今週の闇金ウシジマくん/第456話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第456話/ウシジマくん42

 

 

 

 

 

 

 

 

柄崎を人質にとられた丑嶋は、獅子谷の呼び出す場所に向かい、そこで滑皮につかまった。熊倉の件にかんして、丑嶋としては、最後まで知らんぷりで通せば、証拠もないし、ナントカなるだろうというところだったはずだが、実はあの事件には生存者がいたのである。その獏木が、殺される前に、おそらく彼自身の推理も含めて、なにもかも滑皮に話していた。だから滑皮には丑嶋が犯人だという確信があったのだ。しかし丑嶋はまだとぼけるつもりである。滑皮には、とりあえずいまは丑嶋を殺す気がない。いまはじぶんの傘下におさめたいのだ。丑嶋じしんを買ってもいる滑皮は、最後のチャンスとして、盃をかわすようにいうのである。

だがその前に金だ。丑嶋は金の隠し場所に滑皮を案内する。車をトラックにぶつけようとして阻止され、そのとき刺された足がずいぶん痛むようである。

厳重に施錠されたコンテナには、ふたつのかばんが無造作におかれている。とりあえずかたほうは、鼓舞羅から隼人にわたった旅行かばんみたいなやつでまちがいない。もうひとつはシシックから海老名が奪って隠し、戌亥が回収したスーツケースということでいいだろうか。だが、滑皮はそういうことだと了解しているようだ。丑嶋はじぶんで稼いだタンス貯金だとまだしらばっくれる。

 

 

丑嶋はドアを支えながら、どうぞ3億あるかたしかめてくださいと、滑皮をなかに誘導する。姿のなかった鳶田と梶尾はちゃんとうしろからついてきていたようで、近くに待機している。妙な沈黙が流れる。丑嶋のしれっとした態度もいかにもあやしい。滑皮は、なんか臭うと、丑嶋にとって来させるのだった。コメントでも指摘のあったことだが、ここにマサル的なピタゴラトラップがあった可能性はかなり高い。なにしろ丑嶋とマサルは大きいか小さいかだけのちがいしかないからだ。マサルがじぶんの隠し金、しかも持っていることがバレてはならないという種類の隠し金を守るために罠を仕掛けているのだから、バレた相手には死んでもらわなければならないような金なら、同型の思考法の丑嶋も罠を仕掛けるにちがいないのである。だが、ここで重要なことは滑皮がそれをあっさり見抜くことだろう。別にこれは、洞察力が優れているとか、なんらかの戌亥的手段で確信があったとか、そういうことではなく、彼が丑嶋に対してほんの少しも油断していないということを示しているのである。丑嶋が、いつどんなしかたで攻撃してくるかわからない、下手するとじぶん以上に有能かつ危険な男だということをわかっているから、背中を見せないのである。

丑嶋は黙って部屋に入る。いったんドアがしまって、自動で施錠され、それをなかから開けている雰囲気だ。もし中から開けるのに鍵が必要だったら、これで滑皮を閉じ込めることができたかもしれない。トラップといっても案外そんなことだったのかも。でもさすがにいまの片足ケガした状態で鳶田と梶尾は倒せないよね。やるだけ無駄だったかも。

 

 

滑皮はじぶんではいっさい動かない。丑嶋が運んできたかばんを梶尾に調べさせ、鳶田に車に積ませる。おおげさにいえば、爆弾が入っていないとも限らないのだ。

ふたりきりになったところで、滑皮は正座をするように丑嶋にいう。「お座り」である。丑嶋は露骨にしたがいたくないという表情を見せるが、滑皮は別に強要しない。ただ、丑嶋には柄崎という枷がある。最後にみた柄崎は意識がなく、血まみれの全裸で地面に転がっていた。放っておいたら死んでしまう。このことを、滑皮はさらっと思い出させる。

丑嶋が膝を折り始める。足がふるえているのは、憤りからだろうか、それとも傷がただ痛むだけだろうか。じっさいのところふともも前面を刺されて膝を折るのはかなり痛いはずだ。

