第194話/送る
近代格闘技対戦場格闘技の最高峰どうしのたたかいといえたバキ対武蔵だったが、その結末は、宮本武蔵を現世に呼び出した徳川寒子による魂の抜き取りだったのである。
どういう作戦だったのか、東京ドームの外には警察がたくさんきている。警視正・日野豊一に警視の馬渕尚が報告している。馬渕も直接みたわけではなく、潜入していたものからきいたことなのだが、「色々あって、魂が抜けた」と。その言葉の意味それじたいを、日野は追及しないが、とりあえず集めた1000人をどうするといっている。観戦していたものからすれば、じっさいに魂が抜けるところを目撃しつつも、そういっても信じてもらえないだろうという意識も同時に働き、やっぱりこういう言い方になりそうな気がする。で、日野は日野で、ありえないこと続きで、ありえないとかそういう言い方では物事を受け止められない気分でいるのかも。
事切れた武蔵をバキと寒子、それに光成が囲んで座っている。まだ観客も残っていて、状況を見守っている感じだ。
バキが寒子に「ご面倒かけました」といっている。光成も特にことばはないようだし、やはりバキが光成を通して寒子を呼び出して事情を説明し、今回の戦略を練ったのだろう。
寒子は険しい表情を崩さずに、思慮がたらないという。宮本武蔵を“降ろす”となったとき、なにが起こってなにが起こらないか、大体のことはわかったはずである。しかし思いとどまることができなかった。キングコングのイメージが描かれるが、そのような怪物を街に放てばどうなるか、わかっていたのに、好奇心から止まれなかった。万死に価する所行だと、寒子はいう。誰のはなしかというと、もちろん降ろしたじぶんもだが、“出来損ない”、弟の光成も、というはなしである。寒子のはなしを聴いている光成は汗だくになっている。あの光成も、姉にはあたまが上がらないようだ。
バキがそこに付け加える。おそれつつも期待し、挑発したのは、武蔵のちからを確認せずにはいられなかったからである。その剣、威力、冴え、そして残虐非道振りすらも。武蔵に、彼が宮本武蔵であることをくりかえしつきつけ続け、事態を悪化させたのは、こういう意味ではたしかにバキたちなのであって、光成たちと同罪なのである。彼らが強く、おもしろい存在であったからこそ、武蔵はやる気を持続させていたのだし、仮にこの世がなんにもおもしろみのない、強さにひとかけらの価値も見出さない世界で、ありとあらゆる格闘技術が消滅してしまった未来の世界だったら、武蔵もあんなふうにはふるまわなかったにちがいないのだ。
「この国家はこの国らしく振る舞い
武蔵さんは武蔵さんらしく振る舞うしかなかった」
武蔵をのせたタンカを、バキと独歩、ジャックと渋川剛気が運ぶ。ジャックと渋川が後ろ側で並んでいるのだが、身長差がすごいのでジャックがものすごい傾いている。独歩と渋川はそれぞれ武蔵と模擬戦的なことをしているが、ジャックは武蔵とは面識ないのだから、ここは烈のかわりに郭がもてば・・・とおもったが、会場でいちばんお年寄りのえらいひとがタンカ運ぶのもなんかちがうか。でもじゃあせめて花山つながりの柴千春にすれば・・・。
光成がマイクをもって、合掌している観客たちに向けて話す。
「皆の衆
これは『野辺送り』ではなく
最強の剣豪 稀代の大先輩の出発
合掌ではなく
胸をそびやかす
『兵士』への見送り
『不動の姿勢』で臨まれたい」
タンカがオリバたちが胸をはって不動の姿勢で立つあいだを抜けていく。救急車にのせられた武蔵の身体は、その始まりの地、スカイツリーに向かうのだった。
つづく。
ほんとうにこれで武蔵篇は終わりなのか、というところで、まだもう少し動きがあるようだ。
光成が大金を動かせるばっかりに、軽はずみな思いつきで武蔵をよみがえらせてしまい、混乱を呼び込んだことはまちがいない。たしかに、彼と親しい、バキをはじめとしたファイターたちはそれを喜んだのだが、と同時に、彼らは烈を死なせ、多くの警官を死なせることになった。不死身の花山薫でさえ、いまどうしているのか、片目を失うことになったのだ。こうしたことが作中で指摘されるというのはなかなか新鮮である。そもそも、わがままを通すという点でいえば光成より強いものは数え切れないほどいたわけだが、この国で、彼らがそれなりの価値を抱えて生きていけるのは、光成が彼らを保護し、格闘技術の保存に努め、最大トーナメントをはじめとしたプロジェクトに積極的でいたからであり、その意味でいえば、最強者は光成だった。であるからこそ、光成が思いつきで武蔵をよみがえらせたことにかんしては、ちょうど天災を神の意志と解釈しつつも神を責めるものがいないように、誰もがノーコメントでしかいられないようなところがあったのである。しかし、寒子がいた。寒子のシャーマン的なパワーがなければ武蔵降臨も成り立たなかった、という点でもそうだし、姉である彼女は、光成を「出来損ない」などと評価できる唯一の人間だったのである。
