すっぴんマスター2017-宝塚 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

ぼちぼち頃合いかな、ということで1年のまとめである。まずはもう観劇予定のない宝塚から。

 

 

 

2017年は花組を3回、月組を4回、雪組を2回、星組を1回、計10回観劇した。去年も10回だったからまあとんとんといったところだろう。ただ今年は宙組を見なかったので、公平性には欠けるかもしれない。これまで宙組には特別好きなタカラジェンヌというのがいなかったのだが、真風さんはたいへんな男前だし、ずっと見てきてなんかひとごとのようにおもえない芹香斗亜が異動になったので、たぶん来年はけっこう観るんじゃないかとおもう。

 

 

 

今年の個人的事件としては、7月の早霧せいな退団公演を観にいけなかったことである・・・。このブログに宝塚関係の読者がどれほどついているかわからないが(更新頻度からしておそらくほとんどいない)、このひと早霧せいなのこと好きだったっぽいのに、どうも観劇記録の更新がないぞと、おもわれたかたもいるかもしれない。それは諸事情により観にいけなかったからなのである・・・。話せば長くなるが、早霧せいなはおそらく姿月あさと以来、僕がファンだと自覚できる久しぶりの男役だった。ほかの男性ファンはどうだかわからないが、小学生のころから観劇している僕は、思春期をあいだにはさむことで、なにか宝塚ファンでいることに規制をかけているのである。当初は、僕は天海祐希から入った人間で、退団公演のミー&マイガールのビデオを文字通り毎日見ていた。むろん天海祐希の影響も強かったが、とりわけ麻乃佳世が好きで、そのころの月組には久世星佳や姿月あさともおり、ほんとうに大好きな組であった。が、その感情はどうも、「ミー&マイガール」というミュージカルに向けられていた可能性が高いのである。当時は和モノの芝居なんかもほとんど食わず嫌いしていて(いまもだけど)、好きな演目はだいたいショーか輸入もののミュージカルだった。つまり、僕の宝塚の原風景にはうたと踊りがあったのである。

そういう感じで、いろいろ家庭環境もあったのだが、ふつうに宝塚が好きな状態で思春期を迎えて、うまくいえないのだが、ちょっとそのことが恥ずかしくなってきたわけである。いまおもうとまわりはそんなに意識していなかった、それどころかよくわからない世界なので思考を停止していたのではないかとおもうのだけど、いまでもよく覚えていることで、中学生くらいのころ、友人と千代田線に乗っていて、ホームかどこかに宝塚のポスターが貼ってあったのである。それをみて、他意なく、友人が「ほら、(お前の好きな宝塚のポスターが)あるよ」というようなことをいってきたのだ。それを受けて僕は、「ふうん、そう」と、まるで興味ないかのように反応したわけである。なんということのない経験だが、なにかすべてを裏切ったような気がしたのか、そのときのことはいまでもよく覚えているのである。

じっさいのところ原因は思春期なのか、たんに劇団の傾向が好みと合致しなかったのか、あるいは宝塚ファンというのがそもそもそういうものであるのか、僕にはわからないのだが、たしかに僕は一時期宝塚から離れていた。高校生から大学生くらいのことである。といっても、年にいちどくらいは話題作をみにいくくらいのことはしていたので、微妙なはなしだが、いずれにしても、思春期からそういう高校生くらいのときに、僕はいちど劇団を離れたのである。こうした経験がどのように作用しているか不明だが、たとえば高校の演劇部が宝塚を観たいというようなことになって連れて行くとしても、僕ではなにかこう批評家的な顔つきが当時から宿っていたわけである。あくまで僕は、女性のみで構成される劇団の特殊性と、それがもたらす技術的閃きに興味があるのであり、表出されるものはすべてテクストとして受け取っているのであると、このような態度を、他者と、そしてじぶんに向けても採り続けてきたわけである。その態度じたいは別に批判されるものでもないかもしれない。げんに僕は観劇記録をつけるときにそのスタンスで読解している。が、この態度は、誰か特定のタカラジェンヌのファンになることとは決して結びつかない。むろん、だからこそ、僕は批評家であり続けたのである。同級生が起伏の激しいアイドルのグラビアをみて盛り上がるのと僕が宝塚を観るときの視点はちがうはずだと、そしてげんにちがうという確信があったからこそ、心理的抑圧がその立ち位置に課されたのである。