そうして顔に汗を浮かべながら正座する丑嶋を、滑皮が、なにかこう、くちをとがらせたよくわからない表情で見ている。犬は黙って命令にしたがえと。そして、そのふるまいを仲間のための大義に変換するなともいう。つまり、柄崎のために屈服の動作をとったのだというふうに解釈してプライドを保とうとするんじゃないぞ、という意味だ。しかし、これは奇妙である。仲間のために屈服したほうがいいんじゃないかとそれとなく示したのは滑皮だからだ。必要なら、甲児にしたように暴力を用いればよいのである。

 

 

滑皮たちは去っていくが、丑嶋は屈辱感からか痛みからか、しばらく立ち上がれない。だが、動かねばならない。ゆっくり立ち上がりながら、約束どおり獅子谷甲児に電話する。先ほどの様子を車から梶尾が撮影していたようで、これがすでに獅子谷のもとに届いている。この界隈の不良たちは動画や画像を非常にうまく使う。おそらく、この動画が出回れば、もう「おい、あれウシジマさんだぞ・・・」と若い不良たちがビビりまくる状況はなくなる、という意味で、「お前も終わったな」と甲児はいう。相手はヤクザ、それも滑皮である。しかもただ正座しただけだ。鰐戸三兄弟がそうなっていったように、全不良からなめられるということはないだろう。だが、三蔵粉砕がもたらした、いままでのなにかこう伝説的な威風はたしかに損なわれるかもしれない。丑嶋も人間なのだと。

 

 

甲児から送られてきた位置情報で丑嶋がどこかのビルにやってくる。ここにネオシシックが出資するキャバクラができるということだ。すみっこのほうに運ばれた柄崎が丸くなっている。甲児は、カウカウの客からキャバ嬢を5,6人連れて来いというが、丑嶋は全無視で柄崎に向かう。いちおう柄崎の意識は回復しているようだ。

甲児は、犬扱いなんて生ぬるいことはしないという。虫ケラだと。今後、カウカウの売り上げをすべてこちらにわたし、そのなかから日当を払うと、甲児は勝手にはなしをすすめる。ヤクザがおそろしいのは美学と組織力があるからだ。要するに、必ず仕返しが行われ、そしてそれを載せる人数や人材は圧倒的なのである。丑嶋としてもこれにはさすがに対抗できないから、のらりくらりと猪背の要求をやりすごしながら、けっきょくはこの状況になってしまった。半グレの要求などほんらいはどうでもよい。しかし、おもえば甲児にはそのどちらも備わっている。おそらく甲児は、兄の失敗を踏まえて、部下たちと良好なかんけいを築いているし、組織としてもじゅうぶんな人数と筋肉的な意味で優れた人材もそろえているのである。

 

 

 

 

 

 

 

「お前は俺の働きアリだ。

 

 

なンも考えずに俺に従えばいい。

 

 

まずは土下座して俺の靴の裏を舐めろ。丑嶋ァ」

 

 

 

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

 

 

 

 

丑嶋がこのまま素直に滑皮の傘下に入るとすると、甲児との関係はどうなるのだろう。おもえば、甲児はヤクザではないわけである。たぶん。甲児は半グレの組織の統率者として、滑皮の手先となって働いているわけである。これはちょっと不思議だ。滑皮は、甲児はそのまま屈服させて、丑嶋は、こころからの屈服を別に望まないまま、盃を交わそうとしているのである。

甲児の感情もなかなか難解である。彼は丑嶋を「泣き入れた根性なし」と呼ぶ。おそらく、彼が滑皮に屈服した経緯では、甲児なりの抵抗があったはずである。あんなオリバみたいな筋肉のかたまりをどうやって制圧したのか不明だが、とりあえずそれは失敗し、甲児は滑皮に取り込まれた。しかし丑嶋は抵抗らしい抵抗もないまま金をわたし正座をする。たしかに傍目には、甲児と比べれば丑嶋はヘタレかもしれない。しかし、それはある意味どんぐりのせいくらべである。表立って抵抗し、血を流し、なんらかの理由で屈するのと、人質をとられ、無意味な抵抗をなるべく回避しつつも、憤りを隠さないのと、どのように違うのだろうか。

 

 

