第457話/ウシジマくん43
ついに滑皮に金を奪われ、表面上は膝をついて屈服のみぶりをとることになった丑嶋。とりあえず滑皮は去っていったが、まだ柄崎が人質にとられたままだ。約束通り連絡をとり、丑嶋は獅子谷甲児の指示する場所にやってきたのだった。
前回はひとりみたいにみえたが、いつのまにかひとが増えて4人になっている。それから、靴をなめろといっていたのが今回は土下座して命乞いに変わっている。こういうことって週刊連載の作品だとよくあるけど(バキでよくある。前の週と言葉遣いや順番が変わっていたり)、要するに滑皮同様、屈服のジェスチャーをとれ、ということである。
丑嶋は黙っているが、浮かない表情にもみえる。これは、土下座をする気なのかもしれない。丑嶋がひとりでいるだけなら、どうとでもなる。甲児軍団はマッチョマンばかりでどうもとろそうな感じだ。ハブ一味を一掃する胆力がある丑嶋なら、倒せないまでも逃げることは難しくないだろう。しかし、彼は社長である。すぐ横には柄崎が瀕死の状態で倒れていて、それよりもずっと弱い高田と小百合の居場所も割れている。丑嶋じしんの自尊心は、考えてみればよくわからないのだが、勘定ができる人間であるぶん、こういうところはあきらめも早い可能性がある。
だが、それを柄崎が制する。たぶん、社長が迷っている、土下座しそうだということに気がついたのだろう。俺のために土下座なんてやめてくださいと、このようにいう。この言い方からしても、丑嶋が柄崎のために本気で土下座しそうであるということが、柄崎にはわかったのである。そういう男だから、柄崎も人間として社長が好きになっちゃうんだよね。
三蔵をつぶした日から一生丑嶋についていくと決めたと柄崎は語る。社長だけは誰にもあたまを下げてはいけないと。これは柄崎の主観である。柄崎にとって丑嶋がそういう人物だから、それをしないでくれというはなしだ。つまり、これもまた柄崎のわがままでもある。と同時に、それは柄崎にとっての使命でもある。結果的には足を引っ張っているが、柄崎は「誰にもあたまを下げない社長」を保持することで、じぶんじしんを保持してもいるのである。もしそれがじぶんのための行動であるなら、社長はあたまを下げるべきではないし、じぶんのための行動でないのなら、丑嶋への感情はこのようなかたちになっていなかった。とすれば、柄崎の主観では、社長が誰かにあたまを下げるというイメージじたいが成立不可能なのである。
柄崎の眉間のあたりに甲児の拳が飛ぶ。ごちゃごちゃうるせーぞというのだが、そのあと、「滑皮さんに泣き入れて犬扱いされてる下っ端だろが」と甲児は付け加える。かつて鼓舞羅が柄崎を金魚のフンみたいに呼んでいたことがあたまをよぎったせいだろうか、このセリフは少し違和感が残る。ここで甲児は、柄崎じしんを批判してはいないのである。ごちゃごちゃうるさい柄崎に、お前がそこまでして守ろうとする社長像は、こんなものなんだぞと、こういう言い方をしているわけである。
柄崎のことばを受けて考えを決めたのかもしれない。丑嶋は立ち上がって、柄崎を病院に連れて行くからどけという。その丑嶋のあたまを抱きこんで甲児の膝蹴りだ。また眉間のあたりを狙った攻撃で、このときメガネが割れてしまったようだ。
さらに甲児は土下座を要求する。というか、ぶっ倒れている社長はすでに土下座みたいな姿勢になっているが、丑嶋はその気はない。甲児は、なんだろう、なにかの突っ張り棒的なものをつかんで、ここで殺すと脅すが、丑嶋はやれとしかいわない。甲児はそれをかなりの力で地面に叩きつける。丑嶋の顎の先の地面を割った感じだ。僕とかだったら当てる気がなくてもうっかり当てちゃいそうな隙間に見事に差し込んだ感じだが、甲児はミスったわけではない。滑皮に殺すなといわれているのだ。甲児は、利用価値のある財布野郎だから、というが、どうだろう、ここのぶぶんは甲児の解釈込みかもしれない。丑嶋も、滑皮がじぶんをどうおもっているか知っているので、殺されないということはわかっていたようだ。
しかし甲児は危険な男である。あんまり煽りすぎると、滑皮が上にいるとはいっても、なにをするかわかったものではない。が、丑嶋はこの状況でもまだディスる。甲児は、「(滑皮から)頼まれた」というが、それを「飼い主からの命令」だろという。しかし、甲児はそのあたりにはとりあわない。以前から、じぶんが滑皮に屈服したという件に関与したディスにはどうもつきあわない印象があるが、どうしたものだろう。
