嶋そのものを求めていたことがはっきりわかる。彼は、丑嶋がいったとおり回収した金をもってくればそれでいい。いちいち確認もしない。そして、その「いちいち確認しない」という動作を通して、丑嶋の仕事をいかにも小さなものと評価しているようなところもある。これは、滑皮との関係性においての自己評価を上げるためだろうか。滑皮が買っている丑嶋が、いちいち確認するほどでもない金額しかもってこないような小さな器の男であれば、自然とじぶんの価値は増していくことになる。そんなせこいはなしでもないだろうが、やはり対滑皮、そして対兄ということにかんして、なにかこう、丑嶋と露骨に張り合っている感じはする。
集金袋のくだりは、1円もオマケすることのない丑嶋であるから、自然といえば自然だが、もうひとつ、丑嶋の現状のとらえかたが、甲児や滑皮、また柄崎とは、少しちがうのではないか、ということも考えさせる。あの場面で、丑嶋は甲児と滑皮が重なり合ったようなものに搾取されている。奪われているのだ。しかし、もしこれを、「預けている」と解釈するとどうだろう。危ないお金は現金にして手の届くところに置いているものかもしれないが、たんじゅんに、わたしたちが銀行に預金するような感覚でいるとしたら、別に腹立たしい気持ちにはならない。というのは、銀行に預けたお金は、必要なときに下ろせるからである。そして、銀行やATMが集金袋までもっていくということはないのである。たんに、そういう心積もりでいることがメンタル面に効果的だからそうするのか、それともなにか考えがあって、つまり「下ろそうとおもえば下ろせる」という確信があってそういう思考法でいるのか、そこのところはわからないが、チューボウをみたときの落ち着きも含めて、なにか考えがあるのではないかとおもわせるのである。
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