この規則は思春期から高校、大学とさまざまな経験を重ねることで無意識レベルにまで刷り込まれて内面化されたようで、やがて僕は“じぶんが誰のファンなのか”を自覚できなくなっていったのである。印象的な出来事が数年前の花組バサラのときに起こった。そのとき、僕は相方と観劇にきていたのだが、たまたま、高校の同級生夫婦も劇場にきていたのである。僕はふたりが宝塚ファンだなんて知らなかったからそれもびっくりだったのだが、ともあれ、そこではじぶんたちが誰のファンなのかというはなしに当然なる。各々、それを述べる段で、しかし僕は特にそういうのはないとお茶を濁す。そして、帰宅後、相方に、じぶんには好きなタカラジェンヌがいないというはなしをしたら、相方は「いや早霧せいなでしょ」と即答である。これはほんとうにびっくりした。僕は、4人で「好きなタカラジェンヌ」の話題になっているときでさえ早霧せいなの顔なんていちども思い浮かべなかったのである。しかしよく考えると、僕はなぜか、スカイステージで放送された早霧せいなのブリリアントステージ・名探偵SAGIRIのDVDを自腹で所持しているのである。これはよほどのファンアイテムである。ユアン・マクレガーのファンにとってのバイクで世界一周みたいなものだ。冷静に考えるとそんなひとは他にいないのである。たいていの宝塚のDVDは相方に預けているのに、これだけはじぶんの本棚に差さっているのだ。にもかかわらず、僕はそれを指摘されて「はあ?」と応えたのである。

 

 

という流れでようやく、10何年ぶりかでファンといえるひとと出会えたわけだが、諸事情により退団公演を見ることはできなかった。おもえばるろうに剣心も見逃しており、つくづく縁がない。退団公演も、退団記念系のDVDも手に入れたが、むろんまだ見れていない。思春期以降からのたゆまぬ訓練により、この手のことは意識に前景化されないようになってはいるが、この件が克服できるときはくるのだろうか・・・。

 

 

 

相方関連でいうと、何年か前からの「華形ひかるが東京で見れない問題」は、今年はまあまあ解消された。グランドホテルは3回観たし、キャプテンネモも2回見た(観劇の実に半分が華形さん目的である)。グランドホテルのときにはお茶会にも参加した(着ていく服を失敗した・・・)。最近はただでさえ出演が少ないのに、芝居心を生かした出演が増えて、ショーの出番がなく、その点でもグランドホテルと並演されたカルーセル輪舞などではそれが満たされた。組によってはスケジュールの都合で年1回しか本公演がないことを考えると、専科にいってそういうしばりがなくなったことはよいことととらえなければならないのかもしれない。

 

 

 

来年はウエストサイドストーリーが宙組である。かつて月組と星組でやったときも何度も観劇したが、大好きなミュージカルだ。いつだったか海外からどこかの団体がやってきたときも見に行ったが・・・。なぜか本公演ではないのだが、たぶん近いうちにどこか別の組の本公演で行われるのだろう。どういう仕上がりになるのかちょっと見当もつかないが(現状のダンディな宙組のイメージがウエストサイド物語的なものと遠いというか)、期待しています。とりわけ体育館のダンスバトルと決闘前のクインテット・・・。あれは劇場の空間と大きな音があるとないとではぜんぜんちがう経験になる。あれがまた宝塚でやるなんて、ほんとうに楽しみだ。