滑皮から許可がおりたとしても、甲児はすぐには丑嶋を殺さないという。指を一本ずつ切って、両手両足を切ってダルマにすると。これは、要するに両手を落とされた椚以上の拷問を行うということだ。たしかに丑嶋は兄の死に深く関与していて、しかもアウトロー的にはかなりムカつく部類の人間かもしれない。しかし、兄を殺そうと決意し、しかも実行したのはたしかに椚であり、それ以上の罪が丑嶋にあるとはちょっとおもえない。いったいなにがそこまで甲児にさせるのだろう。
そして、なぜだかやたら落ち着いた甲児は、一個謎があると、去りつつある丑嶋に訊ねる。ヤクザくんのあと、丑嶋たちは沖縄‐台湾への逃亡を成功させている。それがなぜ戻ってきたのかと。直接には、戌亥がほとぼりが冷めたといったからなのだが、冷めても冷めなくても危険な街にはちがいない。きっかけにはなっても理由にはならないだろう。たしかにそこは疑問だ。
「あ?テメエ等には吐き気がするが、
この街が気に入ってるからに決まってるだろ?」
これを受けて甲児は、「頭に虫でも湧いてるのか?」と、音便なしのいやに堅苦しい言い方をしてしまうのだった。「頭に虫でも湧いてるのですか?」としたらまるっきり神堂のセリフである。
とりあえずは解放されて、ふたりは車に乗り込んだ。耳を切られた柄崎は、これでは社長からもらったサングラスがかけられないと自嘲気味にいう。が、丑嶋は、運がよければかけられるという。甲児がたわむれにパスしてきた柄崎の耳、これを、丑嶋が保管しているのだ。滑皮たちと別れてさっきのビルに行くまでのあいだにコンビニと薬局に行き、消毒して氷につけておいたのである。なにかに感染していなければ8時間は細胞が生きているらしい。柄崎も泣いちゃうよね。
いずれにせよこれから病院にいくわけで、どうみても暴行事件なので通報される。その想定問答をしておこうというはなしだが、もういっそそのままほんとうのことをいって逮捕してもらおうか、などと柄崎はいう。それも悪くはないかもしれないが、そんな程度の事件ではすぐ出てきてしまうと社長はいう。そうでなくても、高田や小百合が心配だ。甲児が出所しなくても彼には仲間が大勢いる。それこそ、滑皮がいうようにじぶんのことしか考えていない人間だったらそれでもいいのだろうけど、じっさいには消極的にならざるを得ないのである。
この先どうなるのかという柄崎に、丑嶋は沈黙し、いまはからだを治すことに集中しろという。このとき丑嶋のメガネが復活している・・・!メガネは社長のいちぶだから自然治癒したのだろうか?!
それからしばらくたった感じだ。とりあえず耳はまだ治療中だが、ふたりともふつうに歩けるようにはなったっぽい。久々の菊地千代への取立てだ。菊地千代は、柄崎が入院して再起不能になったと聞かされていたらしい。柄崎はふつうに鳶田みたいな反応をしているが、しかし、これは誰に聞いたのだろう。千代は別にアウトローな人間ではない。風の噂で聞いた、というような立ち位置ではないはずだ。とすると、どういうつながりか不明だが、例の鳶田が、言って回っているのかもしれない。千代の柄崎をみる目つきはなんだか険しい。ビビッている様子がないのである。こんなふうにして丑嶋伝説にヒビが入っていって、仕事が難しくなっていくのかもしれない。
千代は利息分すら払う気がない。というのは、娘の文香が、カウカウがオーナーのデリヘルで働いて返済しているからである。とりあえず金は出てきたが、柄崎をなめきっている千代は舌を出して「地獄に落ちろ」と悪態をつく。
いっしょにいた丑嶋のところには獅子谷甲児から一日中電話がかかってきているのだった。
つづく。