甲児にかんしてはまだいろいろ不確定要素があるので、なんともいえないぶぶんもある。滑皮はどうやって甲児を制圧したのか、どういう気持ちの変化をたどって甲児は滑皮に屈服したのか、そもそもほんとうに屈服しているのかなど、わからないところが多い。わからないといえば滑皮も真意がまったく見えてこない。今回の犬描写はなんだろうか。

もともと、ウシジマくんのはじめのほうで滑皮は丑嶋をじぶんの犬だと宣言していた。僕の見立てでは、滑皮が丑嶋にこだわるのは、彼が熊倉殺しの犯人だからである。彼は金を稼ぐという点では相当のやり手のようだが、同業者からは仁義もへったくれもない非道な男とみなされているようでもあり、そうしたことのきっかけは、鼓舞羅による熊倉の襲撃だった。あのときから、熊倉はおかしくなってしまった。そのときに、滑皮が背中を追い続けてきた「かっこいい熊倉」は失われた。しかし彼が熊倉を慕う気持ちはなくならない。蔑むつもりもない。こうしたところで、滑皮のなかで分裂が生じる。もともとからしてヤクザ社会はダブルバインドの宝庫である。矛盾したふたつの命令を同時解決する能力が問われる社会なのである。こうした思考法が、滑皮にももともと身についていた。これが、彼のなかでの熊倉の分裂、そして彼自身の分裂を支える結果ともなった。いま目の前にいる熊倉の兄貴は、あまりかっこよくない。けれども、かっこよかったころの兄貴はまだ滑皮のなかで生きている。このセリフを滑皮は熊倉の死後口にしたが、これはじつは、熊倉が生きていても同じことだったのである。

だから、彼においては、「かっこいい熊倉」を尊敬することと「かっこよくない熊倉」に従順になることが矛盾しない。矛盾しないというか、矛盾する原理が同居するのがヤクザ社会の思考法なので、可能になるといったほうがいいだろうか。その熊倉が死んだ。丑嶋に殺された。「かっこいい熊倉」を殺した真犯人は、この文脈でいうと実質鼓舞羅である。だから直接のうらみを丑嶋に向けにくいということもあるが、それとはまた別に、ヤクザ社会のダブルバインド的複雑さをそれとして受け止める分裂した滑皮は、タバコをせがむ不良少年まで構成員候補として目をかけるくらい、「なんでも吸収する」つもりである。これは、量的な意味でもあるが、同時に質的な意味でもある。100人の兵隊を抱えるよりは1000人の兵隊を抱えるほうが強い。しかし、それは10000人の兵隊を抱えるものにはかなわない。量的な存在は超越可能なのである。だから滑皮は、ヤクザ社会の複雑さをむしろ極めようとする。この世界でトップに突き抜けるためには、ありとあらゆる矛盾を容れる器の大きさが問われるのであり、それは丑嶋を取り込んだときに完成する。なぜなら、兄貴分を殺した犯人を、許さないままで味方に引き入れるということ以上の矛盾はないからである。それが質的であるということだ。丑嶋を引き入れることができれば、帰納的には世のすべての矛盾を引き入れることが可能になるのである。

しかし、この文脈における丑嶋は、いってみれば機能としての丑嶋である。丑嶋個人ではなく、熊倉殺しの犯人がたまたま丑嶋だったから、そうなっているということなのだ。気になるのは丑嶋が正座したときに見せている滑皮の複雑な表情である。以前タバコの件で考えたことだが、両者は実は発生的には同じところにある。ふたりとも車内禁煙であり、タバコの煙に「父」を託して、移動手段である車から締め出している。ただ、このときの「父」は等しくない。滑皮は、彼自身の父親、個人を抑圧し、丑嶋は父子の構造を搾取の源泉として、追い出しているのである。滑皮は父というありようじたいには肯定的であり、むしろそれをヤクザ社会、というかおそらく熊倉に求めたかもしれない。そしてじしんもすすんでそうなろうとする。たほうで丑嶋は、父子の関係性を搾取の構造として読み取り、同い年のみで当初は構成された会社を通じ、マサルと無意識に父子関係になってしまうまでは、徹底してこうした要素を追い出してきたのである。だから、よく似ている両者の分岐はここにある。滑皮は、仮に父子の構造が搾取の構造と等しいのだとしても、組織の人間として当然引き受けるべき責任のようなものとしてとらえるが、丑嶋はそうではない。彼は、彼の信じるひとつの原理にのみ従うのであり、それは金である。