こうした視点で思い返してみると、武蔵篇最大の収穫は、「斬り登ることの難しさ」だったとおもわれる。剣を使うにしても拳を使うにしても、暴力的な行為で社会的な価値を拡大することは可能なのかという問題だった。いままとめてしまったが、厳密にいえば、拳と刀は異なっている。素人が渾身のちからをこめて同じ体格のものを殴っても、それが死にまで届くということはほとんどないが、刀はそうではない。ちからのない幼児にもたせて、バランスを崩したところに寝転がっていれば、彼は死亡する。刀とはそういうものだった。しかし、たとえば勇次郎レベルの打撃が刀に劣るものかというと、もちろんそんなことはない。ちがいは、加減ができるということである。刀にも峰打ち等の技術はあるはずだが、それは加減の段階というより、別の技術だろう。拳だと危ないから掌底を使う、というようなことだ。
武蔵は、警察の特殊部隊を圧倒し、その反対概念であるヤクザ最強の男も倒すことで、実質的にこの国の治安を司るものをすべて掌握した。武蔵が罪を犯しても、もはやそれをとがめ、罰することの出来る機関はなくなってしまったのである。今回警察は1000人という、前回の10倍の数を用意していたわけだが、これは彼らが治安というレベルでは武蔵を抑えきれないということを自覚していることを示す。というのは、もしこれで1000人が負けてしまったら、10000万人を用意しなければならなくなる。むろんこのことは、武蔵が負けない限り、国家が消滅するまで続いていく。ある方法でダメだったから別の方法で対応する、のではなく、ただ、ダメだったその方法の量的拡大で対応しようとしているのであるから、もし二度目の挑戦である今回が失敗すれば、帰納的に彼らは滅亡したも同然ということになるのである。それだけの賭けになるのだ。
そうして武蔵は国の治安を無効化したが、それは実のところ、彼の周辺においてだけである。武蔵がないか悪いことをしてもそれをとがめる(ことのできる)ものがいなくなったというだけのことで、彼が悪人、犯罪者ではなくなったわけではない。もし武蔵がここで政治力を発揮し、彼の方針賛同する優秀なものたちを集まることに成功して、それこそ「国家」をつくってしまったら、またはなしはかわってくる。日本は別の国になり、武蔵のありようが規範となって、彼の行為は犯罪ではなくなる。ルソーによれば、戦争とは、相手国の憲法を書き換えようとする動きのことだ。その点でいえば、国家と武蔵の争いは、互いのありようにおける規範を変えようとする点で戦争だった。しかし、武蔵には別に新しい国家をつくろうとか、日本を植民地化しようとか、そんなつもりはない。ただ、とがめるのをやめさせようとしていただけである。その点で、生身の彼はどうしても規模で国より劣ることになる。「斬り登る」ためには、彼のありかたを評価する基準と文脈が必要だったが、それはもう存在していなかった。だから、武蔵が「斬り登る」のふるまいを続けることを止めるものはいなくなったし、花山戦後に見送りがあったように、それらしいふるまいを周囲がとることはたしかにあったが、それは武蔵の行為を評価する土台が完成したからではなかったのだ。ただ、彼らはそうするしかなかったから、そうしているだけなのである。
しかしそのいっぽうで、バキや勇次郎はその存在価値をしっかり保持している。最初にみたように、彼らでは使う武器が異なる。拳は加減できるが、刀による勝負は必ずどちらかの死か再起不能に至るのである。だが、それはたとえば勇次郎でも同じことではないだろうか。勇次郎も、これまでその拳で数え切れないひとびとを殺してきたのだ。しかるに、一般社会ではともかく、各国の要人間では勇次郎の名前は共有され、世界のパワーバランスを担う存在として認められてきたのである。武蔵が勇次郎のような立ち位置を得ることはできなかったのだろうか。最近はけっこう勇次郎も丸くなってきて、カタギのもの(非格闘家)には手を出さない感じがあるが、バキシリーズ最初期のころの勇次郎はなかなかとがっていて、ボクシングジムを襲って、そこまで強者ともおもえないものを殺戮しまくっていた。いったい、勇次郎と武蔵のなにがちがうというのだろう。