文香はカウカウが裏のオーナーである店で働いているが、店長の言い方では、店長じしんが道でスカウトしたような感じだった。文香は家出していて、しかも未成年だったから、携帯や住居の契約ができないので、そこのあたりをフォローしつつ、もらうものはもらっていると。しかしそうなると、文香がカウカウの店にやってきたのはたまたまということになる。だいたい、菊地千代とは逃亡前の2年前から関係があったが(苅べーがその間かわりに取り立てしていた)、2年前というと文香は15歳だ。店長の言い方からしても、文香が入ったのはつい最近で、丑嶋たちは東京にもどって取り立てを再開してから文香のはなしをはじめて聞いたという感じがする。そうだとすると、文香が返済しているのは当初はじぶんの借金だったことになるが、現在はそこに母親の借金も加わっていることになるだろうか。あるいは、あの文香が、この千代の娘だということを知って、千代が返せないとき文香から回収したことがあるという過去の事実を、千代が拡大解釈しているだけかもしれない。文香の弟の辰也は明らかに最終章ウシジマくんの最後のカードなので、ここで千代が登場してきたことには物語の終わりを予感せずにはいられないが、いずれにしてもカウカウ的にはようやく本業ができるようになったというところだ。
ここまでカウカウが追い詰められると、ほんとう、加納がいたらとか、マサルがいたらとか、どうしても考えてしまうが(高田と小百合は地元に避難でいいけど)、今後は新しく従業員をいれることもなくふたりでまわすつもりなのだろうか。丑嶋はまったくひとを信用しないので、カウカウはタメ年の親友である柄崎と加納を中心にしてまわってきたし、小百合は竹本のお墨付き、高田は女の債務者専門のイケメンをカウカウが必要としたという事情に社長のひとを見る目が加わった感じだった。マサルはかなり衝動的にカウカウに入社したが、結果的には小丑嶋みたいな社員が完成して、裏切りを内に含みつつも信用で駆動する、危ういが堅固なあのスタイルが作り上げられたのである。しかし、マサルを最後にカウカウには新入社員がいない。それだけ「かえのきかない社員」を見つけるのは難しいのである。また、基幹となっていた3人がタメで、残りの三人はややゲスト的なあつかいだったことも重要だ。柄崎と加納は社長に敬語だったが、これはおそらく自発的なもので、カウカウの上下関係を明らかにする、というような種類のふるまいではなかった。本質的には対等なのが彼らの関係で、そこに丑嶋の社長という役職が、彼に責任感を強いたのがあの関係性なのである。社長だから、社員を守るために単独で行動に出ることもあるし、秘密もある。しかしそれは柄崎たちを信頼していないからではなく、社長という役職をまっとうするためだった。そしてそれが、柄崎の「最強の柄崎」を呼び込む。柄崎は丑嶋を尊敬しているから、その関係性は敬語をはさんだ擬似的な上下関係になるが、あくまで柄崎の動機が丑嶋の「社長」としてのふるまいに応えたものであるという点で、これはやはりコミュニケーションなのであり、両者は対等なのだ。丑嶋が「社長」としてのふるまいをまっとうするからこそ、そこに敬意が生じるのであり、そのことが、柄崎を柄崎たらしめるのである。
依然として甲児の滑皮への感情がわからない、という意味では、なにもかも保留しなければならない感じだが、それでも、今回もなかなか引っかかる描写が多かった。まずやはり柄崎を殴ったくだりである。甲児は丑嶋に土下座を要求し、丑嶋がそれに迷っているとき、柄崎がくちをはさむ、という展開なわけだが、これにキレるとしたら、鼓舞羅のように「金魚のフンはだまってろ」的な言い方になりそうな気がするのである。しかしそうはならず、甲児は柄崎の言を聞き届けたうえで、お前の尊敬している男は犬だといっているのである。要は、この男はそのようなかたちで敬意を寄せるべきものではないと、こういっているのである。そんなのは柄崎の勝手なわけで、この描写の柄崎を女の子に変えてみればわかりやすい(冗談ではありません)。土下座しないとその女を殺す、とかいわれている状況で、丑嶋がためらっているとき、わたしのためにやめて、というようなことを女の子がいったとすると、ここで甲児は、女をぶっ飛ばし、ヤクザに犬扱いされてる下っ端だぞと、こういっていることになるわけである。ふつうは、お前は黙ってろ、殺すぞ、でおしまいだ。つまり甲児は、どのようなかたちであれ、丑嶋に対して敬意なり好意なり、よい感情が向けられている状況そのものが認められないのである。