こうしたことを踏まえて今回のことを見てみると、滑皮の動機としてまずは、みずからのヤクザ像の完成を急いだということがあるかもしれない。彼の前に内心どうであれ丑嶋が屈するということは、彼自身の治癒でもある。そのときに、質的な意味で「なんでも吸収」するヤクザは完成する。この「屈する丑嶋」は、ひとつの記号だ。分裂した滑皮においては、「なんでも吸収するヤクザ」になることは、必然ではあっても、欲望のままというものではないだろう。本来であれば、彼は熊倉のカタキである丑嶋を殺さなくてはならないし、たぶんほんとうはそうしたいはずだからだ。しかしそれではトップにはなれない。目的を達成するには、欲望も超えなくてはならない。つまり、ヤクザとしての野望を果たすために、彼はどうしても自分自身を超えなくてはならないのである。彼は、それをみずからが超えた、屈服させたという段階を、心理的に、自己治癒的に必要としたのだ。そのことによって、分裂は是正され、原風景的熊倉の図像は思い出になり、彼自身の哲学が彼を御する唯一のものになるのである。

そして、丑嶋と滑皮は根本的に等しいものがある。滑皮じしん、丑嶋にはなにか似たものを感じているのかもしれない。そして、今回丑嶋は、柄崎のことをいわれて膝を折っている。このときの丑嶋の感情は人間的なものであり、熊倉を想うじぶんと通じるものもあるだろう。それだけに、この正座は滑皮には重大な意味をもっていたとおもえるのだ。

しかし、ではあの複雑な表情はなんだろう。それは、その「柄崎のことを想って膝を折る」という丑嶋のふるまいが、それとしては意外なものだったからかもしれない。というのは、彼によれば、丑嶋はじぶんのことしか考えていないはずだったからである。それこそが丑嶋が半端ものたるゆえんだった。ところが、柄崎のことをいわれて丑嶋は膝を折る。土下座したわけでもあるまいし、たいしたことではないといえばそうだが、それでも滑皮は意外だったはずだ。そして、この行動は、実はヤクザ的、というか滑皮的でもあるのだ。しかし、現在の滑皮にとっての丑嶋は「大きな矛盾」を体現する記号であってくれなければ困る。兄貴を殺した、じぶんのことしか考えていない半端ものであってくれなければ、そもそも丑嶋にこだわる理由もなくなってしまうからだ。だから、彼は、いまの行動を大義に回収するなというのである。仲間のために「複雑さ」を受け止める男は、熊倉殺しの犯人で、滑皮じしんのヤクザ像を完成させる要素としては馴染まないからだ。

 

 

さて、すでに長くなってきてしまっているが、甲児についても考えなくてはならない。じっさいのところ、もし丑嶋が素直にヤクザになってしまったら、甲児のおもうとおりにはいかなくなるのではないかとおもわれる。ただ、そこは滑皮の真意がわからないぶん、なんともいえない。そこは甲児の好きにさせるかもしれないし、甲児がどの程度厚遇されているかも不明なのだ。しかし、今回の描写からは、あまり声をあらげる感じではない甲児が感情的になっているぶぶんが見て取れる。

甲児からすると、丑嶋は兄のカタキのひとりだ。直接手は下していなくても、兄を骨折させたのは丑嶋の命令にしたがった柄崎であり、その骨折が、椚たちに決意させたことはまちがいないからだ。その丑嶋が、シシックと同じ金融でうまくやっているのを見て、いい気持ちにはならないだろう。こうした意味で、彼がカウカウの売り上げを管理すると言い出すことには、シシックのいいとこどりをしたカウカウを手持ちにすることで、“奪われたものを取り返す”という感じがあるのかもしれない。