こういうところで、前回考えた、彼が存在していることの不自然さが出てくる。宮本武蔵はすでに完結した生である。歴史に煉りこまれた、現在に至る過程のいち要素であって、武蔵に限らず、過去のどのような人物・事象も、それを欠いてしまうと現在に必ず影響を及ぼすという、タイムトラベル的映画に頻出する展開と同じく、彼の存在は現在につながっているのである。それがとりわけ格闘技術ということになれば、関連づけは容易である。武蔵が400年くらい前に武術的達成をなしとげ、明治維新を経てサムライが消滅し、格闘技に関する価値観が変容していった先に、バキに代表される近代格闘技のありようは存在する。重要なのは、武蔵の生が完結しているということだ。武蔵が死んで、もう存在しないということが、現在のバキをかたちづくるのである。だから、当然、個人の価値観のちがいという以前に、バキたちと武蔵はかみあわない。バキのありようは、原理的にいって、「武蔵の死」をすでに含んでいるものだからである。その矛盾、というか不自然さが、彼らの齟齬を呼び出していたのだ。
そして、その武蔵を呼び込んだのが光成であり、実行したのが寒子である。武蔵が勇次郎やバキと異なる点があるとすれば、これだけだ。武蔵は、光成の恣意と、寒子の超現実的な技術で呼び出されたのだ。
この徳川の姉弟は、ふたつの点で歴史を超越している。ひとつはむろんお金である。ふつうのひとは、ちょっと思いついたくらいで、クローンを創造することなどできない。そしてクローン作製は、同時に現世の倫理、ひいては自己同一性までも超越することになった。そして寒子は、死を無効にした。厳密にいえば、ひとが「復活」するためには、魂を呼び出すだけではなく、そのいれものも復元する必要があるので、この点はクローン作製とひとくくりである。クローンがつくれるだけの莫大な資産があって、さらに魂を呼び込める技術が重なることで、彼らは死を超えてしまったのだ。たぶん寒子にはその自覚はあるとおもわれる。今回はほかならぬ“武蔵を”よみがえらせたことが問題だったとして取り上げられているが、そうではない。もしたんに“強者としての武蔵を”よみがえらせたことが問題なのだとしたら、いまこの瞬間に存在している勇次郎やバキやピクルも問題であることになる。しかし彼らは別に誰かに「いちゃいけない」といわれて命を狙われたりしていない(勇次郎はわからんが)。そうではなく、問題は、資金と霊的技術という徳川のふたりの合作として、武蔵だろうと誰であろうと、特定の個人を、生死を越えて、ということは歴史を無視してよみがえらせるという行為だったのである。これは、考えてみれば、ただクローンをつくる、つまり、かつて存在しなかった人物をつくるということよりよほど罪深い。
バキのいっている罪にかんしていえば、じっさいには彼らどうしでも同じことが行われてきた。勇次郎やバキを見て興奮しないファイターはいないし、準備さえ整えば、挑戦したいともおもうだろう。そういう他者からの興味の干渉が、彼らを互いに活性化し、さらに強い暴力を育てていったところは、たしかにある。勇次郎以外の全ファイターが存在しない世界で、勇次郎があそこまで強くなることはありえなかったのである。ただ、それは自然の過程ともいえる。突然変異的な強さの勇次郎ではあるが、その強さの源は「既知」の広さにある。全知全能とは神のことだが、それは、ある既知の及ぶ範囲が全知であるかどうかを指摘できるのは神だけだということでもある。したがって、神でない以上、勇次郎には未知がありえた。それが、彼に、外部世界から輸入した技である虎王をきめさせ、味噌汁をつくる過程での不如意に敗北を見出させたのである。神レベルの視点から見れば、勇次郎でさえも、既知の要素の集合として、自然のなかに回収することが可能なのである。ところが、徳川のふたりはそれを超えてしまった。神の仕事に手を出してしまったのだ。
このことが、国家と武蔵、たがいにすべきことをしながら、誰も幸福にならない悲劇を呼び込む。そういうことの直観がバキにはあり、なんとか武蔵をこの世から抹消しようと考えることになった。しかしバキのありようは近代格闘技のものである。だから、武蔵を葬ることができない。武蔵は戦国の流儀で相手が死ぬまで攻撃を続けるが、その喧嘩を買うことはできないのだ。そうすると、バキは近代格闘技の流儀からはずれることになるが、それは、当の武蔵じしんを含む歴史の展開をも否定することになるからである。バキが、武蔵流に武蔵の命を奪って、それが正義になってしまうことは、バキとしても避けたいのである。こういう言い方をしてみれば、それはたしかにそうだ。そうやって相手の命を奪うことを是とするありかたを否定するのに相手の命を奪っていては、原理のレベルで意味がないからである。そうして、神の仕事を行う結果となったふたりのことが思い出されたのだ。武蔵の身体がスカイツリーにもどっていくのも、なにもかももとに戻す、という意図からかもしれない。案外このまま心臓マッサージとかしたら、ふつうに記憶のない武蔵が生き返ったりしそうだけど、ともあれ、過去に完結した「あの宮本武蔵」は、不自然な存在として抹消されるべきだったのである。
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