甲児じしん滑皮に取り込まれている以上、滑皮にかんする丑嶋についての批判はすべてじぶんに返ってくるものだ。丑嶋がヤクザにやるよういわれていることを甲児は知っているのか等、不確定なことが多いのでなんともいえないぶぶんもあるのだが、甲児の丑嶋についての言は、すべてじしんのありように関する自己批評であるととらえてもそうまちがってはいないだろう。甲児は滑皮に対してかなり抵抗したようで、最終的には血を流しているようである。ひょっとするとこのことが、最小限のダメージでその場その場を突破する丑嶋に比べて、甲児のセルフイメージを強いものにしている可能性もある。しかし、それは丑嶋にとってもそうである。丑嶋が滑皮を甲児の飼い主と呼ぶのは、丑嶋じしんは決して滑皮には屈服したつもりはないからである。どんな事情があるのか、甲児はいちおう表面上、滑皮に屈服したようになっている。その事実は、丑嶋にとっても、犬と飼い主の関係性なのである。
整理するとこうである。表面に起こっている物理的な現象だけを取り出せば、両者はともに滑皮の前に膝をついている。しかしその出来事の解釈がちがう。甲児は、くちではそういっているということだが、滑皮は、じぶんが屈服するにあたいする大物なので、このような状況になるのは必然である、それを犬とか飼い主とかいう呼び方で呼ぶのは自由だが、じぶんはそれを理不尽だとは感じていないと、そんなところだ。たほうで丑嶋は、ぜんぜん納得していないし、滑皮を大物ともおもわないが、柄崎などの枷があるから、膝を折らないわけにはいかない、だからその身振りをとるのであり、じぶんにとっては依然として腐れ外道であると、こういうふうな感じなのである。しかし、いま整理してみおもったことだが、もし滑皮が、甲児がいうように、じぶんが屈服するにたる大人物であるのなら、丑嶋が屈服したとしても、それは別に恥ずかしいことではないはずだし、馬鹿にされるようなことでもないはずである。どのような感情が潜っているのであれ、滑皮に泣きを入れることがそんなにダサいことであるのなら、甲児もまたそのそしりを免れないはずなのである。そのときのスピリッツがもうないので確認できないが、滑皮が大物であることを甲児を語った場面、甲児は、そのようにしてじぶんの屈服を正当化しはしたが、じぶんの屈服と丑嶋の屈服がちがうものであるという解釈はされていなかったように記憶している。だから、甲児の丑嶋への言は、やはりすべて彼自身に返っていくものとなるのである。
これについてはいくつかの解釈が可能だ。ひとつは、以前も書いたことだが、滑皮と丑嶋の関係性とはまた別に、甲児は、じぶんと丑嶋との関係性を別に構築しようとしているというものである。今回は金のはなしはなかったが、滑皮を通さずにカウカウから金を奪おうとするのは、やっぱり滑皮が許さないだろう。しかし「許さない」の回路にじぶんは含まれていないと解釈できれば、これは可能である。これは、今回でいうと「頼まれた」云々のやりとりからもわかる。甲児は決して滑皮→獅子谷→丑嶋という搾取の構造に組み込まれたわけではない。滑皮は丑嶋から搾取するが、同時にじぶんも丑嶋から搾取することができると、少なくともこの手の発言をすることで、彼は精神的に飼い犬であることから逃れることができる。滑皮はそうは考えないだろうが、そもそも滑皮がどう考えるかお伺いを立てたうえでじしんの考えを構築するというやりかたじたいが、すでに滑皮に取り込まれたものなのである。だから、甲児は丑嶋を搾取すると宣言するときだけ、できるできないは別にして、滑皮を頂点にした搾取の構造から逃れることができる。
そして、今回考えられたことだが、これが一種の自虐だということである。丑嶋へ下す甲児の批判は、実はすべて彼自身が無意識に彼に向けている批判なのである。甲児には精神的なよりどころとして兄がいる。厳密には、兄と甲児では会社の運営のしかたはかなりちがうようである。これは、おそらく椚の反乱含めて学習した結果だろう。だがそれでも、兄のありかたは、やりかたは異なっても、甲児の理想像であることにちがいはないだろう。ただ、兄のやりかたでは上手くいかないことが判明しているので、やむを得ずクレバーにやっていると、それだけのことではないかとおもわれる。時代もあるのだが、兄はヤクザを馬鹿にしていて、その脇で甲児も薄笑いを浮かべていた。同じ暴力集団でも、古臭い、損ばっかりのヤクザに属すより、じぶんらで会社運営して、ばかばか儲けて、ぜんぶ独り占めしたほうが絶対いいという確信が、甲児にもまだあるはずである。この点にかんしても兄はなかなか超越していた。熊倉に金を要求されたとき、それを死体処理代と言い換える等、こちらはこちらで技術的なものを駆使していたが、やはり時代もあり、あのころのシシックはじっさい強力だったはずである。そういうのを見てきたから、いくら言葉通り滑皮が大物でも、そしてじしんかなり上手く会社を運営していても、なにか「失敗した」という感想がどこかに出てきてしまうのではないだろうか。