しかしそれにしては、ずいぶんと、じぶんが上だということを主張してもいる。ここには遠く滑皮への感情が隠れているかもしれない。どういう経緯だか、また心底どうおもっているかはくりかえすように不明だが、甲児は、滑皮の手下となりつつある丑嶋をさらにてひどく扱うことで、滑皮のもたらす原理の外で丑嶋との関係性を構築しようとしているのではないだろうか。滑皮に好きにしていいといわれているならまたはなしは別だが、そうでないとすると、本来であれば、甲児は滑皮の指示系統にしたがわなければならないはずだ。盃を交わし、俺が守ってやる、というようなやりとりをした直後であるということもある。甲児は甲児でうらみがあるのかもしれないが、丑嶋はひとりしかいないので、滑皮がそのように解決しようとしているうえ、彼が滑皮に屈しているのであれば、ほんとうは甲児はじぶんのうらみをあきらめなければならない。だいたい、金のはなしなんて、特にヤクザはうるさいだろう。じぶんがヤクザにはなっていないから、丑嶋もそうなのだと考えているのかもしれない。いまおもうと車内での盃のはなしはいかにも密談という感じだ。下手すると梶尾たちも滑皮のその考えは知らないかもしれない。だが、いずれにしても、つまり丑嶋がヤクザにならず、このままカウカウの営業を続けるのだとしても、滑皮より先に金のはなしをするのはちょっと先走りすぎである。ひょっとするとここからは、彼の滑皮への屈服にかんするちょっとした不満のようなものが見えるかもしれない。あるいは、屈服することで、彼の権利はすべて滑皮に預けられたが、“この件”にかんしてだけはゆずれない、というふうにも見える。“この件”とはむろん兄のことである。これらはもっと描写を待たないといけない。

 

 

 

で、丑嶋である。つねに食う側でいるため、食われないよう努めてきた彼だが、ついにこのような状況になってしまった。滑皮は、ひとことでいえば、守ってやるから搾取させろ、といっているわけだが、丑嶋としては、守るとかそういうのはいいので搾取しないでください、というところなわけである。いままでも猪背組はカウカウから奪ってきた。丑嶋は適当にごまかしてもきたが、けっきょく奪われていることは多かった。だから、ここでポイントは、彼が奪われる構造に組み込まれる、ということそれじたいではない。彼自身がその立場になる、ということなのだ。丑嶋にとって金は世界を見るときに経由するメガネのようなものだ。中年会社員くんで、なぜこのような仕事を続けるのかと加茂に問われたとき、丑嶋は「食うため」と応えた。これは、当初の思想にも通じるものである。つねに食う側に立つためには、まず食われないことが必要になる。このことが、彼に金融業をさせる。というのは、金融に関わるひとびとは、当然のことながらすべて金にとらわれているからである。だから、金をコントロールする立場にあるものは、この世界のすべてを掌握することになる。金は欲望と接続しており、ひいては人間そのものを掌握することになり、それこそが食われない根拠となる。むろん、世の中には、金にいっぺんも興味がないというひともいるわけだが、それはまるまる丑嶋の人生には無関係な人物であるから、考えにいれる必要がない。丑嶋は金融業を通して世界を限定し、そしてそのことですべてを掌握することで、ヤクザくん以前までのあの全能感を生み出してきたのである。

しかし、どれだけの大金をあつかっていても、ヤクザ業界に組み込まれればそうもいかなくなる。それはけっきょく金にふりまわされるだけであって、仮に同じ行動を続けていくのだとしても、金を支配するとはいいがたいのである。上部のものによって搾取されることがもたらすものは、たんに手持ちの金が失われるというだけではない。そのことによって、彼はこれまで支配してきた金にふりまわされる、もっといえば、金に支配される側になってしまうのだ。搾取が構造化されているのであれば、ヤクザになった丑嶋はやがてじぶんより下位のものから搾取するようになるのかもしれない。しかしそれは丑嶋の遺志とはかんけいない。そういう構造だから、そうなっているというだけのことだ。このとき、丑嶋のもっている金は、彼が自由につかっていても、本質的には彼の金ではなくなる。ヤクザ社会の金になるのだ。

 

 

 

 

↓闇金ウシジマくん 42巻 3月12日発売予定。