柄崎にパンチをしたくだりは、要するに、お前がおもうほどの男ではない、ということをいっているわけだが、これは、考えてみれば経営者目線なわけである。このときの柄崎は、柄崎貴明ではなく、カウカウの社員なのだ。甲児は、カウカウの社員に、この社長はそんな尊敬できる人物ではないといっているのだ。そしてそれは自分自身に返っていく。彼の精神的ロールモデルは兄であり、つまり経営者である。なにより経営者としてのふるまいが、獅子谷のシシック性を定めていく。だから、経営者として、兄に比べて「失敗した」という自覚が無意識にある甲児は、同様の立場である丑嶋が敬意に足らない男であるといってしまうのである。
こういうふうにとらえると、本質的には凶暴な男である甲児が、そのようにふるまいつつもどこか穏やかであることの説明もできる。甲児は、丑嶋を同属嫌悪的に憎みつつも、どこか感情移入しているぶぶんがあるのである。そしてそれが転じて、あの、なにを根拠にそんなに憎んでいるのかということも見えてくる。甲児が憎んでいるのは、丑嶋じしんもそうだが、誰より、兄とはちがってヤクザに屈服してしまった自分自身なのである。
そこに丑嶋の「この街が気に入っている」発言である。唐突すぎて戸惑ったが、この言が示すのは、丑嶋の帰還には驚くべきことに計算が含まれていないということだ。もちろん、滑皮以上に虚実入り混じった言動の丑嶋がいうことなので、言葉通りに受け取るのもどうかとおもうが、ほかに情報がないので、いまはそのまま読むことにしよう。そしてじっさい、直感的には、これは丑嶋の本音ではないかとおもう。
世界を金で勘定し、掌握してきた丑嶋だが、それはある意味方法にすぎなかったのかもしれない。なんのために金融なのか、という問いには、世界を掌握し、搾取されないため、とこたえることはできるが、ではなんのために搾取されない立ち位置を選ぶのか、という根底的なところにまで問いが及ぶと、ひとはこたえに窮してしまう。なんのために生きるの?という子供の問いにひとことではこたえられないのと同じことだ。その問いの向こう側に、おそらく丑嶋はいっさいの束縛から解き放たれた自由を見ている。加藤典洋の分析では、村上春樹のデビュー作『風の歌を聴け』は、おのおの有名なフレーズである「金持ちなんて・みんな・糞くらえさ」という否定的感情が「気分が良くて何が悪い?」という肯定的感情に敗北したことを描いた。後者の肯定的感情を村上龍は「ポップ」と呼んだが、なにか同じようなものをここからは感じる。丑嶋じしんが禁欲的な人間なのでそうは見えないが、たしかに、いわれてみると、彼はなにかこう、直観で動いているようなところがあった。大事な局面で、感性が、選択を左右するのである。なにものにも左右されない生を得るために、徹底して禁欲的に、また感情を抑圧して生きていく、というのもまた転倒ではあるが、この堅固な生の向こう側には、「気に入ったから」という理由で危険な街を選んでしまう自由な感性が息づいているのである。
このセリフには、読者以上に甲児がいちばん驚いたことだろう。なぜなら、彼は丑嶋を憎むと同時に感情移入もしていたからだ。だから、ぽかんとなる。そんな発想はじぶんにはなかったからだ。いまの甲児がなにもかもが外部からかんじがらめに規定されている。滑皮や丑嶋という存在もそうだし、死んだ兄から受け継いだものと、そこからくみ出している責任感もそうだ。死ぬことすら許されない椚の地獄が示すのは、彼の終わらない復讐である。そういうなかでは、彼自身の欲望だとか野望だとか、感性的なものは、やはり抑圧されてしまうのだろう。滑皮と丑嶋が父にかんする解釈で分岐したように、現状よく似ている丑嶋と甲児が分岐するとすれば、このぶぶんになるにちがいない。最終的には「気に入っているから」という理由で選択をする丑嶋は、ある意味では人生のどの段階をとっても、そこには納得がともなっている。しかし甲児はそうではない。おそらく今回のはなしは、最終的にどちらが生き残るのかという点で鍵になっていくだろう。
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